家族と夜会
その日の夕餉の際に、家族に婚約破棄のことをクローディアが告げると、当主である父にはさすがに事前にカルロの方から話がいっていたらしく頷かれただけだったが、母と長兄、次兄、長兄の妻は知らなかったらしく大騒ぎだった。
「カルロ…あいつ、うちの可愛い妹の何が不満なんだ」
「可哀相にディア、さぞかし腹立たしいだろう?兄様があれを懲らしめてあげるから心配いらないよ」
「兄様達、カルロは恋をしただけよ、私は怒っていません。彼に何かしたりしないで」
きゅ!と眉を寄せて兄達を止めると、二人は顔を顰める。兄達は年子で、下の兄であるエドガーはカルロと同い年だった為兄弟同然に育ってきた。ひょっとしたらクローディアよりも裏切られたような気持ちになっているのかもしれない。
「でもディア、カルロ様とはあんなに仲が良かったのに…」
兄嫁のリアーナは心配そうにクローディアの肩を撫でた。
「………ええ…少し寂しくて、悲しいのは本当だから、もし兄様達や姉様がよければ時間のある時に気晴らしに付き合ってくださると、嬉しいわ」
クローディアがそう言うと、彼らは勿論!と快諾してくれた。今まで行きたい催しなどがあればカルロに付き添いを頼んでいたが、しばらくは兄達にお願いさせてもらうしかない。彼らは久しぶりに妹と出掛けられることを喜んでくれているようなので、彼女にとっても嬉しかった。
「カルロ様に他に好きな人が出来たというの?クローディア」
和やかな雰囲気に包まれたのは一瞬で、母のアデルの声が鞭を打ったように場に響く。
他に?
「……ええ、お母様」
「それで、あなたは婚約破棄をあっさり受け入れたのね」
「はい」
カトラリーを皿に置いて、クローディアは真っ直ぐに母を見た。キャラメル色の髪は父譲りだが、翡翠色の瞳は母譲り、顔立ちも母子はよく似ていた。
「残念だわ、カルロ様が本当の息子になってくださるのを楽しみにしていたのに」
「…ごめんなさい」
「あら、さっきあなたが言った通り、カルロ様は恋をしただけなのでしょう?あなたが謝る必要はないわ」
「母様…!」
「でもねぇ…」
にこり、とアデルが微笑む。年を重ねても尚美しいと称賛される彼女の笑顔は、どこか艶めいていて、そして、悪だくみをしているように見えた。
「……母様?」
そんな出来事があった3日後。
さる侯爵家の夜会に、クローディアは両親と上の兄・アランと共に出席していた。下の兄であるところのエドガーは、カルロ同様騎士なので予定が合わなかったのだそうだ。
今まではカルロという婚約者がいるので、と断っていた夜会への出席を、防波堤のいなくなった今、虎視眈々とクローディアを夜会に連れ出したくてたまらなかったアデルが見逃す筈もなく。
いつの間に用意したのか、新作のドレスや髪飾りなどでめかしこまれて、いざ!と相成ったわけである。
「…アラン兄様、付き合ってくださってありがとう」
「いやいや、役得だよ。エドガーなんか、ものすごく悔しがっていたから」
クローディアは幼い頃からカルロと婚約を結んでいた為、社交界にデビューしてからずっと夜会のパートナーは彼が務めていた。クローディアが頻繁に夜会に出席するタイプの令嬢ならばカルロの予定が合わず、兄達に頼む、ということもあったかもしれないが、彼女は滅多に夜会に出なかったので今まで機会がなかったのだ。
「もうクローディアったら私に似て美しく産まれたのにちっとも夜会に出たがらないんだもの、張り合いないったら!」
「母上、クローディアに無理強いはしないであげてください」
「息子達も揃って妹の味方でこれですもの」
アデルはぷりぷりと怒っている。夜会の大好きな彼女は、年頃になった娘とどんな装いをしようかだとか、今の流行りはどうだとか、そういう話をしたくてたまらないらしい。
若い娘らしくドレスの話題はクローディアも好きだが、アデルのその話題は夜会に向けてのものなので一概に彼女が楽しめるかどうかは別なのだ。
「まぁいいわ。どうせまたすぐ婚約者が出来ちゃって、夜会には来てくれなくなるんだもの、今のうちに可愛い娘を見せびらかしましょう」
うふふ、と上機嫌に笑うアデルの言葉に、アランとクローディアはぎょっとする。
「すぐに婚約者が?もうそんな話が出ているんですか?」
「ほほほ、時間の問題、ということよ。カルロ様が侯爵令嬢に入れあげているという噂は随分広まっていたし、今夜の夜会に出席したクローディアのパートナーは兄。明日になればこの子が婚約破棄されたことは知れ渡るでしょうし、そうなれば我が家に求婚に訪れる紳士は少なくないと思うわよ?」
アデルはご機嫌で言うが、クローディアは懐疑的な視線を向ける。
クローディアは家柄も顔立ちもまぁまぁ、ぐらいの自負はあるもののそれだけだ。絶世の美女というわけでもないし、何かに特別秀でているわけでもない。ならばもっとせっせと夜会に出て自己をアピールすべきだったのにそれもしていない。
ほぼ社交界から引き籠ってきた彼女は、年頃の同じぐらいの条件の令嬢とでは知名度もアピールも随分と差が開いている。加えて今回の醜聞だ。
カルロが侯爵令嬢に恋をして、クローディアとの婚約を破棄したということは恐らく噂で皆の知るところになるのだろうが、どんな理由であれ醜聞は醜聞。
まともな紳士ならばあえて求婚しようとは思わないだろう。
ワルツが流れてきて、アランが彼女に手を差し伸べる。兄と踊るのは小さい頃に舞踏会ごっこに付き合ってもらった以来だ。懐かしくなってクローディアは微笑むと、アランの掌に自分のそれを重ねる。
文官のアランの手は、騎士のカルロの固い掌とは手触りが全く違っていた。
翌日、クローディアの予想に反してグリューデル伯爵邸にはたくさんの招待状が届いていた。