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ニチャーサ・オルタナティヴ

作者: 原純

息抜きに何も考えずに書いた短編です。気を楽にしてお読みください。




 私が目を覚ましたのは、7つの時だった。

 目を覚ましたというのは、眠りから覚めたという意味ではなく、まあそれも間違ってはいないのだけど、前世の記憶を取り戻したというか、今の私の人格が決定付けられたという意味だ。


 その時私は原因不明の高熱にうなされていて、一時は命の危険もあったらしい。

 けれどその後なんとか回復して、目が覚めてみたら前世の記憶を思い出していたというわけだ。


 私の前世は会社勤めのOLというやつで、だいたい日本の真ん中くらいにアパートを借りて独り暮らしをしていた。

 会社の友達も居ないし、地元は遠いしで、休日はだいたい1人で遊びに出かけたり、ゴロゴロして過ごしていた。

 趣味はあるし給料のほとんどをそれにつぎ込んではいるが、それは今はあまり関係がない。


 そんな私の密かな楽しみのひとつは、日曜朝の女児向けアニメ。

 「魔法王女カーマインUniverse」だった。




 魔法王女カーマインは、異世界を舞台にしたファンタジーなアクションアニメで、魔法王国フィアンマの姫であるカーマインが主人公だ。

 カーマインはポニーテールにした赤毛が鮮やかな、活発なお姫様だ。年は13で、普段はよく町娘の格好をして、マインと名前を変えて城下町で孤児院の手伝いをしている。事件の起きた日も、マインは孤児院で世話をしている女の子のために、町外れまでひとりタンポポを摘みに来ていた。


 そんな中、突如王城の上空が厚い雲に覆われ、ドス黒い雲が渦を巻いて、その中心から紫色の光がほとばしった。光は王城を包み込み、一瞬で石に変えると、徐々にその範囲を広げていき、ついには王都全体を石のオブジェに変えてしまった。

 

 マインはたまたま町外れにいたから助かったが、目の前の石にされた王都を見て愕然とする。

 そこへ現れた光の使者を名乗るマスコットキャラ、ハムスターにコウモリの羽が生えたデスモンによって光のカードを与えられ、魔法王女カーマインとして変身し、強力な魔法のカードの力を使えるようになる。

 そしてデスモンとふたり、王都をもとに戻すべく旅をすることになる。




 なんでこんな女児向けアニメの事なんて詳しく話してるのかと言うと、私が目覚めた体というのがこのアニメの登場人物、魔導帝国オプスキュリテの皇女、ノワールだったからだ。


 ノワールは魔法王国フィアンマの隣国、魔導帝国オプスキュリテの皇女で、カーマインと同い年だが、艶やかな黒髪をストレートに流した、少し大人っぽいキャラだ。フィアンマを石に変えたのはこのオプスキュリテであり、国全体を石に変えてエネルギー源とすることで、世界を支配するための魔導具の動力源にするためだ。

 そのオプスキュリテの皇女であるノワールは、最初はカーマインの行く手を阻むライバルとして登場する。だけどカーマインと戦ううちに次第に心を通わせて、最後は自分の母であるオプスキュリテの女皇、ダークネスに取り付いた悪魔をカーマインと協力して討ち滅ぼすというストーリーだ。


 私が最後に見ていた「魔法王女カーマインUniverse」はその第2期アニメで、1年後、今度は魔導帝国オプスキュリテが冒頭で水晶に変えられるところから始まる。

 隣国フィアンマにはかつて迷惑をかけたからと、1人で黙って解決しようとするノワールにカーマインは無理やりついていき、一緒に旅をする事になる…という展開だった。はず。途中までしか見られていないからわからないけど。



 前世の記憶を取り戻したからと言って、それまでの記憶をなくしたりはしなかった。

 昏睡状態の間、前世の一生を夢として見ていたような、そんな感覚だった。もちろん夢にしては異常にリアルだったし、細部まで細かかったし、これまでの人生も、夢の人生もどちらも現実だというのはすんなりと理解できた。


 目が覚めた私を女皇である母や、第一皇女である姉、ネラはたいそう甘やかした。

 それは昏睡する前の溺愛ぶりを考えれば当然ともいえることだった。この2人はいつでも、ノワールに甘かった。

 ノワールが、私が「できそこない」であるにも関わらず。


 この世界には「魔法」がある。

 どんな人物でも「魔力」を持ち、それを用いて「魔法」を使う。

 魔法の力は何もないところから炎や水を生み出したり、手を触れずに物を動かしたり、前世のアニメやゲームでよくあったような、ファンタスティックな力だ。


 隣国である魔法王国フィアンマには炎の魔法の使い手が多く、火という古くから人類とともにあった身近なエネルギーを自由に使える国として栄えていた。

 一方我が魔導帝国オプスキュリテは、闇の魔法が得意であった。姿を隠したり手を触れずに物を動かしたり、目に見えて派手というわけではないけれど、その分細かい制御や理論が発達し、魔法と道具を掛け合わせた、魔導具を生産して国の産業にしていた。


 そんな中で、この私、第2皇女ノワールは魔法を使うことができなかった。

 検査によれば、魔力自体は一般人をはるかに超える量を内包しているらしいのだが、それを一切アウトプットすることができなかったのだ。我が国自慢の魔導具さえ起動できなかった。


