76話 占星術師フローラの事情
青空を背に立つ大図書館を俺たちは見上げる。
フィリアが魔法を暴走させた翌日、俺は帝立トラキア大図書館にフィリアを連れてきていた。
「すごい……」
フィリアが感嘆の声を上げた。
大図書館の外壁は白い石で覆われており、正面には荘厳な円柱がいくつも立ち並び、柱頭には華やかな形状をしていた。
この建物は百年前にできたものだけれど、そのときの皇帝の趣味で古代風の様式にしたらしく、周囲の建築物との違いを際立たせていた。
なにより、大図書館の驚くべき点はその規模だ。
本館だけでも十分に大きいのに、その両翼にはほぼ同じぐらいの大きさの別館が増築されている。
建物に入ってすぐが広大なホールとなっていて、中央に巨大ならせん階段がある。
その脇の小部屋に受付があり、俺はそこの若い女性に声をかけた。
この図書館に入るには相応の身分を証明する必要がある。
といっても、魔法学校の卒業生と言う程度でも大丈夫だし、それほど入館者が限定されているわけではない。
フィリアが着ているのは、茶色の地味な町の少女が着るような服で、ぱっと見では正体はわからないと思う。
ただ、銀髪の可憐な容姿はかなり目立つし、そもそも入館時にはさすがにフィリアが皇女であるということを隠すわけにはいかない。
受付の女性は金髪で白い服を着ており、穏やかそうな感じの人だった。
女性が入館資格を尋ねると、フィリアがそれに弾んだ声で応じた。
「わたしは皇女フィリア。こっちが師匠の魔法剣士ソロン」
そして、フィリアは銀色に輝く双頭の鷲のブローチを見せた。
それは皇族である証だった。
女性がさっと顔色を変えて、立ち上がったので、俺は慌てた。
「ええと、お構いなく。フィリア様は、その、お忍びで来ているんです。従者も俺しかいませんし」
「ソロンさえいてくれれば、わたしは安心だものね」
くすっとフィリアが笑う。
女性は戸惑うようにしていたが、まあまあと俺はなだめ、普通の入館者として入れてもらった。
俺たちは赤い布が敷き詰められたらせん階段を登った。
吹き抜けの上の天井はガラス張りになっていて、日光が降り注いでいる。
遺跡に関する資料は三階の東棟に集中していたはずだ。
そこでネクロポリスのことが調べられる。
大量の本棚のあいだをかいくぐり、俺たちは目的の本を探そうとした。
古代王国関係の古ぼけた茶色の表紙を本をとろうと手を伸ばす。
すると、同じ本を取ろうとした人と手が触れ合った。
かなり細い女性の手だ。
こんなマニアックな本に用があるなんて、どんな人だろう?
俺は相手の顔を見て、ぎょっとした。
相手は一瞬、きょとんとした顔をして、それから可愛らしく首をかしげた。
黒髪黒目の抜群の美少女だった。
魔法学校の制服である紫の線の入ったローブを着ている。
そして、俺はその顔をよく見知っていた。
賢者アルテ……ではなく、その双子の妹の占星術師フローラだった。
旧聖ソフィア騎士団の幹部で、魔法学校時代の俺の後輩だ。
フローラは俺だとわかると、さぁっと顔を青ざめさせ、後ろを向いて逃げだそうとした。
反射的にフローラの腕をつかむ。
紳士的ではないかもしれなけれど、ここで逃がすわけにはいかない。
フローラはアルテに加担して俺の屋敷を襲撃した。
そのせいで憲兵隊に捕まったはずだし、今ごろは牢のなかだと思っていた。
「離してください!」
フローラが綺麗な声を上げて、じたばたとする。
ちょっとだけ俺は慌てた。
可憐な少女相手にあまり大声を上げられると、男の俺が悪者みたいだ。
周りに人はまったくいなし、この図書館は怖ろしく広いからあまり心配する必要はない。
けど、用心は必要だ。
仕方なく、俺はフィリアに言う。
「すみませんが、フローラを取り押さえるのに協力してください」
「了解!」
フィリアはフローラの正面に回りこむと、いきいきととびかかった。
「やっ、やめてくださ……い!」
フローラがくすぐったそうに身をよじる。
フィリアとフローラの二人はそれほど年齢差がない。
フローラはフィリアよりも三つ年上の17歳で、ちょうど姉と妹が戯れているように見えるはずだった。
俺が後ろからフローラを羽交い締めにしていなければ、だが。
しばらく暴れていたフローラも、やがて抵抗を諦めたようにうなだれた。
フローラは非力な方で、魔法の杖がなければ何の戦闘力もない。
俺とフィリアが手を離すと、がっくりとフローラは膝をつき、「ううっ……」と悲しそうにつぶやいた。
