67話 屋敷へ戻るのは三人
伯爵令嬢の幼い少女エステルは処刑された。
そのことを疑う余地は、普通に考えればない。
少女の瞳は虚ろに見開かれ、光を失っていた。
胸にある大きな傷から流れる血で、少女の身につけていた布切れは赤く染められている。
「こんな、はずじゃ、なかったのに。ソロンは、この子の命を助けてくれるって約束してくれたのに」
フィリアがつぶやくと、糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
よほど辛かったのだと思う。
目の前で、自分に救いを求めた女の子が殺されてしまったのだから、当然だ。
俺はふっとかつての仲間の少女、シアが死んだときのことを思い出した。
シアも俺とクレオンに向かって「助けて!」と叫び、そして、その直後に惨殺された。
あのときほど、自分が無力だと感じたことはなかった。
ただ、今回は違う。
エステルはまだ生きている。
俺はガポンに言った。
「もう十分でしょう。反逆者の娘は処刑されました。これ以上、フィリア様のお心に負担をかければ……」
俺はフィリアをちらりと見た。
座り込むフィリアは、もう心がすり減りきって、立ち上がることもできないようだった。
本当なら、今すぐにでも駆け寄って、大丈夫だと声をかけてあげたいのだけれど、それはできない。
ともかく、この場を離れる必要がある。
ガポンは言った。
「まあ、良いだろう。君は皇女フィリア殿下の側近であり、そして、その君が七月党の逆賊の処断において容赦なく剣を振るった、という事実はできた」
「今日は、もうフィリア様の手で誰かを殺させたりということはしませんね」
「ああ。させようとしても、この様子ではとても無理だろう。帝国が反逆者を決して許さないという断固たる姿勢を示せたことに、満足せねばな。そして、もう一つの目的も果たせた」
ガポンは微笑を浮かべ、そして、その暗い闇色の瞳に、なにか不思議な光が灯った。
もう一つの目的とはなんだろう?
嫌な予感がする。
ガポンはエステル処刑の真相に気づいているんじゃないかと、俺は不安になった。
けれど、そんなはずはない。
ばれないように、万全を期したつもりだ。
ガポンはもう一つの目的を明かさないまま、俺に告げた。
「処刑はさせないとは言ったが、最後にフィリア殿下には、罪人の一斉射殺の命令を下していただきたい。一言おっしゃっていただくだけでよい。そうすれば、軍の魔法攻撃部隊がそこに並んでいる罪人たちを、速やかに死に至らしめるだろう」
そして、フィリアはお役御免として帰って良いということだった。
最初にフィリアに幼いエステルを殺させたのは一種の見せしめだ。
こんな幼い子どもでも、帝国は容赦しない。
家族の命が惜しければ、帝国に反逆するなということだろう。
さらに、罪人のなかでも特に重要な人物、たとえばポロスも個別に処刑される。
そして、残りの何割かは一斉に処分される。
その部分の命令をフィリアにくださせるということだった。
けれど、フィリアは首を横に振って、うつむいたままだった。
ガポンは顔をしかめると、やむを得ないという表情で、横に立つ官房第三部の役人ブラトスに耳打ちした。
ブラドスはよれよれの服を着たまま、暗い顔で短く宣言した。
「撃て」
その言葉と同時に、軍人たちが一斉に杖を構え、そして短く詠唱を行った。
次の瞬間には、無数の魔法攻撃の束が、処刑される人々の身体を貫いた。
七月党幹部の一人、泣き叫ぶことなく、静かに命を落とした。覚悟はできていたのだろう。
また、年老いた男は魔法攻撃に身を切り裂かれ、短くうめきながら絶命した。たぶん、七月党幹部の父親だ。
魔法攻撃にさらされた若い女性は、救いを求めて悲鳴を上げていたが、やがてその声は止み、物を言わぬ死体となった。
捕縛されていた少年も、痛みと苦しみに泣き叫びながら、殺されていった。
フィリアは大きく瞳を見開いたままだった。
早くフィリアを連れて帰らないといけない。
俺はそっとフィリアの背後に回ると、その小さな耳にささやきかけた。
「帰りましょう、フィリア様。ここは俺たちの居場所ではないんです」
「ソロン……あんなふうに人を殺すのが、正しいことなの?」
「帝国にとっては、そうなんだと思います」
結局のところ、フィリアがエステルを助けたいと思ったのも、私情といえば私情だ。
七月党の処刑は、帝国政府が決定したものであり、そして、それは七月党による陰謀に対する処罰という理由もあった。
そして、フィリアは皇族なのだから、国の決めたことに従い、粛々と処刑を行うのが正しいのかもしれない。
でも、目の前で自分に助けを求めるか弱い存在がいて、それを助けたいと思うのも、自然でとても大切な感情だ。
俺は師匠として、フィリアには、当たり前のように無抵抗な人々を殺すようになってほしくはなかった。
だから、フィリアがエステルを助けたいと望んだのなら、俺はそれを叶えてあげたい。
危ない橋を渡ることになるけれど。
エステルの「死体」は刑吏の一人によって片付けられようとしていた。
俺はブラドスとガポン、そしてイリスに辞去の挨拶を述べると、フィリアを連れて、さりげなくその刑吏の後を追った。
刑吏は近くの深い森に入った。
人影が周りになくなった後、俺は彼を呼び止め、いくらかの金銭を渡した。
エステルの「死体」を引き渡してもらうための賄賂だ。
刑吏は特に何も言わず、エステルを引き渡した。
彼はエステルが生きているとは気づかず、俺のことを何らかの理由で少女の死体が必要な男なのだと勘違いしてくれた。
世の中にはいろいろ変わった方がいますからな、とだけ彼は言い、そして金貨をポケットにしまった。
俺はため息をついた。
隣のフィリアが不思議そうに首をかしげている。
フィリアへの説明は屋敷に戻った後だ。
屋敷に戻るのは、俺とフィリア、そしてエステルだ。
そして、戻り次第、エステルの「蘇生」を行う必要がある。