 皇族であるにもかかわらず、誰にでもできるはずのことができない。


 幼いころからその事で誰かに何かを言われたことはなかったが、前世を思い出した今ならわかる。

 それはたぶん、母や姉が私を守ってくれていたからだ。


 目を覚ましてからの私は、変わらずに甘やかし、可愛がろうとする2人に負い目を感じていた。




「…クラールハイト」


「はい、姫様」


 何の気無しに、部屋に控えていた私付きの侍女に話しかけた。


「どうしてお母様とお姉様は私を可愛がってくれるのかしら。私は魔法も使えないのに」


「姫様…。陛下やネラ殿下にとって、姫様という存在が、魔法などよりよほど大切だからではないでしょうか」


 そんなことは言われずともわかっている。

 というか、つい漏らしてしまったが、こんなことを侍女に言うつもりではなかった。

 無償の愛情を注いでくれる肉親に対する後ろめたさは、自分で思っている以上にストレスに感じていたのかもしれない。

 

 前世の私は、ここまで誰かから愛されたことなどなかった。別段、家族仲が悪かったということはないが、ドライというか、お互いに一歩引いているような。

 地元を離れて独り暮らしをしていたが、一度も実家に帰ったことはなかった。電話もかかってきたこともない。地元では姉が結婚し、すでに子供も生まれていたため、こちらのことなど忘れているのだろうと思っていたし、それに何も感じていなかった。


 だから余計に、こちらの母と姉の愛情には戸惑っていた。嬉しく思っているのは確かだ。温かな家族の愛情というものは、これほど幸せを感じるものなのかと思った。

 でも、それを受けるだけの価値が自分にあるのかわからなかった。


 OLだったらそれでも黙って笑顔でいられたはずだが、7歳に戻ってしまったことでそういう感情の制御も不安定になっているのかもしれない。


「…そうね。ごめんなさい。忘れてちょうだい。お母様とお姉様には黙っておいて」


「…はい」


 とは言っても、クラールハイトの雇い主は国であり、つまりお母様だ。私の日常のすべてについての報告義務があるだろう。

 やってしまった。

 物心ついてすぐあてがわれた侍女だったため、無意識に気が緩んでいた。


「…姫様。何か、ありましたか?」


「…何かって、何が?」


「お目覚めになられてから、少々…雰囲気が変わられたというか、急に大人になられたような」


 鋭い。

 私は冷や汗をかいた。


 私が物心ついてからずっと世話をしていたということは、クラールハイトにとって私は、言葉をしゃべるかどうかの頃からずっと見てきた子供ということだ。

 これまで無邪気に母に姉に甘えていた子供が、急にこんなことを言い出したら普通は怪訝に思うだろう。


 精神が7歳児に引っ張られているせいか、あまり深く考えたりしていなかった。


「…熱を出して…迷惑をかけたなって、思っただけよ。お母様やお姉様は、国のことでお忙しいのに」


「姫様。そこは「迷惑」ではなく「心配」と言うべきです」


 しどろもどろにひねり出した言い訳は、速攻で駄目出しをされた。

 確かにそうだ。肉親に対して言うべき言葉ではない。それを使うならば。


「…そうね。ごめんなさい。それからあなたたち使用人にも迷惑を…」


「姫様、怒りますよ」




 ノワールは愛されている。

 それは血のつながった肉親だけではなく、その身の回りの世話をする使用人たちにもだ。

 しかし、幼く、魔法も使うことができない私は、その愛情に返せるものが一切ないのだ。




 あれからしばらくが経ったが、あの日私がこぼした弱音が母や姉の耳に入ったという様子はなかった。

 クラールハイトはどうやら、律儀に私の命令を守ってくれているらしい。


 一方の私は、周囲から惜しみなく注がれる愛情に、心が軋む音を上げていた。

 城の図書館に入り浸り、魔法に関する書物や文献を読み漁った。過去に自分と同じ症状のものがいないか。魔法が失敗した場合、その原因はなんだったのか。そもそもなぜ人は魔法を使用できるのか。魔法の力を封印する手段などは存在するのか。