気が強くて傍若無人な姉のアルテと違い、妹のフローラは常に周囲のことを気にしている、気弱な子だった。
とりあえず、落ち着かせるために、一番気になっていることを聞いた。
「なんで学校の制服を着ているの? なにか仮装大会があるとか?」
「ち、違います!」
フローラはみるみる顔を赤くし、耳たぶまで真っ赤になった。
そんなに恥ずがしがらなくてもいいのに。
「そ、その、わたしはいちおうお尋ね者でしたし……正体を隠しておこうかと」
「俺の屋敷の襲撃の件だよね?」
「あっ、あのときはお姉ちゃんが無茶苦茶して、本当にすみませんでした! 許してください、なんでもしますから!」
どうやらフローラは俺に何か報復されるのではないかとびくびくしているらしい。
俺は苦笑いした。
「いいよ。そんなに怯えなくても、何もしない」
「ほ、本当ですか?」
「もし、この場でフローラになにかするんだったら、アルテをあの場で見逃したりしなかった」
「……そうですね。先輩はそういう人でした」
フローラはそうつぶやくと、ようやく落ち着いた様子を見せた。
俺は尋ねる。
「それで、なんで釈放されてるの?」
「……想像できると思いますけど、クレオン先輩が政府に働きかけたんです。私も、お姉ちゃんも、カレリアさんも一緒に解放されてます」
俺を追放したクレオンは、いまや首相ストラスたちの協力のもと、救国騎士団を結成していた。
政府中枢や皇帝官房第三部などともつながりがあるというし、フローラたちを釈放させる力があっても不思議な話ではない。
「なるほど。それで、フローラは新騎士団の幹部へ横すべりしたってわけか」
こくこくとフローラはうなずいた。
一度の戦闘で一度しか使えないとはいえ、フローラは規格外の攻撃力を誇る占星魔法を使える。
遺跡の強力な魔族を倒すにはもってこいの存在だし、クレオン救国騎士団にとっても貴重な戦力のはずだ。
しかし、魔法学校時代の制服を着て、こうして怯えたように縮こまっていると、フローラが高位の魔術師だという気は全然しない。
よくも悪くも賢者アルテは自分の力の強さを信じていて、それに相応する迫力があった。
けど、フローラにはそれがなく、本当にただの儚げな少女にしか見えない。
フローラは俺を上目遣いに見て、控え目な声で抗議した。
「あんまりじろじろと見ないでください。恥ずかしいんですから」
「べつに飛び級してなければ、今頃まだ学校にいただろうし、全然おかしくはないと思うけどね。よく似合ってるよ」
フローラはなぜか頬をますます赤くした。
「似合ってる、ですか。そうですか……」
フローラはつぶやくと、俺を黒く澄んだ瞳で見つめた。
俺が魔法学校にいたころ、学校で一番人気のアイドル的な少女といえば、ソフィアだった。
そして、その次に人気なのがアルテで、ソフィアと並ぶと、男子も女子もみな憧れの眼差しで二人を見ていた。
けれど、フローラの名前は生徒たちのあいだで全然上がらなかった。
姉のアルテの陰に隠れて、全然目立たなかったのだ。
けれど、本来は姉のアルテと同じ愛らしい容姿をしていて、端的にいってかなり可愛い。
むしろアルテみたいな強烈な性格をしていない分、フローラのほうが正統派美少女かもしれない。
俺はフローラに見つめられて、少しどきっとした。
そうしていたら、フィリアに腕をつねられた。
「ソロン……フローラさんに見とれていたでしょう」
「そんなことは……ありません」
俺が小声で答えると、フィリアが「ふうん」とつぶやき、俺をジト目で睨んだ。
フローラはといえば、どぎまぎした様子で、俺とフィリアを見て、そして、「ソロン先輩が私にみとれていた……そうですか」とぶつぶつとつぶやいていた。
そして、フローラは意を決したように、「私の話を聞いてくれますか?」と尋ねた。
俺がうなずくと、フローラは不思議なことを言った。
「先輩のお屋敷を私たちが襲ったときのこと、私がなにをしていたか、覚えていますか?」
「? そりゃ、もちろん」
フローラはアルテを戦いのさなか援護しようとした。
そして、一瞬でソフィアの魔法に吹き飛ばされ、戦闘から離脱していた。
つまり、まったく戦闘要員としては意味をなさなかったのだ。
フローラが言う。
「あれには理由があるんです」
「理由?」
「はい。私は全力を出していなかったんですよ。いえ、はじめから戦うつもりがなかったんです」
フローラはそう言うと、寂しそうに微笑んだ。






