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財閥の次男が年上のメイドさんに叱られる話『緑茶』

作者: 夏野レイジ



 

 ある春の櫻木シティタワーにて。

 日もどっぷりと暮れたマンションのロータリーに、一台のリムジンが入ってきた。

 静かに停まった車の扉からスーツを着た四季が顔を出す。

 その後ろに続くように出た同じくスーツ姿の立兎は、すぐに中を覗きこんだ。


「今日は楽しい時間をありがとうございました」

「ほっほっほ、こちらも楓山財閥の未来を支える若者と話し合えたのはとても有意義じゃった。今後とも何卒お願いしますぞ」

「もちろん」


 リムジンの中にいたのは、彼の祖父と同じような年齢の老夫だ。

 好々爺然としているが彼も日本を支える企業の代表取締役であり、今回立兎が父の代理として会食に出た相手だった。

 

 立兎の父、楓山央鹿は母の鳩子と諸用でアメリカに飛んだところに国際的トラブルに巻き込まれてしまい、意図せぬ滞在を余儀なくされていた。

 とは言ってもあちらの別荘で思いがけない休暇を楽しんでいるらしく、ちょくちょく写真が送られてくるのだが。


「それにしても楓山の家は秘書も若いのにしっかりしとりますな。うちに欲しいぐらいじゃわい」

「私には立兎様がおりますので」


 突然自分に向いた矛先に動じることなく、四季はぺこりと頭を下げる。

 今日の彼女は秘書として動いてもらっているため、その雰囲気は普段とは違い落ち着きが見えた。


 四季の対応に老人は見定めるように顎を撫でる。

 かの人物に人材勧誘の気があることはこの界隈でも有名な話だった。


「ガードが固いのぅ」

「ご趣味は他を当たってください、ご老人。きっといい人が見つかりますよ」


 彼女を庇うように立兎は四季の前に立つ。

 その口元は笑っていたが、目は鋭く発言を諫めている。


 そんな立兎に老人は肩をすくめた。


「おぉ怖い怖い、いっちょまえに覇気が漏れておるわい。馬に蹴られる前に退散するか。ではの」


 老人は運転手に声をかける。

 黒塗りのリムジンが夜の闇に消えるまで、二人はロータリーで見送った。





「つっかれたぁ」


 立兎は自分の部屋に戻った途端、ふかふかのソファーにダイブした。

 いくら経験しても、自分の父よりも年上の人たちとの会話は慣れることがない。

 それが日本経済に影響力を持つ老獪相手となれば尚更だ。


 彼らは表面上は穏やかに、しかし狡猾に腹の内を探ってくる。

 おいそれと気を許せない世界にいれば消耗するのは当たり前だった。


 そんな立兎に、後ろに控えた秘書モードの四季からお小言が飛んでくる。


「お疲れなのは分かりますけど、せめて部屋着に着替えてきてからくつろいでください。せっかくの服がシワになってしまいますよ」

「あー、うん。そうだね……よっと。上着をお願い」

「かしこまりました」

 