 しかしどれだけ探しても、求める内容を記したものは見つからなかった。

 私の焦りは限界に達し、何かに取りつかれたかのように、すでに読み終わった本を何度も読んでいた。



 ある日の晩餐のこと。母が私に声をかけた。


「ノワール。最近、図書館によく行っているそうね」


 びくり、と体が固まった。冷や汗が出てくる。呼吸が荒い。


「お勉強が好きなのかしら?えらいわね」


 姉が慈愛に満ちた眼差しで微笑んでくる。

 もうやめてくれ。吐きそうだ。


「…いえ、そういうわけでは。…あの…すみません、気分がすぐれないので…。部屋で休みます…」


 私は逃げるように食堂を飛び出し、自室に飛び込んだ。

 着替えもせずにベッドにもぐりこみ、頭からシーツをかぶって丸まった。


 しまった。あれはよくない行動だった。

 母も姉も何も悪くはない。ただ私を誉めてくれただけだ。

 私は勉強をするつもりだったのではなく、ただ自分の不出来をなんとかしたかっただけだったので、それがまた後ろめたく、耐えられなくなってしまったのだ。


 ドレスを着替えずにベッドに丸まっているのもよくない。

 これは寝るための服ではない。皺になってしまう。

 詳しくはわからないが、この国が帝国で、母が皇帝だということは、私が着ている服などはすべて税金から賄っているのだろう。

 国にとって何の役にも立たない私が、むやみに皺にしていいものではないのだ。


 ベッドから出なければならないが、体を動かす気力もわかない。


「姫様」


 控えめなノックの音の後、クラールハイトの声がした。


「ごめ…んなさい。気分がすぐれないの。一人にしておいて」


「ですが、寝巻はこちらにございます。お着替えをなさいませんと、お体に悪うございますよ」


 ドレスは普段用で、社交界などに着ていくようなガチガチにキマったものではないが、それでも寝巻などよりは圧迫感がある。

 しかしそれさえも、自分に対する罰だと思えば。

 いや、そもそも皺をつけてしまうのがよくない。


 私は着替える覚悟を決め、クラールハイトの入室を許した。


「こちらを…」


 クラールハイトの世話に任せ、のろのろと寝巻に着替える。


「…ドレス、皺になっていないかしら…」


「大丈夫です。このくらいならば、魔法できれいにできますよ」


「…そう…魔法で…」


「姫様…」


 クラールハイトの手が止まる。


「姫様、やはり、何かを隠しておいでですね?魔法が使えないということで、誰かに何か…」


「いいえ、違うわ。私が勝手に思っただけよ」


 咄嗟に否定した。

 普段私に接する人間は限られている。もし私が誰かからそういう仕打ちを受けたとすれば、それは容易に特定に至るだろう。

 ただでさえ家族や国に迷惑をかけている私が、さらに罪なき使用人に迷惑をかけるわけにはいかない。


「ではやはり、伏せっておられた間に何かがおありになったのですね?」


 これ以上、クラールハイトに黙っている事は出来ないかも知れない。

 以前のあの件を、クラールハイトは黙っていてくれた。それを思えば、すべて打ち明けてしまったとしても、そしてそれが荒唐無稽な話で、私の気が触れてしまったのだと思われたとしても、黙っていてくれるかもしれない。


 後から冷静に考えれば、さすがに一国の皇女がそのようなことになれば、黙っているわけがない。

 しかしこのときの私はそんなことまで気が回るほどの余裕がなかったし、そして事実、クラールハイトはこの時のことを生涯誰にも言わなかった。





「それで姫様は、あんなにも魔法に…」


 私の打ち明け話を聞いたクラールハイトは、顎に手をあて、考え込んだ。

 本来主人の前でするポーズではないが、クラールハイトにも、私にもそのようなことを気にする余裕はない。

 考え込むクラールハイトを、私は思いのほか軽くなった心もちで見つめた。

 やはり、悩み事というのは、誰かに話せばずいぶんと軽くなるようだ。

 話した内容として、一番ウェイトが大きかったのは異世界からの転生という部分だと思うのだが、クラールハイトが無意識につぶやいたのはあくまで私の変調のことだった。それだけでなんだか私は嬉しくなってしまった。


 クラールハイトは、こうしてみるとかなり整った顔立ちをしている。普段はメガネと、やぼったいキャップで髪を纏めているため、目立たないが、実にもったいない。確か、まだかなり若かったはずだ。姉と同い年だったと思う。私がもうじき8歳になるが、クラールハイトは確か15歳くらいだ。10歳くらいの頃から私に仕えていてくれた計算になる。


「それにしても、異世界ですか…」


 ようやく、クラールハイトの思考がそこへ到達したらしい。


「ええ。荒唐無稽で信じられないかも知れないけれど、少なくとも私にとっては真実よ」


「いえ、疑うことはありません」


「そう?テレビとかスマホとか、自動車とか飛行機とか、信じられない物もたくさん説明したと思うけど」


「いいえ、それらは聞いていて何となく理解はできました。むしろ逆に…」


「逆?」


「いいえ、なんでもございません。しかし、要約しますと、姫様は文字通り、急激にさまざまな知識が増え、精神が大人に近づいてしまわれたために、ご自身のお立場と状況から、これまで気にしていなかったことが気になるようになり、お悩みになられていたということですね」


「…まあ、要約すればそういうことね。要約すればね」


 けっこう、長い間話をしていたと思うのだが、ざっくりとまとめられてしまった。


「…ありがとうクラールハイト。あなたに話したおかげで、ずいぶんと気が楽になったわ」


「勿体ないお言葉です。姫様のお力になれたのならそれ以上のことはございません」


「まあ、根本的な解決になるわけではないけれど…」


 私が魔法を使えない理由は不明なままだ。


「姫様、その異世界の、あにめという物語のなかで、姫様をモデルにした登場人物は魔法を使えないということはなかったのですか?」


 アニメと前世の私についてまだ微妙に勘違いしているようだが、面倒なのでスルーすることにした。

 魔法王女カーマインにおけるノワールは、むしろ魔法の力が弱いカーマインに対する対比として、強大な魔力を有するライバルとして描かれていた。いや、それ自体は今の私も同じなのだが、肝心のその魔力を使うことができない。

