71話 帝国大臣会議
「アレマニア・ファーレン共和国との戦争は一刻も早く終わらせるべきだ! 即時の単独講和しかもう道は残されていない!」
トラキア帝国財務大臣ウィッテは円卓を激しく叩いて立ち上がり、他の十一人の大臣たちを睨みつけた。
ここは帝都の灰宮殿のなかの一室だ。
トラキア帝国には皇帝の住む最も大きな皇宮以外にいくつかの宮殿がある。灰宮殿はそのうちの一つだった。
灰宮殿は名前のとおり、淡い灰色で外壁が統一されている。宮殿は千を軽く超えるドアと窓を備えていて、碧い大運河を背にその壮麗な姿を誇っていた。
そして、ウィッテたち大臣と皇帝がその灰宮殿の一室に集まっている。
この国の政治の最高決定機関である帝国大臣会議が開かれているのだ。
部屋に敷き詰められた赤い絨毯は波の模様を描き、高い天井では複雑な光を放つ豪勢なクリスタルシャンデリアが輝いている。
皇帝は奥の玉座に控えている。
そして、部屋の中央にある円卓を、十二人の大臣たちが囲んでいるのだ。
「落ち着いてくださいよ、ウィッテさん」
就任したばかりの首相ストラスが座ったまま、ウィッテに微笑みを返した。
ストラスはまだ三十代後半の元軍人だ。
六十を超えたウィッテよりもだいぶ若い。名門貴族の出身でもある。
一方のウィッテはたった一人の平民出身の大臣だった。
しかし、それにもかかわらず、彼は大臣の中でも財務大臣という要職を占めていた。
それは彼が極めて有能である証だった。
いまでは貴族待遇を受けているが、ただの官僚からここまで成り上がるのは容易ではなかった。
貴族の大臣たちとは質が違うのだ。
ウィッテはそう自負している。
ストラスが言う。
「この戦争は必ず帝国の勝利で終わります」
「勝てる勝てるといって、もう何年が経ちましたか? 四年ですぞ」
ウィッテは苦り切った顔で言った。
大共和戦争と呼ばれるこの戦いが始まったとき、帝国上層部は戦いの行く末を楽観視していた。
二週間もすれば、帝国の勝勢が明らかになるだろうと見ていたのだ。
ところが、敵のアレマニア・ファーレン共和国は予想外の強さを見せた。
この戦争のきっかけは、大陸全土へのさらなる拡張を図る帝国に対抗し、共和国が大陸東部の資源利権確保に動いたことだった。
帝国に従属するポルスカ王国は、共和国と帝国に挟まれ、豊かな資源に恵まれている。
そこで、共和国はポルスカ王国を自身の側に引き入れようとしたのだ。
その動きを察知した帝国軍が、ポルスカ王国の王都へと進軍を開始した。
それが今回の大共和戦争の始まりだった。
共和国は帝国の専制を批判し、帝国に脅かされている小国を組織して、共和連盟と呼ばれる多国家機構を作った。
当初は帝国優勢だった大共和戦争だが、しだいに勢力は均衡し、いまや帝国軍は負け続きとなっている。
「もはや帝国単独でアレマニア・ファーレン共和国と講和するしか道はない」
ウィッテのつぶやきに、国家後見大臣のグディンが反論する。
「同盟している諸王国を見捨てるのか? それに、そんなことをすればどうなる? 巨額の賠償金の支払い、領土の割譲、従属諸王国の離反、あらゆる大陸利権の喪失。到底許容できない」
「だからこそ、いま講和するしかないのだ。いまならまだ間に合う! もう国庫に資金はないんだ。農村部から兵士を徴集したせいで、食糧生産能力も落ちている。北西部の戦線はもはや崩壊寸前だ。このまま戦争を続ければ、確実に負ける。その後に来るのは……」
共和国の帝都のへの進駐。兵士と農民の反乱。そして革命だ。
さすがにウィッテは口には出さなかったが、他の大臣たちにも言いたいことは伝わったようだった。
