78話 真紅のルーシィの嫉妬
大図書館の蔵書数はさすがというべきで、ネクロポリスについてもかなりの情報が集められた。
フローラの去った後、十分とまでは言えないけれど、遺跡の構造や敵の性質について、役に立つ知識を仕入れることができた。
死都ネクロポリスは地下に少なくとも二十層まで広がっていると考えられている。
少なくとも、というのは地下二十層までしか到達した冒険者がいないからだ。
たった一人だけ二十層まで到達したのは、半世紀前の伝説的な勇者のペリクレスだった。
後にも先にも彼より優れた勇者はいないと歌われ、実際に廃都レルムの守護者を一人で倒すなどの功績を彼は挙げていた。
その実力は当時の他の冒険者とあまりにも隔絶していた。だから、彼にとってはどれほど優秀な聖女だろうが賢者だろうが、足手まといにしかならなかった。
だから、彼は常に孤高の人で、一人で遺跡の攻略に臨んでいた。
まさにペリクレスは史上最強の冒険者だった。
それでも、彼はネクロポリス攻略に失敗した。
ペリクレスは二十層で重傷を負い、命からがら地上への脱出には成功したものの、その数日後に傷病死した。
俺はある日記帳を閉架の書棚から取り出す。
ペリクレスの書いたものだ。
俺はつぶやく。
「誰かが最近この本を読んでいますね」
「どうしてわかるの?」
俺はフィリアの疑問に答えた。
「この本だけホコリが少ないんです。他の周りの本は開くだけで、ホコリの嵐が巻き起こるのに」
おそらくフローラが見たのだろう。
もしかするとクレオンたちも確認済みかもしれない。
俺はその日記を開き、最後の日付の行に目を走らせる。
ペリクレスがネクロポリス攻略に失敗して、自室で死んだ日だ。
「なにか邪悪で怖ろしい巨大なものと、人の姿をした光り輝く者が、私を襲った。私は神に裏切られたのだ」
日記にはそう書かれていた。
フィリアが首をかしげる。
「これ、どういう意味なのかな?」
「さあ。『邪悪で怖ろしい巨大なもの』というのは、フローラの言っていた魔王のことかもしれません。ですが、後半となると、よく意味がわかりませんね」
人の姿をした光り輝く者が何なのか。
例えば、精霊の類の者なら、人間型の容姿をとることがある。
精霊は魔力の集合体であり、そして魔力のもとの持ち主の姿を真似るからだ。
けど、ペリクレスほどの冒険者なら、精霊を見分けることはできたはずで、もしそうなら日記にもそう書くだろう。
結論は得られないまま、俺たちは仕方なく二十層よりも手前の中位層の構造や敵の種族などを調べた。
ペリクレス以外にも多くの冒険者がネクロポリス攻略に挑んでいるが、結局、ネクロポリスの第二層までが完全に解放されたにすぎず、後はまだ魔族の巣窟であるというのが現状だった。
今日はネクロポリスについて調べるのは、ここまでにしておこう。
それよりも重要なことがある。
フィリアの魔力がなぜ暴走したか、だ。
この問題をなんとかしない限り、また同じことを繰り返し、フィリアをいつまでたっても成長させられない。
けど、こっちの問題を調べるのは、より困難だった。
なにせ魔王の子孫は希少な存在で、ほとんど文献がない。
あっても迷信やおとぎ話のようなものばかりだ。
「なにも……見つからないね」
フィリアがちょっと元気なさそうに言う。
うーん。
困った。
あんまりフィリアをがっかりさせたくないけれど、解決の糸口が見つからない。
俺とフィリアが閲覧席の隅でため息をついていると、足音が聞こえた。
誰だろう?