 あのノワールはなぜ魔法が使えたんだろう。そして私にはなぜできないのだろう。


「フィアンマの王女、カーマイン様は、別段魔法の力が弱いという話は聞いておりませんが…」


 ここでもアニメとの違いがあるようだ。アニメのカーマインは、魔法の力が弱い自分のことがコンプレックスになっていたが、マスコットキャラのデスモンと契約し変身することで強力な魔法を使うことができるようになり、悪魔を滅ぼすことに成功するのだ。


「いまの私の状況は、どちらかといえばカーマインのほうに似ているわね…」


 なら、マスコットキャラを見つければ私も変身して魔法が使えるようになるかもしれない。


「…いや、ないわ。だいたいマスコットキャラって何なの。それだったら今すぐ突然魔法の力に覚醒する方がまだ可能性が高いわ。この世界なら」


 それにマスコットキャラなどいなくとも、ノワールは変身していたような気がする。

 もともと魔法の力が強いのなら、変身などわざわざせずとも構わないはずであり、何の意味があったのだろうと思っていた。

 それにあの魔法のカードだ。あのようなもの、こちらの世界には存在しない。

 どうせ、変身後のコスチュームの販促とか、カード型アイテムの販促とか、そういう大人の事情があったのだろうが。


「それよりも、姫様」


「なにかしら?」


「落ち着かれたのでしたら、陛下やネラ殿下に、謝りにいかれてはいかがですか?おふたりとも、大層心配していらっしゃいましたよ」


 もっともだ。あの態度はよくなかった。何と言い訳するべきかわからないが…いや、正直に「魔法が使えないということを悩んでいる」と言ってしまおう。女皇であり、国一番の魔女でもある母ならば、何かいい案を思いつくかもしれない。


「お気づきでなかったかもしれませんが、姫様はこのところ、ずっと塞ぎがちでございました。陛下はそれを大層心配しておられました。今日の晩餐でも、それでつい、ああおっしゃられたのではないでしょうか」


 バレていた。

 まあ、当然と言える。あれだけダダ甘やかしていた娘が塞ぎがちになれば、お母様ならそれは心配するだろう。


「…そうね。もう寝巻に着替えてしまったけれど、謝りに行こうかしら」


「本来であればお着替えいただくところですが…。ご家族のもとを訪れるのに、寝巻ではいけないということもないでしょう。姫様はまだ8歳ですし。ただ夜は冷えますので、ガウンをお召しください」


「ええ、ありがとう」


 ガウンを羽織り、クラールハイトを伴って、私は母の寝室を訪ねた。


「お母様には、また心配をかけてしまったわ…」


「そうでございますね。ですが大丈夫ですよ。きっと許していただけます。陛下は姫様を大切に想ってらっしゃいますから」


「ありがとう…。それより、さっき私を8歳って言ったけど、私はまだ7歳よ」


「もうすぐ誕生パーティがございますでしょう?すぐのことですよ」


 8歳の誕生パーティ。

 何か、引っかかるような気がする。ノワール8歳。つまり13歳の5年前──


「!」


 そうだ。思い出した。

 アニメでは、確か女皇ダークネスが悪魔に魅入られたのが5年前の話だったはずだ。

 つまりそれは、もうすぐのことだ。


「姫様!?」


 私はクラールハイトを置いて走り出した。

 妙な胸騒ぎを感じる。アニメでは悪魔に魅入られた理由については語られていただろうか。覚えていない。でもあの優しい母が悪魔の誘惑に乗るなど、よほどのことがなければありえないと思う。何かがあったはずだ。悪魔に魂を売ってでも成し遂げたい何かが。

 それはなんだろう。国の運営だろうか。いや、詳しくは知らないが、魔導具の輸出などでかなりの利益を上げていたはずだ。すくなくとも経済が破綻したりなどということは聞いたことがない。

 国の運営でないとすればなんだろう。国の運営以外で、母が悩みを抱えるような。


「私のせいなの…?」


 私が突然昏睡したりしたから。

 いつまでたっても魔法が使えるようにならないから。

 せっかく誉めてあげたのに、拗ねて部屋に戻ったりしてしまうから。


「お母様…!」


 今すぐ謝らなければ。


 そんなに距離が離れているわけでもないはずの母の寝室に、どれだけ走ってもたどり着けない。こんなことはありえない。ありえないが、気ばかり焦ってしまっていて、実は大して走っていないのかもしれない。


 ようやくたどり着いた寝室の扉からは、明らかにこの世ならざる何かが滲みだしていた。


「姫様!…これは!?」


「お母様!」


 私は居ても立ってもいられず、扉に飛びついた。


「いけません!お下がりください!これは危険です!」


 クラールハイトが私を扉から引きはがそうとするが、私はドアノブを掴んで離さない。

 そのままドアノブをひねり、クラールハイトがなおも私を引いたために扉は勢いよく開かれた。


「お母様!おか…」


 部屋の中では、黒い闇を凝縮したような、穢らわしい霧が人の形をとったような、そんな姿の何かが、左手に本を開き、右腕にぐったりとしたお母様を抱えて立っていた。


「これは…陛下!だれか!だれかないか!」


『ムダダ…コノ一帯ハ、ワレノ支配下ニアる。お前の声はどこへも届かぬ』


 耳障りな声が、ラジオの選局を合わせたように、途中から急にクリアになった。それがまた言いようもなく気持ち悪い。低いのか高いのか、それさえ判然としない。


「お母様に何をした!離せ!」


『何もしてはいない。この女が我を喚んだのだ。この本に封じられていた我をな。この女はその負荷に耐えられず、気を失ったにすぎぬ。それより貴様たちこそ、なぜここへ入って来られた?ここには我の結界が敷いてあったはずだ』


