91話 陥穽
犠牲を出しながらも、俺たちはなんとか第七層の攻略を終えた。
一人の剣士の男が大理石の床をじっと見つめていた。
そこには人型の黒い影があった。
翼虎の放った業火によって、命を落とした冒険者の痕跡だった。
その剣士は涙ひとつ見せなかったが、冒険者の死を悲しんでいるのは明らかだった。
おそらく仲間だったのだろう。
彼は恨みのこもった目で、クレオンたちを見ていた。
もう一人の犠牲となった魔術師の死体のそばでは、その仲間と思われる少女たちが嗚咽をもらしていた。
そうした声を聞くだけで、他の冒険者たちの戦意は下がる。
次は自分の番かもしれない。
クレオンは魔術師の死体のそばに近寄ると、「手厚く埋葬しよう」と言って、泣いている仲間たちを慰めようとしていた。
彼女たちは死体を地上に連れて帰りたいと訴えていたが、クレオンの立場を想像すれば、そういうわけにはいかないと思う。
まだ攻略の前途は長く、遺骸を持っていけるほどの余裕はないのだった。
ともかく、翼虎の死により、第七層の最奥にあった巨大な扉が開いた。
いろいろな準備を終えた後、さらに深い層へと俺たちは進むことになる。
休息をとるあいだ、フィリアが全体に対して労いの言葉をかけていた。
形だけとはいえ、攻略隊の総指揮官らしい雰囲気が出ている。
リサが俺のそばに寄ってきて、ささやく。
「ソロンさん! 無事で良かったです」
「ありがとう。危ないところだったよ」
「でも、カッコ良かったですよ! 賢者様をたった一人で命がけでかばって、成功させちゃったんですから!」
聖ソフィア騎士団に憧れのあるリサにとっては、賢者アルテも尊敬の対象なのかもしれない。
リサは目をきらきらさせながら、俺を上目遣いに見つめた。
ちょっと苦笑してしまう。
それに、俺はそんなにすごいことをしたわけじゃない。
「あれはフローラが助けてくれたおかげだよ」
そういえば、フローラに礼を言っていない。
俺はフローラを探したが、見当たらなかった。
どこへ行ったんだろう?
クレオンがいよいよ再度の出発を宣言しようとしたとき。
床の下、側面の壁から、遥かに高い天井から、激しく響く音がした。
「なんですか、この音?」
リサが不思議そうに天井を見上げた。
嫌な予感がする。
次の瞬間、大理石の床にひびが走り、間をおかず崩れ始めた。
「崩落するぞ! 第八層の扉へ走れ!」
クレオンが叫んだが、その声が他の冒険者たちの悲鳴でかき消された。
七層の地盤が崩れ、下の階層へと落ちかけている。
クレオンの言うとおり、第八層への階段を先に降りてしまうことが必要だ。
ラスカロスとナーシャがフィリアを連れて、第八層へと走り出す。
俺も駆け出そうとしたが、その前に俺の隣のリサがぐらりと揺れた。
リサの立っていた床が崩れたのだった。
「きゃあっっっっ!」
悲鳴を挙げるリサの手を間一髪のところでつかむ。
リサの身体は床の下にあり、その下には真っ暗な闇が広がっていた。
俺の腕のみを頼りにぶら下がっているリサを、俺は力を入れて引き上げる。
涙目のリサが俺を見つめる。
「あ、ありがとうございました」
「どういたしまして。ともかく、早くここを離れないと……」
大多数の冒険者は難を逃れ、安全な第八層への階段へと移ったようだった。
あと広間に残っているのは、俺たちと、クレオン、カレリアの二人のようだった。
カレリアも同様に崩落に巻き込まれかけ、そこをクレオンに助けてもらっていたのか、赤い顔でクレオンにお礼を言っていた。
俺たちは立ち上がり、穴だらけの床を歩きはじめようとした。
遺跡の崩落はたまにあるけど、ここまで大規模なのは珍しい。
もしかすると、これも遺跡に仕掛けられた罠なのかもしれない。
古代王国の末裔がその過去の宮殿を守るために、ネクロポリスに罠を仕掛けたという話は事前に調べていた。
そうだとすれば、もっと凝った仕組みがあってもおかしくないな、と考え、俺は上を見上げた。
天井からなにか降ってくる。
とっさに俺はリサを突き飛ばした。
リサが悲鳴を上げて、尻もちをついていたが、俺の判断は正解だった。
上から落ちてきたのは泥状の魔族だった。
俺は宝剣テトラコルドを抜いて一閃させた。
魔族は一刀両断され死んだが、問題はその次だった。
泥状の魔族の死体はかなりの質量があるようだった。
同じ床に俺も乗っている。
そして、この層の床は崩壊しかけだ。
大理石の床はあっさりと崩れた。
「ソロン!」
広間の端からフィリアの悲痛な叫び声が聞こえる。
リサも大きく目を見開き、落ちていく俺を見つめていた。
暗闇のなかへと背中から吸い込まれていき、俺は遠ざかっていく光を見ながら思った。
これは死んだな、と。
死を目前にしたわりには意外と冷静なものだな、と自分のことながら思ったけれど、残されたフィリアたちのことを思うと後悔の念に駆られた。
フィリアを守るのは、ラスカロスたちに期待するしかない。
それに、師匠としてフィリアにもうなにか教えてあげることもできない。ソフィア、クラリス、ルーシィといった人たちの顔が浮かぶ。
俺は固く目をつぶった。
強い衝撃とともに、俺は地面に叩きつけられた。
おそるおそる俺は起き上がった。
真っ暗だ。
けれど、死んではいない。
泥状の魔族の死体に包まれて、それがクッションになったのだと思う。
それと、床の下の次の層が、意外と離れていなかったためでもある。
第七層と第八層の中間の空間に俺は落ちたのだった。
「光を」
俺は宝剣で軽く床を叩いた。
そうすると、ぼうっとした薄く白い明かりがあたりを包む。
あたりは狭い洞穴のようになっていて、その隅に俺は意外な人物がいるのを認めた。
「クレオン?」
「ああ。どうやら、ここに落ちたのは、僕と君だけみたいだな」
聖騎士の純白の衣服に、紫色の魔族の泥をかぶり、クレオンは不機嫌そうな顔で俺にうなずいてみせた。