俺は少しだけ警戒した。
もしフローラの話が本当なら、救国騎士団の誰かがフィリアを拉致しに来てもおかしくない。
けれど、本棚の陰からひょこっと現れたのは、間違いなく俺の味方だった。
「探したのよ、ソロン。なんで私を頼らないわけ?」
その女性は頬を膨らませて言った。
すらりとした美人の彼女は、赤い髪をかきあげ、真紅の瞳で俺を睨んでいる。
魔法学校の師用のゆったりしたローブを着ているが、それすら真紅に染められている。
まさに「真紅」の二つ名がぴったりだ。
「ルーシィ先生! なんでここに!?」
俺が声を上げ、フィリアも意外そうに目を見張っていた。
そこにいたのは、帝立魔法学校教授にして、俺の師匠の「真紅のルーシィ」その人だった。
ルーシィは手に持った羽ペンをくるりと回すと、ジト目で俺を見た。
「ソロンのお屋敷のメイドさんから聞いたの。この図書館にあなたがいるって」
「ああ……そういうことですか」
ちょうど良かった。
ルーシィなら、フィリアの魔力の暴走についてもなにか力になってくれるかもしれない。
けど、ルーシィがとても機嫌が悪いということに俺は気づくべきだった。
ルーシィがさっと杖を抜くと、まっすぐに俺に向けた。
「ソロン……なにか言い残すことは?」
「い、言い残すことって……。まるで俺が死ぬかのようですね」
「ソロンは、フィリアとソフィアとメイドさんと一緒の家に住んでいるのよね? わざわざお屋敷を買って」
「はい……そうですが?」
「三人の女の子と同じ部屋で寝てるって聞いたわ」
「いや、そうですが、別にやましいことはないと言いますか……」
「へええ。お風呂上がりのフィリアを抱きしめたり、下着姿のソフィアといちゃついたりしているのに?」
「誰に聞いたんですか?」
「メイドの子。クラリスだっけ?」
俺は頭を抱えた。
ルーシィに「こんなことがあったんですよー」と楽しそうにぺらぺら喋るクラリスの姿が頭の中に思い浮かぶ。
しかもきっと誇張している。
「ソロン……」
フィリアが小声で口をはさむ。
俺のことを助けてくれるのかと期待したけれど、違った。
「ソフィアさんと下着姿でいちゃついていたってどういうことかなあ? わたし、はじめて聞いたよ?」
フィリアがにっこりと微笑む。
まずい。
フィリアにも誤解されている。
単にたまたまソフィアとクラリスの着替え中に出くわしてしまい、悲鳴を上げそうになったから落ち着かせようとしただけなんだけど。
でも、そう言っても信じてくれないような気がする。
ルーシィが俺を真紅の瞳で上目遣いに見て、小声で言う。
「ソロンの……お屋敷がアルテたちに襲われて、皇女イリス殿下にも殺されそうになったって聞いたわ」
「はい。でも、どちらもなんとかなりましたよ」
「私は、それを聞いてすごく心配したのよ。どうして私を頼ってくれなかったの?」
「先生に相談する時間がなかったんですよ」
どちらも急なことで、郊外の俺の屋敷から魔法学校まで行って助けを求める時間がなかったのだ。
「ふうん。なら、私も近くにいればいいんだ」
「へ?」
「私もソロンのお屋敷に住むから。決まりね」
「え……ええ!?」
「ソフィアがあなたのそばに戻ってきたときから不安だったの。騎士団だけじゃなくて、教会も政府も、ソフィアのことを利用しようとしてる。ソフィアを狙う人たちのせいで、ソロンもフィリアも危険な目にあうんじゃなかって思ってた」
七月党襲撃事件が決着したとき、ルーシィ一人だけが暗い顔をしていたのはそのせいだったのかもしれない。
しかも、ルーシィはより具体的に心配することがあるようにも見えた。
「ともかく、私もいたほうがフィリアたちを守るのにも都合がいいでしょう?」
「まあ、そうですが」
「それに、ソロンとこの子たちを一緒にしておいたら、どんなふしだらなことをするかわからないし」
フィリアがくすっと笑った。
「ルーシィはわたしたちに嫉妬してるんだね!」
「してない!」
ルーシィは顔を真っ赤にし、それからこほんと可愛らしい咳払いをした。
そして、杖をもう一度、俺に向け直す。
「さあ、ソロン。私もソロンのお屋敷に住むのを認める?」
「そ……その杖はなんですか?」
「脅しているわけじゃないわ」
「脅しているってことですよね?」
「取引よ。代わりに、ソロンたちが知りたがっていることを教えてあげてもいいわ。つまり、フィリアが正しく魔法を制御する方法を教えるってこと」
俺は目を見開いた。
やはりルーシィは知っていたのだ。
魔王の子孫が魔力を暴走させること、そして、その制御の方法を。
「どうする、ソロン?」
俺はため息をついた。
一方のルーシィはちょっと不安そうに俺を見つめている。
俺はゆっくりと言った。
「そんな取引なんてしませんよ」
ルーシィはすごく傷ついた顔をした。
そんな顔をしなくてもいいのに。
「やっぱり……私と一緒に住むのは嫌?」
「そんなこと言っていません。そんな取引なんてしなくても、俺はルーシィ先生のことを拒絶したりなんてしませんよ」
「え?」
「先生が俺の家にいてくれるというなら、とても心強いです。だって、ルーシィ先生は俺の師匠ですから」
俺はにっこり笑って、右手を差し出した。
ルーシィはそっと俺の手を握り返すと、恥ずかしそうに頬を染めた。
「そうね。あなたは私の弟子だものね」
↓の過去の活動報告にソロンとルーシィの短編(9月1日掲載)があります。今後もときどきこういう短編を活動報告に入れる予定ですので、よかったらお気に入りユーザーに追加していただければと思います!
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