 結界とは魔力を用いて構築する不可視の領域のことで、術者が認めたもの以外の立ち入りを拒絶したり、攻撃などの結界内への侵入を防いだりする力がある。図書館で読んだ本に書いてあった。


「お前の結界が雑魚いだけでしょう!そんなことよりお母様を離しなさい!」


 私はずかずかとお母様の寝室に足を踏み入れた。皇帝の寝室だ。本来なら許可がなければ入室は決して許されないが、狼藉者を排除するためだ。大目に見てもらおう。


「ひ、ひめ…さま…危険…お下がり…ぐう…」


 クラールハイトは部屋には入って来られないようだ。そちらも心配だが、今はお母様だ。


『しかもここまで近づくことができるとは…貴様何者なのだ』


「こっちだって近づきたくて近づいてるわけじゃないわ!お母様を離しなさいったら!それとも会話のキャッチボールが出来ない残念な人なのかしら!」


『…この女の体を頂こうと思っていたのだが…貴様のほうが面白そうだ』


 どさり、と黒い霧人間がお母様をその場に捨てた。


「お母様!あなたね離せってそういう…」


『《精神支配》』


「きゃあっ!」


 黒い霧人間から何かとてつもなく嫌なものが放たれ、私の中に入り込んでくる。


「姫様!?ぐっ…この…部屋に…入れない…!姫様!姫様!」


 遠く、クラールハイトが私を呼ぶ声が聞こえる。

 しかし私の意識は、次第に闇にのまれていった。




 暗闇の中、ただ漂っているような感覚がある。

 意識ははっきりしているけれど、何も見えないし、体も動かせない。

 これはあれか。さっきの黒い霧人間が放ってきた嫌なもの、奴は《精神支配》とか言っていたけど、その効果を私が受けたということだろうか。

 ということは、私の精神は今、奴に支配されているということになる。

 その割には動けないくらいで、割と自由な精神を確保できているような気がするけど、私の思っている精神支配と奴の思っている精神支配は違うのだろうか。


 しかし奴の言葉を信じるならば、もともと奴はこの力でお母様を支配しようとしていたということになる。魔力量なら断トツの私が乱入したため、標的を私に切り替えたようだが。

 それを考えれば、まあ良かったと言えるのかもしれない。

 こんな事を言ったらたぶんクラールハイトやお母様たちに怒られるだろうが、私がお母様の身代わりになることで、これまでの愛情を少しでも返せたなら、良かったと思う。

 私があの黒い霧…おそらく悪魔に乗っ取られても、どうせ魔法を使えるわけじゃないし、仮に悪魔が私の魔力を引き出せたとしても、あの国にはお母様もお姉様も、あまり会ったことはないけど魔導騎士団もいる。私一人くらいたやすく討伐できるだろう。


 まだ7年…8年しか生きていないが、それにしては十分すぎるほどの幸せをすでにもらっている。

 この暗闇の中であとどのくらい私が生きているのかわからないが、もういいだろう。早く消えてしまいたい。


 ふと、遠くに明かりが見えた。


 いや見えたところで動けないし、と思っていたら、ゆっくりと、その光の方へ近づいていくようだ。

 光はよく見れば、四角い画面だった。あれは前世で見慣れた私の部屋のテレビだ。ニチアサを見るために奮発して購入した42型の4Kテレビである。


 画面の中は、部屋だった。見覚えのある狭い部屋の中で、誰かがテレビを見ている。

 この画面は、その誰かの視点から見える風景のようだ。テレビ画面にはニチアサの「魔法王女カーマインUniverse」が流れている。

 この視点は前世の私の視点だ。前世の私がどんな顔をしていたのか、もう思い出せないが、このニチアサの風景だけは鮮烈に覚えている。


『あーやっぱり魔法王女カーマインはマジ尊いわ』


 声が聞こえる。これは私の声だ。聞いたことがない声だが、私の声だと直感的にわかった。


『無印じゃ語られなかったけど、やっぱダークネスが悪魔の誘惑に乗ったのは』


 今、テレビで流れているのはUniverseだ。では無印で語られなかったその理由は、続編で語られたのか。


『ノワールたんのためだったんだね』


 ざっ、と血の気が下がった気がした。体もないのに不思議なことだが。

 私のために、お母様は悪魔と…?


