97話 預言
ソフィアが杖を一振りすると、アルテを取り囲んでいる同級生たちはあっさりと動きを止めた。
彼ら彼女らはもう、アルテに暴力を振るおうとはしなかった。
いや、できなかったのだ。
ソフィアの膨大な魔力量を前にすれば、どの一年生の魔法耐性も紙切れのようなものだったからだ。
ソフィアは傷一つつけず、彼らを呪文で拘束し、その動きを止めたのだった。
アルテは呆然として、その場に横たわったままだった。。
さっきまで自分に馬乗りになり、拳を叩き込もうとしていた男子生徒をちらりと見る。
彼の顔は不自然に引きつり、目は大きく見開いていた。
そこにあるのは、ただただ、純粋な恐怖だった。
アルテが彼らを痛めつけていたときですら、そんな表情は見せなかった。
ソフィアの圧倒的な力を畏怖しているのだろう。
ソフィアは小さな歩幅でこちらに歩いてくると、アルテに手を差し伸べた。
彼女の金色の美しい髪がふわりと揺れ、翡翠色の大きな瞳がアルテを見つめる。
「えっと、大丈夫? あなたの名前は?」
「……アルテ。一年のアルテです」
「そう。わたしは、二年のソフィア」
名乗られなくても、アルテは相手の名前を知っていた。
ただ、遠目から見たことはあっても、まだ話せたことはなかった。
自分と同じ九歳で魔法学校に入学して、自分よりも優秀だという天才少女ソフィア。
ずっと話してみたかった相手が目の前にいる。
ソフィアは柔らかく微笑んだ。
その笑顔は大人びて見えて、本当に美しかった。
ソフィアはアルテの頭をそっと撫でた。
「怖かったよね?」
「はい」
アルテは素直にうなずき、そして、そのことに驚いた。
普段の負けず嫌いのアルテなら、他人に弱みを見せるなんて絶対にしない。
きっと相手がソフィアだからだ。
ソフィアが自分よりも力があるのは明らかで、だからこそ、アルテはソフィアの前でなら素直になれて、彼女になら甘えられると思った。
急にソフィアは後ろを振り返ると、そばにいた年上の少年に話しかけた。
「ソロンくん、これでよかった?」
「もちろん。さすがソフィア」
少年が穏やかな声で言うと、ソフィアは翡翠色の瞳を輝かせた。
この少年は何者だろう?
ソフィアとは違って、どう見ても、大した魔法の才能はなさそうだ。
なのに、この少年と話すとき、ソフィアはとても嬉しそうな顔をした。
アルテは胸の奥がもやっとするのを感じた。
たぶん、それは嫉妬だったのだろう。
その日から、アルテは後輩としてソフィアと、そしてソロンと交流するようになった。
☆
アルテがそこまで思い出したとき、フローラがネクロポリスの壁を調べながら、小声でささやいた。
「知ってる? あのとき、お姉ちゃんを助けようと聖女様に言ったのは、ソロン先輩だったんだよ」
薄々気づいていはいた。
今思い返してみると、あのころのソフィアはソロンにべったりで、しかもかなり繊細な性格をしていた。
自分一人の判断でアルテたちを助けようとしたわけではないのかもしれない。
「でも、実際に助けてくれたのが、聖女様だったのは変わらないじゃない」
「けど、ソロン先輩がいなければ、あのままお姉ちゃんが酷い目にあい続けていたよ。それに、お姉ちゃんが他の子に怪我をさせたことも黙っててくれたし」
事実をありのままに学校に報告すれば、フローラやアルテに暴力を振るった同級生たちだけでなく、反撃をしたアルテにも処分がなされるのは明らかだった。
アルテのせいで、同級生たちのなかにはけっこうひどい怪我を負っていた者もいた。
喧嘩両成敗でアルテも退学処分ということもありえた。
そうならなかったのは、ソロンが双方の言い分を聞いて、その場で内々に処理したからだった。
ソロンは「妹のためを思ってやったことなのだから、同情の余地はあるけどね。でも、やりすぎはいけないよ」と諭すようにアルテに告げた。
大した力もないくせに偉そうに、とアルテは内心で思ったが、何も言わなかった。
同級生たちも、退学や停学になっては困るので、ソロンの提案を受け入れていた。
目の前のフローラがつぶやく。
「私たちは、きっとまたソロン先輩に助けてもらうことになるよ」
「なにそれ? 預言かなにか?」
「うん。……私はいちおう占星術師だし」
「あたしたちみたいな一流の魔術師が、なんであんな弱い人に助けられるわけ?」
「翼虎と戦ったときだって、お姉ちゃん、ソロン先輩に助けてもらってたような……」
フローラが小声で異議を唱えたが、アルテが鋭く睨むと、フローラは押し黙った。
どのみち、ソロンは死んだに違いないのだ。
フィリアたちは、そしてフローラはソロンのことを生きていると思っているみたいだけれど、さすがにその可能性はないだろう。
常にアルテの前に立ちはだかっていたソロンは、ついにいなくなった。
喜ぶべきことのはずなのに、胸にどこか空虚感があるのはどうしてだろうか。
アルテは余計な考えを振り払った。
ともかく今は攻略に集中しよう。
名誉と、魔王の力を手に入れ、そして聖女を取り戻すのだ。
そう思ってアルテが一歩前へ進んだ瞬間、遺跡の床が大きく揺れた。
地を割くような轟音が響く。
「な、なに?」
アルテの声は、他の冒険者たちの叫びにかき消された。
遺跡の壁が、天井が、床が割れ、そこから魔族が溢れてくる。
「敵襲ですぞ!」
後ろのほうからノタラスの鋭い声が聞こえる。
アルテは杖を振り、魔族の群れを焼き払ったが、とめどなく魔族は現れる。
そこに遺跡の崩壊が加わり、攻略隊は完全に混乱して、もはや統率がとれない状態になっていた。
こうなったら、とりあえず敵を倒すしかない。
アルテは歯ぎしりをし、もう一度、杖を高くかざした。
 






