デキるおじさん Part1
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デキるおじさん募集中
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その看板を見て私は足を止めた。
町の花屋さんを通り過ぎたところの古ぼけた壁にその看板は唐突に貼られていた。
考えた。
私はおじさんだろうか。
おじさんだ。
年はとっくに30を7つも過ぎているし、最近鏡を見るたび頭髪が衰えて行くのを感じている。
椅子に座る時も立つ時も「よっこいしょ」とよく言うし、あまつさえ「よっこいしょういち」と言ってしまう時もある。
立派なおじさんである。
デキるおじさんであるかどうかはわからない。
というか、何がデキるおじさんを募集しているというのか。
デキるの基準は何であるのか。
その看板には他に電話番号と広告主の名前が書いてあったので、私はそれをしっかりメモした。
それだけ済ますと満足して、仕事へ行くため歩いて立ち去った。
広告主の名前は『はな』とだけあった。
待ち合わせのカフェに入ると、その女性は既に来て待っていた。
20代後半といった感じだ。髪型は聞いていた通り灰色がかった青い肩までのウェーブヘアで、お洒落なのだろうが私にはモップのようにというか、お婆さんの髪型のようにも見えた。
私が「はなさんですか?」と声をかけると、彼女は大人しそうな人懐っこさで、にっこりと笑ってうなずいた。そして立ち上がってお辞儀をする。着ている服もお婆さんの穿くモンペを上着にしたようなデザインだ。茶色いスカートの襞が柔らかく踊った。
不思議な感じのする人だが、意外なことに初対面の印象はよかった。
彼女は姿勢よく立ったまま、言った。
「よかったです。応募して来てくれる方があって。あんなわけのわからない看板ですからね、電話してくれたの、あなた1人だったんですよ」
「そうでしょうね」
「そこは『そうなんですか』って驚いてほしいですね」
はなさんは唇を尖らせ、すねた姿勢になる。
「いや、そうなんだろうなと思います」
「まぁ、どうぞお座りください」
はなさんはにっこり、私に向かいの席を勧めた。
私が席につき、向かい合うなり、はなさんは歌いはじめた。
マシュマロは焼かない
コーヒーにも浮かべない
ブラックコーヒーをマシュマロに添える
マシュマロが口の中にあるうちに
急いでブラックコーヒーを流し込まなくては
マシュマロがなくなってしまったら
ブラックコーヒーが苦いだけになってしまう
ブラックコーヒーがなかったら
マシュマロが甘いまま終わってしまう
ブラックコーヒーに添えられたマシュマロを指で転がしながら、彼女は1分間ぐらい歌い続けた。
私はいい歌だな、とも何とも思わず、ただ暇つぶしにそれを聞きながら、歌い終わるのを待ち続けた。
彼女が歌い終わった。
私は愛想笑いを浮かべて言った。
「いい歌ですね。誰の歌ですか?」
「今私が作った歌ですよ~」
はなさんはおばあちゃんのような言い方で、照れたように笑った。
「マシュマロを口に入れて、ブラックコーヒーをそこに注ぐのが好きなんです」
「そうなんですか」
私は言葉に詰まると、気になっていたことを聞いた。
「ところでこれは何ですか? アルバイトか何か? デキるおじさんとは何がデキたらいいんです?」
「私を嫁にもらってほしいんです」
「ええ?」
「嘘です。ちょっと色々と仕事を……簡単な仕事を頼みたいんです。お金の話はまたあとでしましょ」
「はぁ……」
私はほっとしたような残念なような気持ちになりながら、言った。
「でも私、実は……、あんな看板を見て連絡しておいて言うのも何ですが、大してデキるおじさんじゃないです。いいんですかね?」
「それでいいんですよ」
はなさんは気持ちよく笑った。
「思ったんですよ、あの看板の文句に釣られてやって来るのは自分のことをデキる奴だと思ってるおじさんじゃなくて、自分がデキるかデキないか試したいひとだって」