 ジャケットを脱いで渡し、自分の寝室に引っ込む。

 ささっと部屋着に着替えて戻ってくると、四季が今日あちらから貰った手土産をまとめてくれていた。


「ただいま」

「ここはもう立兎様のお部屋ですよ」

「ようやく帰ってきた実感が湧いてきたんだ」


 もう一度ソファーにどさりと座る。

 会話して食事を取るだけとは言ってもその疲労度は学校で授業を受けている時と比べても段違いに高かった。

 思わず愚痴も溢れるほどには。


「会食ってなんでわざわざ外で食べるんだろう。ビデオ通話しながら食事すればいいのに」

「お外の料理の方が美味しいからじゃないんですか?」

「そうかな。四季さんの料理の方が美味しいって思うことが結構あるよ」

「もう、からかうのはやめてください。一流のシェフ相手には敵いませんって」

「一流とかそういうんじゃなくて舌に合うんだよね」


 顔を俯かせて恥ずかしがる彼女の言葉を立兎は訂正する。


 この二年で立兎の好みはしっかりと四季に熟知されていた。

 どういう味付けがお気に入りか、どういう食材が好きか、どういう食べ方をするか。

 そのため自室では満足に食事が出来る反面、外食が物足りなくなることも多々あった。


「……今から作りましょうか?」

「さすがにさっき食べたばかりだし今はいいかな。明日のご飯がちょっと豪華になればうれしいけど」

「分かりましたっ。腕によりをかけて作りますね」


 秘書モードの四季は普段よりも穏やかだ。

 いや、おてんばの色が少し薄れていると言うべきか。

 服装で意識を変えているらしいが、それでも時々普段の彼女が見えるのもまた愛嬌だった。


「四季さんは元気だね……」

「私は後ろで控えていただけですから。普段とあまり変わりません」

「でもやっぱり気は張ってたでしょ。今日はもう休んでいいよ」

「坊っちゃま……はい、分かりました。では本日は秘書業をお休みさせてもらいますね。本日はおつかれさまでした」

「うん、おつかれさまー」


 そう言って彼女は部屋を出て行く。

 おやすみ、とは言わない。

 言葉にほんの少しの企みが含まれていることに気付いた立兎も、そうは返さなかった。

 

「ふわぁ……さすがに風呂は入っとかないと……」


 彼女が消えていった扉から視線をテーブルに戻してそう呟く。

 だがその瞳は眠気に負け、焦点が合っていなかった。


 意思とは正反対に意識は耐えきれず、ぼすっとソファーに倒れ込む。

 部屋に寝息混じりの静寂が横たわる。


 それからどれくらいの時間が経っただろう。


 ──コン、コンコン。


 立兎の寝息が深いものに変わった頃、静かな部屋に軽いノックが響いた。


『あれ? 坊っちゃま、坊っちゃまー。開けますよー?』


 オートロックが反応し、がちゃりと扉が開かれる。

 現れたのはスーツからメイド服を着た四季だった。

 おそるおそる部屋を覗いた彼女の視線が、ソファーの上ですやすやと寝息を立てている立兎を発見する。


 全てを理解した四季はあちゃあと額に手を当てた。


「もしかしてあのまま寝ちゃったんですか」

「ん、んぅ……」

「ぐっすりですねぇ。坊っちゃまー」


 耳元で囁きかけても、立兎の意識が覚醒することはない。

 楓山財閥の次男坊であろうとも、才気溢れる若者だったとしても、彼はまだ十六歳。

 体力は一介の男子高校生とそう変わらなかった。


 ソファー前にしゃがみこんだところで、彼がもぞりとその場で寝返りを打つ。

 

