65話 泣き出す皇女
イリスはさっと顔色を変えた。
自分に異を唱えたガポンを、イリスは憎悪のこもった目で睨みつけていた。
「この私を愚か者だというのですか?」
「そのとおり。今の殿下には、愚か者という言葉こそがふさわしい。陛下がこのようなところをご覧になれば、イリス殿下にどのような罰をくだされるか……」
「ガポン! ちょっと陛下に気に入られているからって、皇女である私に対して、無礼です!」
「殿下。わかっておられますかな? 私が陛下にこの醜態をお伝えしてもよいのですぞ?」
カポンが低い声で言うと、イリスはびくっと震えた。
そして、イリスは悔しそうに黙った。
ガポンは皇帝に対して強い影響力を持っているらしい。
この傲岸な皇女イリスを黙らせることができるほどなのだから、ガポンの意見はよほど重要視されているんだろう。
イリスは不機嫌そうにガポンから目をそらし、つかつかと俺のほうへ向かって歩いてきた。
俺は警戒したが、イリスが用があったのは俺ではないらしい。
さっきまで俺と戦っていた少女の前にイリスは立った。
少尉の階級章をつけた少女は、善戦したけれど俺に敗れ、いまは地面に膝をついて両手を上げて無抵抗な状態になっていた。
軍服の少女はイリスを訝しげに見上げた。
次の瞬間、イリスは少女の腹を蹴り上げた。
「この役立たず! あなた、軍人なんでしょう!」
少女はその場に崩れ、痛みに顔を歪めた。
けれど、悲鳴は上げなかった。
軍人だからだろう。
イリスは今度は少女の背中を踏みつけた。
「仮にも帝国軍の将校でありながら、私に恥をかかせるなど……恥ずかしいとは思わないのですか!?」
「そんなに言うなら殿下がソロン殿を倒せばいいでしょう? できないんですか?」
少女は痛めつけられながらもにやりと笑った。
イリスは顔を赤くし、剣を抜いた。
まずい。
イリスは癇癪を起こして、この少女軍人を殺すつもりらしい。
少女の上に振りかざされた剣は弾き返された。
俺が宝剣を使って、少女をかばったからだ。
「イリス殿下……ご自身のために戦った臣下の命を奪うつもりですか?」
「それのなにが悪いっていうの!?」
イリスは剣を構え、そして、俺へ向かって踏み込んだ。
甘い。
俺は剣をまっすぐに振り下ろし、皇女イリスの剣をとらえる。
イリスの剣は、宝剣テトラコルドの剣撃に耐えきれず、あっさりと砕けちった。
愕然とした表情のイリスに、俺は剣を突きつけた。
「人に対して剣を振るう資格があるのは、自身もまた剣によって命を奪われる覚悟のある者だけです。殿下はその覚悟があるのですか!」
「私は……」
「今、俺の剣は、すぐにでも殿下の命を奪える位置にあります」
自分の首に突きつけられた剣を見て、イリスは弱々しくなにかをつぶやこうとした。
けれど、イリスは言葉を声にする前に、その場に膝をついて、幼い子どものように泣き出してしまった。
「嫌だ……ごめんなさい……殺さないで」
俺は宝剣を鞘にしまった。
そして、俺は身をかがめて、イリスの瞳をのぞき込んだ。
「殿下に怖い想いをさせてしまい、申し訳ありません。俺は殿下を殺したりしませんよ。ですから、殿下も人を軽々しく殺したりなど、しないようにしてくださいね? 誓ってくれますか?」
「……うん」
イリスはこくこくとうなずいた。
別にイリスが悪いわけじゃない。
イリスはフィリアよりも一つ年上なだけの少女なのだ。
一番悪いのは、イリスをこういうふうに非常識に教育してきた帝国のはずだ。
俺は微笑して、イリスの頭を撫でた。
びっくりした様子で、イリスが顔を赤くした。
「約束を守ってください、イリス殿下」
イリスは素直に、もう一度うなずいた。
俺は立ち上がると、周りを見回した。
なぜかフィリアが頬を膨らませて、俺を不満そうに睨んでいた。
どうしたんだろう?
それはともかく、さすがにイリスに剣を突きつけたのはまずかったか。
イリスがしようとしていたことを考えれば、反逆罪には問われないとは思う。
役人たちも、泣き出したイリスを見て、溜飲を下げた様子だった。
ただ、安心はできない。
けれど、ガポン神父がにっこりと微笑んだ。
「素晴らしい。さすが魔法剣士ソロン。君は教育者としても優秀なのかもしれんな。一部始終を見させてもらっていたが、皇女フィリア殿下は優れた資質をもつ方のようだ。皇帝の名代にふさわしいのは誰かは明らかだと思わないかね?」
「名代はイリス殿下でしょう?」
「いや。このような愚かな娘を皇帝の名代にしておけると思うかね? 殺すべき相手と殺してはならない者の区別もつかないのだぞ? それに、この様子ではとてもイリス殿下には務まらないだろう」
イリスは放心状態でその場に座りこんでいた。
たしかにガポンの言う通り、イリスはしばらくは再起不能だろう。
とすれば、この場の皇帝の代理人が誰かになるか。
当然、別の皇族だ。
「この場の皇帝の代理は聡明なフィリア殿下だ」
そう言うと、ガポンは七月党の罪人たちを指さした。
彼らはやや離れた位置に縛られている。
その数はおよそ数十名。
処刑対象のなかには七月党の幹部本人だけでなく、その家族も含まれている。
年老いた父親。美しく若い妻。学生らしい少年の息子。
そういった幹部の家族たちが怯えた目でこちらを見つめていた。
ガポンは宣言した。
「さあ。罪人たちの処刑を始めよう! まずは、皇帝の代理人たるフィリア殿下自らに、この者を処断していただく!」
そして、ガポンは、十歳ほどの幼い女の子を指さした。






