思惑
「いいわよ」
もう一度優しくカルロの頭を撫でて、クローディアは微笑んだ。
「そ、……」
カルロが何か言おうとした瞬間、開きっぱなしの戸口からささっ、とクローディア付きのメイドが現れる。その音をたてない素早さに2人がきょとん、としている間に部屋に入ってきたメイド達はテキパキとカルロの膝からクローディアを引き離し、向かいのソファに腰かけさせると繊細なレース編みのショールを肩に羽織らせた。
これにより、先程から無防備にカルロの視線にさらされていたクローディアの美しいデコルテは見えなくなってしまい、彼は残念そうに唇を尖らせた。
「メアリ、コルデー、仕事が早いな」
「婚約者でもない殿方にお嬢様の美しい肌を晒すわけには参りませんので」
と、きりりとした雰囲気のメアリが言えば、
「あとそもそもお約束もなくいらっしゃるのはマナー違反かと。ローヴェレ伯爵」
おっとりとした雰囲気の小柄なコルデーが引き継いだ。
クローディアは親しいメイド達の、カルロに対する余所余所しい物言いに驚く。今まではカルロ様、と呼んでなんなら一緒にお茶をする時すらあったというのに。これではまるで他人に対する態度だ。
「どうしたの、二人とも。カルロが婚約者じゃなくなっても、幼馴染なのは変わらないんだから、そんな冷たい言い方しないで?」
「いいえ、お嬢様。お嬢様はもうデビューもなさった立派な淑女なのですから、本来であれば幼馴染とはいえ殿方とあれほど近くでお過ごしになるのははしたないことなのですよ」
「そうですよ。今まではローヴェレ伯爵は婚約者だったのでわたくし達も目をつぶっておりましたが、晴れてただの幼馴染のみの関係となられたからには適切な距離と態度を保たなくてはなりません」
「晴れて、て言ったかコルデー」
カルロは顔を顰めて脚を組む。
「ローヴェレ伯爵、紳士の態度ではございませんわ」
「こっちは傷心なんだ、大目に見てくれ」
がしがしを頭を掻く彼に、クローディアは首を傾げて微笑んだ。
「気にしないで、カルロ。私は婚約者じゃなくなってもあなたのこと大切に思っているわ」
「それは……なぁ、ディア。なんで婚約を破棄したいのか、聞かないのか?」
カルロが膝の上で拳を握る。クローディアはそれを見ながら不思議な気持ちになった。どうしてそんなことを言うのだろう?
「聞かないわ。だって分かってるもの」
彼女は、用意していた言葉を意識しながら口に上らせた。
「好きな方が出来たのでしょう?昔約束したものね。この婚約はお父様同士の決めたことだから、大きくなってお互い好きな人が出来たら婚約を解消しようね、て」
彼女は先程まで触れていた、カルロの柔らかな髪の手触りを思い出しながら微笑んでいた。
カルロは由緒ある家柄の嫡男で、少し調子のいいところはあるけれど根は真面目だし何よりとても優しい。見目も近衛騎士に選ばれるぐらいだから身内の贔屓目をなしにしても整った部類に入るだろう。
クローディアという婚約者の存在がいなくなれば、きっと彼の恋は叶う。
「頑張ってね、応援しているわカルロ」
一際美しく笑うクローディアの笑顔に言葉を失ったカルロは、辞去の挨拶もそこそこに帰って行った。
客の去った居間。メアリとコルデーが茶器を片付けている傍らでクローディアはぼんやりと先程までカルロが座っていたソファを眺める。
「ねぇ、私、感じよく笑えていたかしら」
「ええ、それはもう、とてもお綺麗に笑っておいででしたよ」
「本心からカルロ様の恋を応援しているのが伝わりました。ですから、カルロ様も何も言えずにお帰りになったのでしょう」
「そう。よかった…」
はぁ、と大きなため息をついて、それまで背筋を伸ばして座っていた彼女はだらりとソファに背を預ける。
「ま、お嬢様!」
「私も傷心なの!今だけ大目にみて」
「はいはい、よく頑張りましたね」
メアリが新しいカップに紅茶を注いでくれる。そのカップを両手で持って、クローディアは小さく息を吐いた。
「カルロに好きな人が出来たのは分かってたけど、直接婚約破棄を告げられるとやはりグサッとくるものね…」
「お嬢様はとても毅然としておられましたわ」
「とてもご立派なお姿でした」
そう。
クローディアは随分前からカルロに好きな人が出来た、という噂を聞いていたのだ。
彼は騎士の中での花形とされる近衛騎士団所属で、しかも王太子付き。クローディアとて引き籠りなりに王城にも社交界にも伝手はあるので、婚約者の噂はあちこちから入ってくる。
「まさかお相手がブロワ侯爵令嬢だなんて、驚きましたねぇ」
「さすがにちょっと高嶺の花相手のような気もしますけれどね…第二王子のルード殿下もお熱だと聞きますし」
「え、そうなの!?カルロ、大丈夫かな…」
クローディアの住まうこのウェーデル国の国王には三人の王子がいる。カルロが護衛に就いている王太子は20歳になったばかりだが既に妃がいて現在懐妊中だ。第三王子は7歳でまだ婚約者はいないが、18歳になった第二王子には婚約者がいた筈だ。
その婚約者は社交界にはあまり出てこない令嬢らしく、クローディアが一通り噂を調べた程度では人となりはわからなかった。
「ブロワ侯爵令嬢…お嬢様は面識がおありですよね」
「ええ、レイチェル様よね。お茶会で何度か…親しいわけではないけれど。……恋敵が王子様だなんて、前途多難ね…」
クローディアはメアリとコルデーの顔を交互に見てから、ううん、と唸って紅茶を飲む。ほどよく冷めた紅茶はやわらかな葉の香りがして、先程まで飲んでいた花茶の甘やかな香りを払拭して頭をスッキリとさせてくれた。
「もう少し調べてみようかな。寂しいけど…カルロの恋を応援する気持ちは本当だし」
ぎゅっ、と両の拳を握りしめて自分に言い聞かせるようにわざわざ口にするクローディアに、にこやかに頷きながらメアリとコルデーはちらりと視線を合わせた。
その後、自室へと向かっていった主と別れたメイド二人は手早く居間を片付けていく。
「とはいえ、カルロ様はお嬢様のことがお好きなのは明白だと思うんだけど」
「同感。好きでもない女を膝に乗せてデレデレしてたらただの変態よ」
「お嬢様もお嬢様で、小さい頃からああいう距離感だった所為でちっとも気にしてないし」
「でも侯爵令嬢に惚れてるって噂、私達の耳にまで届くんだから相当広範囲に流れてるってことよね?」
「そして実際カルロ様は婚約破棄を告げにきたわけだし?」
うーん、とそこで二人は首を傾げる。
「まぁ、お嬢様が別の方と結婚なさって幸せになるのなら、それでも私達はいいのだけれど」
「そうね、ようはお嬢様が幸せであれば」
頷きあって、二人は部屋を出て行った。