79話 魔力と契約
ルーシィはその日の夜には俺の屋敷にやってきた。
荷物は後から送るという。
もともと魔法学校の教員用の寮に住んでいたから、大した私物も持っていないし、引き払うのも簡単なんだろう。
フィリアはルーシィと知り合いだし、人好きのクラリスもルーシィが俺の屋敷に住むことに反対しなかった。
ただ一人、ソフィアだけはちょっと困ったような顔をしたけれど、結局、うなずいてくれた。
べつに二人の仲が悪いというわけではなくて、むしろソフィアはルーシィのことを天才教官として尊敬していたようだし、ルーシィもソフィアを優秀な生徒として高く評価していた。
ただ、魔法学校時代から二人のあいだには微妙な緊張感があった。
それが何によるものかはわからないけれど。
俺は屋敷のなかを案内しつつ、ひとしきりこれまでの事情を説明した。
特にネクロポリスの魔王復活が計画されており、それが軍事利用のためでもあるらしいという話をルーシィは熱心に聞いていた。
「負け続きの戦争自体を早く終わらせてしまうべきなのよ」
ルーシィは断言した。
もともとルーシィは新首相ストラスにも辛口だったし、クレオンの救国騎士団結成にも否定的のようだった。
二階に上がると、ルーシィが寝室の一つを指さした。
「じゃあ、私はこの部屋を使わしてもらうから」
俺たちの寝ている部屋は屋敷二階の東側だ。
ルーシィの部屋は廊下の反対側にあたる西の隅になる。
「ソロンと同じ部屋じゃなくていいの?」
フィリアがからかうようにルーシィに尋ねる。
ルーシィは笑いながら、フィリアを見下ろした。
「ええ」
ルーシィは、俺とフィリアたちが変なことをしないように見張ると言っていた。
だからルーシィも俺と同じ部屋で寝るとか言い出すかもしれないと思っていたのだけれど。
でも、さすがに違ったらしい。
俺はほっとした。
さすがに同じ部屋におけるベッドの数にはかぎりがある。
けど、ルーシィは俺の顔を見ると、くすっと笑い、真紅の髪を指先でいじった。
嫌な予感がする。
長い付き合いだからわかるけれど、ルーシィがこういう仕草をしているときは、おかしなことを考えている確率がすごく高い。
別の部屋を使うと言ったのにはなにか意図があるのかもしれない。
「さて、っと。さっそくフィリアの魔力暴走対策をしましょうか」
ルーシィはびしっとフィリアを指さし、杖を取り出した。
ここでやるつもりなんだろうか?
フィリアが魔力を暴走させてしまえば、俺の屋敷が大火事になるかもしれないけれど。
「安心して。この対策をするときに暴走の心配はないわ。ソロン、魔力量の二つの要素が、魔法の質にどう影響するか説明できる?」
そんなことは魔法学校の一年生が習うことだ。
俺は戸惑いながら答える。
「人はそれぞれ自分の身体のなかに魔力を有していて、その量は人によって違います。そして、身体に張り巡らされた魔力経路を通して、その魔力量をどれだけ効率良く魔法に転換できるか。この二つで魔法の成否が決まってきます」
「正解。もともと持っている魔力量のほうは変えられないけど、それをうまく使いこなせさえすれば、高度な魔術が使えるってことね。フィリアはすごくたくさんの魔力量を持っているけど、それを使いこなせてないわ」
ルーシィはやはりフィリアが魔王の子孫であると知っていたらしい。
魔王の子孫は通常の人間では絶対に持っていないような魔力量を持つ。
フィリアが何の訓練も経ないまま、その膨大な魔力を全力で杖に通そうとすれば、杖は耐えれず魔力は暴走する。
それがルーシィの説明だった。
たしかにフィリアの魔法が暴走したのは、強力な魔法を放とうと意識したときだったみたいだ。
「魔王の子孫が特別なのは、その魔力量だけではないわ。魔力の転換効率がものすごく高いの」