『ノワールに魔法の力を宿らせるために悪魔と契約するとはね…そのために隣国すべてが生贄になるって知ってたらやんなかったんだろうけど。母の愛かあ』


 ああそうか。やはりそうだったのか。

 国の運営も、跡継ぎのお姉様にも何の問題もない。


 何の悩みもないはずのお母様が、そんな誘惑に負けるなんて、どう考えても私のため以外にありえなかった。

 でも大丈夫。お母様の願いは叶わなかったけど、代わりにフィアンマに酷い事をせずに済む。

 フィアンマが石に変えられるのは今から5年後だけど、それだけあれば私の討伐なんて。


『Universeで敵に操られたノワールたんを助けるために自ら命を投げ出すとか…女皇様マジ尊い」


 ああ。

 そうだ。

 お母様なら間違いなくそうするだろう。

 自分を犠牲にして、私が助かる可能性がわずかにでもあるのなら、迷わずそうするはずだ。

 少なくとも、積極的に討伐なんてするはずがない。せいぜい封印などして解決策を探る時間を捻出するくらいだ。

 それはお姉様も、それとたぶんクラールハイトも同じだろう。


 私が国や民たちに危害を加えようとしたならば、体を張って止めるだろう。

 最悪だ。私が身代わりになったところで、何も良くなかった。

 この悪魔が私の体を乗っ取り、私の体で何かし始める前に、どうにかしなければならない。


 しかしどうすればいいのだろう。今私にできることなどなにもない。なにせ体すら手元にはないのだ。

 意識だけははっきりしているし、謎のテレビを通じて前世の私を見ているが、それだけで何かができるとは思えない。


 私に魔法が使えれば、なんとかなったかもしれない。

 意識だけのこの状態で魔法が使えるかはわからないが、魔法の力は身体能力に影響を受けないというのは図書館で読んだ研究資料に書いてあった。それが本当なら、意識だけの存在でも魔法は行使できるはずだ。


 私は魔力量だけならば世界屈指のはずだ。

 ただ、発動できない…アウトプットできないだけだ。


 この世界はアニメじゃない。アニメのように都合よくマスコットキャラが現れて魔法のカードを授けてくれたりはしない。

 マスコットキャラでなくてもなんでもいい。カードでもなんでも、どこかに何か。


『いいなぁ。魔法のカードかぁ。私のカードでも魔法が使えたらな…』


 カード…。私のカード…。

 そうだ、私はカードを持っていた。ただし、このアニメのキャラグッズのカードではない。さすがにそれは、いい年をして買うのはちょっと厳しかった。


『このソーサリー・ストラテジーのカードで…なんて、いい年して何言ってんだろ』


 世界的に人気のあるカードゲーム、ソーサリー・ストラテジー。

 私はそのゲームにハマり、大人の財力を駆使し、特殊な加工違いの限定品などを除いたほとんどすべてのカードを網羅していた。

 日曜日はこうして朝の子供向け番組を見て、それが終わればカードショップにでかけ、近所の子供たちに交じって対戦をするのが常だった。

 そこで友人でもできればよかったのだが、そういったところへくる大人の人は、なんというか、常に早口でしゃべったりしていて、少し怖かったため、あまりそういう雰囲気にはならなかった。いや、今それはどうでもよい。


 何か、掴んだような気がした。


 今の私には体がない。この暗闇の中で、精神だけの存在と言えるだろう。

 五感のうちのどれかを封じると、別の感覚が鋭くなることがあるという。

 では体すべてを失った今の私は、残された精神が研ぎ澄まされているのかもしれない。

 だからだろうか。直感といおうか、ソーサリー・ストラテジーのカードのことを思ったとき、これだ!という確信があった。


 私はその感覚を忘れないよう、今掴んだものを必死に握りしめた。


『!?』


 その瞬間、画面がぶれるように視界が揺れた。視界にはテレビ画面しか映っておらず、自身の体もないため何がどう揺れたのかはまったくわからない。だが今はそのようなことにかかずらっている時ではない。


 カード、カードだ。私のソーサリー・ストラテジーのカード。

 ストレージボックスいくつぶんになるかもわからない。いつかアパートの床が抜けるのでは、と心配になるほど集めに集めた、魂のカード。


 カードで魔法が使えるというのなら、私に限ってはあのカードたち以外にはあり得ない。


 体もないのに不思議な感覚だが、全身が熱を持っているような気がする。

 きっとこれが魔力というものなのだろう。

 多い多いと言われてきたが、これまで自分で感じた事はなかった。


 あの悪魔はまだ私の魔力を手に入れていないのだろうか。

 どちらでもいい。今、使えるのなら使うだけだ。


 あの悪魔の力を払う魔法を!

 ただそれだけを願う。急がなければ何がどうなるかわからない。

 今、私は精神支配とやらを受けている。まずはこれをどうにかしなければ。


 精神支配…。悪魔が私に対して発動した…魔法?

 相手の発動した魔法を無効にする効果…。あれなら…いや、あのカードはソーサリー・ストラテジーではすでに効果が発揮されてしまっている魔法に対しては無力だった。

 では、すでに発動している魔法の効果を…しかし本当に悪魔の使う力が魔法であるのかどうかはわからない。

 面倒だ。もうフィールドのすべての効果を無効にするカードでいい。

 本来は禁止カードだが関係ない。

 どうせジャッジなどいない。


 そして私はさっき掴んだ何かを握りしめたまま、心の中で叫んだ。


(エフェクト・イレイザー!)


