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色覚への叛逆を

作者: KAME

 全然おいしそうじゃない。

 腐っている。

 これホントに?



 そんな文言を目にして、もう一度二つの画像を見比べる。―――新鮮で美味しそうな霜降りの肉と、新鮮で美味しそうな霜降りの肉。

 私にはそれが、まったく同じものにしか見えなかった。






 移動時間やお店での待ち時間など、空いた時間にスマートフォンをいじるのはもう常日頃のことで、なにもない時はほとんど無意識に開いている。こういうのもクセの一つに数えられるのだろうか、とせんのないことを考えながら、SNSを流し読みしていく。

 今日は日曜だからか、朝のテレビ番組の話題が終わると呟きの数はグッと減っていた。みんな休日で忙しいのだろう。仕事の日はSNSに貼り付けても、休みの日は無理という感覚はよく分かる。そんなことをしている場合ではないのだ。

 とはいえ電車に揺られている今の私は手持ち無沙汰である。しかたなくSNSを閉じて検索サイトを開く。


 なにかを調べよう。そう考えて、手が止まる。


 さてどんなことを調べるのか。特に今は気にかかっていることなどない。

 そもそも暇つぶしなのだから当然で、ぱっと思い浮かばない。

 カタンコトンと電車が進んで、窓の外は緑が多くなってきていた。山や木が多くなって、道の脇の雑草も多くなって、刈り入れ前の田んぼが穂を垂らしている。

 緑か。……なんとなく気が向いて、赤緑色弱、と文字を打つ。



 そうして辿り着いたのが、新鮮で美味しそうな霜降り肉の画像。



 どうやら私の視界は、特上肉が腐った色合いに見えてしまうらしい。






 赤と緑が判別しにくいという劣性遺伝。男性だと二十人に一人はいるらしいから、そう珍しくもない特徴だ。

 基本的に日常生活には問題はない。肉の焼き加減がイマイチ分からないから、焼き肉の割り勘には弱い。

 幼稚園でクレヨンの色が分からなくって居残りさせられたことを覚えているけれど、今から振り返ればいい思い出だ。……というか幼稚園の記憶なんてそれと、遊具から落ちて救急車に乗せられたことくらいしか覚えていないのだけれど。


 生まれつき普通とはちょっと違う、という人はけっこう多いと思う。

 足の裏に土踏まずがなくて長い距離は歩けなかったり、肋骨が歪んでて鳩尾がちょっと右にあったり、成長してもお尻の蒙古斑が全然消えてなかったりする知り合いなら、私にもいる。

 私の赤緑色弱はそんな彼らと同じ、普通の人と少し違う特徴だ。身体障害者手帳をもらうほどではない程度の、日常生活において大した問題にならないそれは、つまり個性の範囲だろう。



「それだとウチは難しいかもしれないな。事件があったときは犯人の服装や髪の色なんかを覚えないといけないから、色が分からないと仕事に支障がでてしまう」



 もちろん個性である。

 例えば警察だったりすると、極端に背が低い人は採用されない。あれと同じようなことだろう。普通とは違うということは、職種によってはどうしようもないものだ。


 ああ、そういえば子供の頃は、医者になるのが夢だったか。注射をされるのは嫌だけどする側は恐がる顔が見れて楽しいのではないかという、どうにも人として間違った理由だったと思う。

 幸いにして……かどうかは分からないが、私の頭のデキは平均以下なのでまったく叶うことのない夢だったけれど、それはそれとして赤緑色弱だと実は医者にもなれない。

 それはそうだ。肌色が分からなくて画用紙に描いた友達の顔をピンクで塗るような人間に、患者の顔色など分かるはずがない。私だってそんな医者に当たるのは嫌だ。


 電車の速度が落ちていく。はぁ、と息を吐いて、スマートフォンをしまう。

 大きくて重い荷物を担いで席を立つ。気まぐれにした暇つぶしのせいで余計なことを思い出してしまい、気が冥入ってしまった。


 日曜日の電車内はガラガラで、田舎の無人駅には誰もおらず、屋根とベンチしかないホームに降り立った私は去って行く鉄の箱を見送る。

 七分早い腕時計の針は、ちょうど正午を指していた。雲のない蒼い空に飛行機が飛んでいて、私はそれとは反対方向に歩き出す。



 画家のフィンセント・ファン・ゴッホは色弱だったらしい。



 中学生のころにそんな話を聞いて、図書館で画集を借りた私はジャン=フランソワ・ミレーに魅せられた。

 紫と黄色の絵の具をぶちまけた荒々しい星月夜ではなく、緑色を下地にして描いたのではと疑う生活感溢れる落ち穂拾いに惹かれたのだ。


 コンビニで買った菓子パンをチマチマと食べながら、荷物の重さに汗を流して目的地に向かう。

 剥き出しの岩肌と荒れたコンクリートの坂を登った先にある、ちょっとした公園。片田舎の大した遊具も置いていないこの場所は、日曜日だというのに人っ子一人いない。

 長く手入れされていなさそうな木々に囲まれた公園内に踏み入る。迷わず奥に進めば、公園は唐突に途切れ、お腹くらいの高さの柵が設けられていた。……その先は急斜面になっているから、安全対策である。


 ふぅ、と息を吐いて荷物を置いて、中からイーゼルを取り出す。手早く組み立てると、別の袋から真っ白なキャンバスを取り出してそこに置いた。

 私が絵画をやりはじめたのは、ゴッホとミレーの影響だろう。色弱でも画家になれるのだという甘い期待と、こんな絵を描いてみたいという心の躍動がそうさせた。

 馬鹿げた話である。ゴッホが赤緑色弱という説が正しいのなら、黄色や紫を多用した特徴的な色使いはその色覚が故であるに違いない。そして農家を描いたミレーは普通の色覚を持っていたのだから、私にマネできるはずがない。当時の私はバカだったので、そんなことにも気づかなかった。


 安物の折りたたみ椅子に腰掛けて、柵越しに景色を見下ろす。

 緑豊かな山々と、まばらに点在する家々と、収穫前の田園。

 深呼吸して肺の空気を入れ換える。都会から離れたこの場所は、肩の力が抜けるほど静かだった。


「本当に、バカだよなぁ……」


 警察に面接で落ちてホッとした。じゃあ仕方がないし、まだ諦めなくていいのかと頬を緩めた自分に、心の底から呆れかえった。

 あーあ、と風に投げやりな覚悟を乗せる。絵の具のチューブを握りつぶす勢いで、パレットに緑を盛った。

 絵筆をとれば、気分は今日の天気のように蒼一色で。


 どうやら私は、自分が思っているよりも大馬鹿だったらしい。


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