「六割とかそのぐらいですか?」
「いいえ。天才の私でさえ魔力量の七割ぐらいしか魔法に転換できないのに、魔王の子孫なら九割五分を超えるの」
俺は息を呑んだ。
ほとんどすべて、ということだ。
ルーシィが俺とフィリアを見比べる。
「魔王の子孫の魔力量と高い魔法への転換効率は優れた武器になる。けれど、普通の人と違って魔力が強すぎて暴走させてしまう危険があるってことね。だったら、どうすればいいと思う?」
魔力の量のほうは生まれついてのものだから、変えられない。
なら、魔法への転換効率のほうを低くすればいい。
俺がそう答えると、ルーシィはうなずいた。
「そのとおり。だから、フィリアの魔力経路を縛ってしまえばいいの」
「でも、どうやるんです? そんな魔法、聞いたことがないですよ」
「そうね。別の誰かと魔力経路をつなぐことが必要になるわ。そして外部からフィリアの魔力量を調節するの」
「それってつまり、アルテが魔王の子孫たちにやったのと同じことをするってことですか?」
俺は心配になった。
アルテは魔王の子孫の少女たちを虐待し、その魔力を無理やり吸い上げて、ひどい目に合わせた。
魔力は人間の生命力の一部で、それを無理に他人が奪えば、少なくとも廃人化するはずだ。
「大丈夫。その調節者が悪意を持って魔力を利用しようとしなければ、フィリアがそんなふうになったりしないから」
「でも、その調節する誰かが、フィリアの魔力量に目がくらまないと言いきれるでしょうか」
魔力の量は魔術師の能力を決定的に左右する。
もしその調節者がフィリアを踏み台にしようと思えば、より高位の魔術師となることも可能になるだろう。
けれど、ルーシィは自信に満ちていた。
「大丈夫。絶対にフィリアを裏切らない人が一人いるでしょう?」
「……俺のことですか? たしかに俺はフィリア様の魔力を利用しようとしたりしませんが……」
「決まりね。フィリアもソロンとなら、魔力経路をつないでもいいでしょう?」
フィリアは一瞬のためらいもなく、「もちろん!」と弾んだ声でうなずいた。
ルーシィに言われるまま、フィリアは俺に手を重ねた。
俺は一瞬どきっとし、それからフィリアの瞳を見た。
「本当にいいんですか? 俺はフィリア様の命を握ったも同然の立場になるんですよ?」
「大丈夫。だって、わたしはソロンのことを信じているから」
フィリアは柔らかく微笑んだ。
ルーシィの指示通り、フィリアが魔力経路をつなぐ契約の呪文を唱え始める。
「わたしの生命の道はあなたのもの」
フィリアが綺麗な声で言い終わると、その対となる呪文を俺が唱える。
「あなたの道は私の道でもあります」
たったその二言だけで、契約は終わった。
なにか一筋の暖かいものが流れこんでくる。
わずかだが、フィリアの魔力が俺に向かって流れてきているのだ。
それは、フィリアも同じだったみたいだ。
「これでソロンとわたしは一つになったんだよね」
ルーシィが慌てて横から口をはさむ。
「単に魔力経路がつながっただけだから!」
「でも、わたしのなかにソロンがいるっていう感覚があるの」
フィリアが嬉しそうに言う。
ともかくまずはフィリアの魔術訓練の障害がなくなったことを喜ぶべきだろう。
それもこれも、ルーシィのおかげだ。
ルーシィは、冷遇されていた皇女フィリアに肩入れしている。
その理由は、やはりフィリアが魔王の子孫で、その魔力で偉大な魔術師になることを期待しているからだろうか?
俺が尋ねると、ルーシィは首を横に振った。
「それもあるけど、もっと別の理由があるわ」
「別の理由?」
「フィリア、そしてソロンには、この帝国の未来を背負ってもらうの」
ルーシィは独り言のようにつぶやいた。