 その瞬間、私の視界は白く塗りつぶされ──




 目を開けると、お母様の寝室だった。


 目の前には倒れたお母様。そして寝室の入り口で倒れ込むようにしてうずくまり、こちらを見上げるクラールハイト。


「ひ、姫様…?」


 お母様の傍らには…悪魔?

 先ほどまでの黒い霧に覆われた不快な姿はすっかり消え去り、黒い髪に黒いドレス、赤い瞳をし、頭から角、背中からはコウモリのような羽、そして尻尾を生やした私と同い年くらいの女の子が立っている。


 あとなぜか私の左手はその尻尾を握りしめていた。


「…なんで私があなたの尻尾を握りしめているのかしら?」


『こっちが聞きたいわ!貴様の精神を支配してやろうと魔法を放ち、意識を飛ばしたまではよかったが、それ以上まったく侵食していかぬ!』


 では私はまだ悪魔に屈してはいなかったということだろうか。意識を失い、夢をみていただけなのだろうか。


『どうしたものかと思っておれば、意識も戻っておらぬのに急に我の尻尾を引っ掴み、握りしめる始末だ!』


 なんてこと。

 確かに掴んだ私だけの魔法だと思っていたら、悪魔の尻尾だったとは。


 しかし私がこうして自分を取り戻し、悪魔がその姿を晒しているということは、悪魔の放った精神支配の、やつが言うにはやはり魔法であったようだが、その魔法は打ち消せたということだ。


 右手にはたしかに、カードを握りしめていた。


 そのカードには『エフェクト・イレイザー』と書いてあり、古めかしいデザインのイラストと、「発動されているすべての効果をこのターンの間無効にする」というシンプルな効果が書いてある。

 私が前世でこのカードを入手した時点ではすでに禁止カードに指定されていたため、実際にこうして使用するのは初めてだ。こうしたカードゲームでは、効果がシンプルなほど強い傾向にあり、特に古いカードは一枚で戦況をひっくり返してしまう力を秘めたものがごろごろしている。


 今の状況がまさにそれである。


『あげくに我の発動していたすべての魔法を打ち消すその力!本当に貴様は一体何なのだ!』


「口のきき方に気をつけなさい、悪魔」


 動揺はいまだ収まってはいない。しかし、ここで引いてはいけない。

 今私が握っているのは悪魔の尻尾。たしかそういう名前のカードがあった。

 私がよく参考にしていた、有志によるカードの解説サイトでは、カードの効果やこれまでの裁定の例のみならず、カードの元になったと思われる伝説や神話、言語などについても解説されていた。


 悪魔の尻尾は、元になったのはフランスの民話、そのまま悪魔の尻尾というお話である。

 もともと悪魔に契約書を握られていた青年が、ひょんなことから悪魔の尻尾を人質にとり、悪魔を脅して契約書と金をせしめるとか、そんな内容だったはずだ。

 カードの効果もそれにちなんでか「発動後、相手フィールドまたは相手の手札のカード一枚を、ゲーム終了まで使用不能にする」というかなりえげつない効果だった。もちろんこれも禁止カードである。


 私の手には悪魔の尻尾。そして今、悪魔の魔法の効果は消えている。


「お前の尻尾の運命は今、私の手に握られているのよ」


『貴様…』


「この尻尾が可愛いのなら…」


 どうしようか。死ね、などと言うのは現実的ではない。どれほど尻尾が可愛かろうと、自分の命と天秤にかける者はいまい。

 私の言うことを聞きなさい、というのも考えものだ。このいっとき、言うことを聞かせたとしても、どれほどの効力があるのかわからないし、根本的な解決にならない。


 私の手札はこの《エフェクト・イレイザー》だけだ。

 と、思っていたら、いつの間にか右手には何も持っていなかった。

 カードの効果は永続ではなく使い切りのため、使用したカードとして霊廟に…使用済みカード置き場などに行ってしまったのだろうか。


 しかし動揺してはいけない。なんだかわからないが、悪魔の魔法は私には完璧には通じていなかった。ならば、悪魔にとって未だ私は得体のしれない存在であるはずだ。カードが手から消えたのも、想定のうちだという顔をしておくべきだ。


『尻尾が可愛いのなら、なんだというのだ…。我に何をさせたい…』


 少なくとも、交渉の余地はありそうだ。

 しかし、うまい手が思いつかない。

 いっそ、この悪魔が私のカード、プレイヤーの手足となって攻撃などをしたりする、ユニットカードにでもなればいいのに。


 その時、またしても何かを掴んだ気がした。

 今度こそ、何か余計なものを掴んでいたりはしない。


 私がさっき、《エフェクト・イレイザー》のカードを手にした時、心に強く思っていたのは、あの前世の部屋の押入れのことだった。

 そこにうず高く積まれた、カード収納用ストレージボックス。

 あの中には私のコレクションのすべてが入っていた。

 ゲームをする際に必要な、カードを集めて構築するデッキという束には、同じカードは基本的に3枚まで入れることが出来る。そのため私はすべてのカードは最低3枚ずつ持っていた。