「四季、残念だったね……そっちはチョコじゃなくてキムチだよ……」

「わ、私に夢の中でまでいたずらするとは……そんな坊っちゃまにはこうしちゃいます。えいえい」


 頬を突っつかれる立兎だが、やはり起きる様子はない。

 四季は慈しむような笑みを浮かべ、すやすやと寝息を立てる彼の頭に手を乗せた。


「今日も頑張りましたね、坊っちゃま」





「……あれ、なんかいい匂いがする」


 意識が浮上した立兎が最初に感じたのは、甘いアロマの香りだった。

 ぱちりと目を開ければそこは見知った天井。視界の端で見えるカーテンの向こうにはまだ夜の闇が滲んでいる。


「四季さんみたいな匂いだ」

「私ってこんな匂いなんですか?」


 思わず述べた感想に問いかけが飛んでくる。

 立兎はそちらの方向を見ることなく、ぼんやりと言葉を続けた。


「うん。今にも踊り出しそうなほどポップで、でも傍にいるほど落ち着いてくるような感じで。それでいて自己主張しすぎない、春の陽気のように楽しい香りだ」

「は、恥ずかしくなってきたのでそれぐらいで勘弁していただけませんか……」


 声はテーブルを挟んだ右斜め前のウッドチェアから。

 頬を染めた四季がロングスカートの裾を掴んで震えていた。


「あれ、四季さんいたんだ」

「絶対気付いてましたよね!?」


 突然のことなら驚くかもしれないが、彼女が来るのは予想していた。

 だから先に入浴してさっぱりしようと思っていたのだが、どうにも身体がついていかなかったので仕方ない。


「いやだって秘書業はって言ってたから、絶対後一度は来ると思ってたし」

「う……あ、ど、どうぞ、兵庫の丹波茶です!」


 図星をつかれた四季は苦し紛れにマグカップを差し出す。

 立兎としてはもう少しからかっても良かったが、喉も乾いていたので素直に受け取ることにした。


 アロマとはまた違う豊潤な甘みが鼻腔をくすぐる。


「うん、いい香りだ」

「坊っちゃまは本当に緑茶がお好きですね。コーヒーの苦味はダメなのに、緑茶は大丈夫なんですか?」

「落ち着くんだよね。昔の使用人が好きだからよく飲んでたっていうのが大きいと思う。学校から家に帰るといつもその人が緑茶を淹れて待ってくれていたんだ」


 どこか遠くを見ながら立兎は語る。

 マグカップから上る白い湯気が、ゆらゆらと形なく動いて消えていく。


「久しぶりに坊っちゃまの昔話を聞いた気がします。普段はよくはぐらかされるので」

「あれ、そうだっけ」


 そういうところです、と四季の頬が膨れる。

 だが、立兎としてはあまり過去のことを話すつもりはなかった。

 昔あった楽しい出来事を話してしまえば、今の四季との時間が薄れてしまいそうだったから。


「まあいいです、いつものことですし。それでその使用人さんは今どちらに?」

「なんかね、自分の夢があるからってフランスに行っちゃったんだ」

「フランスですか!?」

「うん。なんでも服飾の勉強がしたくなったんだってさ」

「すごい人もいたんですねぇ……」


 ずずず、と四季は感心しながらお茶をすする。

 が、すぐに何かもやっとした表情を浮かべてマグカップを下ろした。


「あ、あのですね坊っちゃま。一つお聞きしたいことがあるんですけど」

「もしかして昔の使用人に嫉妬した?」

「いえその、嫉妬とかではなくただの確認と言いますか、私が嫉妬するのもおこがましいと言いますか、あのその……やっぱり無しでお願いします!」

「ダメです」

「ひえーん!」


 恥ずかしそうに顔を隠してしまう四季だが、今更『やっぱ無し』許す立兎ではなかった。

 彼女はいくらか視線を動かした後、決心して目を合わせてくる。


「その方と私の淹れた緑茶は、どちらが美味しいでしょうか!」

「……」

「あの、坊っちゃま?」

「単純な技量として見るなら向こうの方が上だね」

「ばっさり!」


 四季に対してからかいはすれど嘘をつきたくはないので、正直な感想を口にする。

 特に立兎の専属になった頃は、味が薄かったりまだ蒸し足りなかったりと散々だった。


「でも、最近は昔に比べて美味しくなったと思うよ」

「フォローしてくれるのは嬉しいですが納得できません。つーん」


 正直な意思を伝えたつもりがそっぽを向かれてしまった。

 どうやら立兎の回答は四季には不満だったらしい。


「私は坊っちゃまにいつでも最高のものを味わってほしいんです。だからジワジワじゃなくて、今すぐできるようになってみせます!」

「それは無理じゃないかな」

「辛辣すぎませんか!?」


 これまでの成長を鑑みた正当な評価である。

 ただし上達しているのは確かなので、そのうち同じような味が楽しめるだろうと確信もしていた。

 

「そのうちでいいよ。期待して待ってるから」

「坊っちゃま……はい、頑張ります!」


 ぐっとガッツポーズをして見せる四季。

 そんな彼女に立兎は一抹の不安を感じながら、お茶を啜るのであった。


 ……気合入り過ぎて空回りしないといいなぁ。

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