ただでさえ、反政府組織の七月党もまだまだ力があるのに、最近では他にも複数の秘密結社が帝国の打倒を目指して暗躍をしている。
帝国政府が崩壊し、皇帝や貴族たちが殺戮されるという未来が現実のものとなりかねないのだ。
大臣たちはみな一様に暗い顔をしていた。
ただ一人、首相ストラスを除いては。
ストラスが自信に満ちた声で言った。
「栄光ある帝国は、共和国などに負けはしません。私にはこの戦争に勝つための秘策が無数にあります」
「私の長い役人人生のなかで、秘策という名のものが役に立った試しはありませんが」
ウィッテの皮肉を、ストラスは一笑に付した。
「それはその秘策が大したものではなかったからですよ。まずは二つばかりの策を用意してあります」
そして、ストラスが提案した戦争の打開策は二つあった。
一つは死都ネクロポリスに眠る魔王の復活と、その軍事利用だった。
ウィッテは失笑した。
「遺跡に古代王国を滅ぼした魔王が眠っている? そんなのはおとぎ話でしょう?」
「いえ、魔王は確実に存在します」
ストラスがあまりにも自信たっぷりだったので、ウィッテは少し気圧された。
座が静まり返ったのを見て、ストラスが続きを言った。
「クレオン救国騎士団を結成し、国家事業としてネクロポリス攻略を行わせるのも、魔王を蘇らせて、共和国戦線に投入するためですよ」
確かに魔王なんてものが実在し、それが共和国軍を殲滅してくれるのであれば、それは素晴らしいだろう。
古代王国を一瞬のうちに滅ぼし、無尽蔵の魔力で町々を焼き払ったという魔王。
そんなものがいたとして、どうやって復活させ、制御するつもりなのだろう?
ウィッテがそれを尋ねる前に、ストラスは二つ目の策を述べた。
「いわゆる冒険者と呼ばれる人々はかなりの力を持っています。それこそ国軍の大隊を優に凌ぐほどの力を持つ冒険者集団もいます」
「それがどうかされましたかな?」
「そういった彼らを強制的に徴兵するんですよ」
「……馬鹿な。冒険者という連中はあまり大勢での戦闘に向いていないはずですぞ。五、六人で遺跡を攻略するのであればともかく、対人戦闘のために軍に組み込めるとは思えんが」
「ウィッテさん。私は元軍人なんですよ。その私が大丈夫と言っているのだから、信用してくださらないと」
「では別の方面からお尋ねしたい。冒険者たちが行っている遺跡攻略は、いまや帝国経済にとっては欠かせないはずです。彼らが帝都本土からいなくなったら、前線へ補給するための物資に滞りが出るのではありませんか?」
「一瞬で片を付ければいいのです。私が首相となった以上は、この戦争は長引かせません。あとわずかで、大共和戦争は我々の勝利に終わります。……帝国に栄光を」
ウィッテ以外の大臣たちは、ストラスに続き、「帝国に栄光を」と斉唱した。
首相ストラスの言葉には不思議な迫力があったが、ウィッテはこの戦争がすぐに帝国の勝利で終わるなど、到底信じることができなかった。
他の大臣たちは、帝国の敗勢という現実から目をそらしているだけだ。
ストラスは最後に言った。
「冒険者の戦線投入にあたり、五人の偉大な魔術師を帝国軍強化の象徴といたしましょう。圧倒的な実力を持ち、そして人格や風采も優れた人物を先頭に立たせれば、士気もあがるというもの」
つまり、その五人が敵を殺す姿を大々的に宣伝するということだろう。
ストラスが提示した帝国五大魔導師とは、次の五人だった。
たった一人で難関遺跡攻略を行う孤高の勇者パルミア。
宮廷魔導師団団長である蒼血のディラッド。
帝立魔法学校学校長の大賢者グレン。
同じく帝立魔法学校の教授である真紅のルーシィ。
そして、最後の一人は、帝国教会の選んだ聖女、ソフィアだった。