 その中にたったひとつ、一枚だけしか持っていないカードがあった。


 カードパックを購入した際に、本来であれば入っていたはずのレアカードと引き換えに偶然手に入れた、ミスプリントの真っ白いカードだ。


 パックを開けて驚愕し、二度見し、レアカードが入っていないことを怒ればいいのか、普通であればありえない物が入っていたことを喜べばいいのか、微妙な気分だった。

 裏面はきちんとカード共通のデザインがプリントされていたことがまた私のコレクター魂をくすぐった。

 何重にもカードスリーブをかぶせ、ひっそりとストレージボックスの一番奥にしまっておいたあの、何者でもないカード。


 あれをもう一度この手にできたなら。

 そしてこの悪魔をインクとして使い、あのカードに印刷できたなら。


 普通に考えれば荒唐無稽な話だが、魔法は心のチカラだ。図書館で読んだ本に書いてあった。

 あまりに抽象的で、魔法が使える人間が読むこと前提の事しか書いてなかったため、一通り読んだ後本棚にしまい、後日焦ってまた読み返したり、とにかく何度も読んだあの本。


 であれば、私のこの膨大な魔力を使い、それが実現できないだろうか。


 強く思う。

 容易なことだ。何も描いてないカードであるが、何度も眺めたカードでもある。


 そう、こんなスリーブに何重にもいれて…。


「あ…」


 いつの間にか右手に握っていたのはそのカードだ。

 ご丁寧にスリーブ付きである。

 ならば。


「悪魔、お前に相応しい要求が決まったわ」


『何…というか決まってないのに脅していたのか貴様は!』


「そんなこと、どうでもいいでしょう」


 私は白いカードを掲げて言った。


「このカードに宿りなさい」


『…何を言っているんだ貴様…。そんな小さなカードに、入れるはずがないだろう』


 何を言っているんだろうこいつは。もともとこいつは本から出てきたのではないのか。

 それとも本はよくて、カードは駄目なのだろうか。

 容量の違いだろうか。本一冊分のデータ量だとしたら、意外と少ないような気もするが。

 しかし、今更引くわけにはいかない。


「うるさいわね。いいから入りなさい!」


 私は左手に握った尻尾を右手のカードに押し付けた。

 

 すると吸い込まれるように左手からカードへ尻尾が溶け込み、そのままするするとカードへ沈んでいく。

 私は驚いて尻尾を離してしまった。


『な!何をしている貴様!ああ!我の尻尾が!あ、引っ張られる…待て待て待て待て』


 カードはグイグイ悪魔を吸い込んでいく。

 ランプの魔人がランプから出てくるシーンの逆再生みたいだ。

 一方の右手のカードからは何の反動も感じられない。まったく非現実的な光景だ。


『あああああぁぁぁぁぁぁ…』


 しゅぽん。


 という音がなったわけではないが、そのくらい気持ちよく悪魔は消え去ってしまった。


「ひめ…さま…?い、いまのは…」


 ようやく立ち上がったクラールハイトが私に尋ねる。しかしどう答えたものだろう。


「私の魔法…かしら?」


「魔法…お使いになれるようになったのですね」


 いや、今重要なのはそこではないと思うが。


「とりあえず、お母様をベッドに寝かせましょう。それから…お母様に謝るのは明日にしましょう。今日はこのまま部屋に戻って…」


 どう説明しよう。しかしクラールハイトならば、わかってくれるかもしれない。


「まあ、それから話してあげるわ。今の事。ちょっと長くなるかもしれないけど」




 翌日、お母様は悪魔の事は何も覚えていなかった。もともと悪魔を喚び出すのに使っていた本は念の為回収してきたが、その本が無くなった事さえ気づいていないようだった。

 本はすべてのページが白紙になっていた。元の状態を知らないので元々白紙だったのかもしれない。




 それから5年が経ち、私は13歳になった。隣国フィアンマは平和なままだ。もちろん、オプスキュリテもだ。


 悪魔はあれから、時折呼び出して話し相手にしている。

 どういう生態をしているのか、私の成長に合わせて悪魔の見た目も成長するようで、元々私と髪の色や背丈が同じため、最近では影武者などに仕立てられないか考えている。

 そう言うと嫌そうな顔をするが、これが意外と満更でもないときの顔であることが分かる程度には会話を重ねている。


 クラールハイトは変わりない。いつもどおり私の世話をし、良き理解者で居てくれる。

 どう説明していいかわからないため、私が魔法の力を手に入れた事は誰にも話していない。2人だけの秘密だ。

 いずれは私を心配しているお母様やお姉様に打ち明けたいが、私がふさぎ込んだりしなくなったせいか、お母様たちも以前ほど心配そうに私を見ることはない。

 いつか私が独り立ちするときまでには、話せたらいいと思っている。




 ストーリーはアニメ通りにはいかないようだが、平和ならそれに越したことはない。アニメのストーリーでは悲劇の起きた国をもとに戻すことでハッピーエンドになったが、それはマイナスをゼロにしただけだ。初めからマイナスにならなければ、ゼロのままであり、ハッピーエンド時と同じと言える。


 つまり、最初からハッピーだということだ。

 なら、きっと明日もハッピーになるだろう。



 カード名:《名もなき悪魔》

 種別  :ユニットカード

 効果  :発動後、このカードはプレイヤーの話し相手となり、ときに支え、ときに叱咤する。

      ※このカードの効果は無効にできない。このカードは戦闘で破壊されない。





お読みいただきありがとうございました。

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