64話 フィリアの勇気
フィリアはその小さな身体で、俺をかばうように立っていた。
その場の全員がフィリアに注目する。
俺もフィリアの行動に驚かされ、息を呑んだ
そして、イリスもフィリアの剣幕に気圧されたようだった。
「そこをどきなさい、フィリア。いちおう皇族のあなたを殺すことなんて、できるわけがないでしょう?」
「なら、イリスさんはソロンを殺すのをやめてくれる?」
たしかにいくらイリスが皇帝の代理人だとしても、同じ皇女を殺すわけにはいかない。
平民の俺を殺すのとはわけが違う。
だから、フィリアがまず自分を殺せ、と言えば、俺の誅殺は実現しなくなる。
俺はフィリアの勇気に感心した。
そして、フィリアこそ真の皇女というにふさわしいと確信した。
俺はフィリアの師匠でいられて良かった、と改めて思う。
しかし、イリスは最初こそ怯んだ様子だったが、やがてくすりと笑った。
どうしたのだろう?
イリスは剣の切っ先をフィリアに向けた。
「皇族であるあなたを殺すわけにはいきませんけれど……皇帝代理の私に楯突いたのであれば、その罪は軽くありません。フィリアを牢に入れて拷問にかけるぐらいは許されるでしょう。あなたを殺さずに確保するぐらい、わけもないことですから」
そう言うと、イリスは愉しげに後ろの役人たちを振り返った。
彼らはみな、緊張した面持ちでイリスの命令を待っていた。
イリスは彼らに甲高く響く声で命令した。
「さあ、皇女フィリアを痛めつけ、魔法剣士ソロンを殺してしまいなさい!」
まずいことになった。
フィリアを守りながら、大勢の軍人と戦い、この状況を打開しないといけない。
味方は皆無だ。
この際、目の前のイリスを人質にとって逃亡するのが良いだろうか?
けど、そんなことをすれば、本当に大逆の罪を犯すことになる。
そして、そうなれば、俺の屋敷にいるソフィアとクラリス、それにペルセだって無事ではいられないかもしれない。
要するに普通に戦うしかないのだ。
しかも、叛逆者とならないためにも、イリスをはじめとする敵を殺すわけにはいかない。
俺は考えた。
イリスが皇帝の代理人なのはこの場かぎりのことであって、ここを離れてしまえば、その脅威は少なくとも直接的には及ばなくなる。
なんとかするしかない。
フィリアが泣きそうな顔で俺を振り返った。
「ごめんね……ソロン。わたし、ソロンのために何もしてあげられなかった」
「いいんですよ。フィリア様は俺の弟子なんですから、俺がフィリア様を守るべきであって、その逆の義務はありません」
「でも……わたしはソロンの主なのに……」
「フィリア様が俺のことを助けようとしてくれて、とても嬉しかったです。ですから今度は俺がフィリア様を守る番です」
俺はフィリアの腕をそっとつかんでこちらに引き寄せ、その頭を軽く撫でた。
涙目のフィリアは、驚いた顔をして俺を見つめ、それからくすぐったそうに身をよじった。
政府の人間たちに、あまりフィリアと親しげな様子を見せるべきではないと思っていたが、こうなったらもうそんなことはどうでもいい。
俺は言った。
「さあ、必ず帰って授業の続きをしましょう。フィリア様には覚えていただくことがたくさんあるんです。攻撃魔法の効率的な扱い方とか、遺跡の魔族の生態とか、どの財宝がどのぐらいの相場で売れるとか」
「た、大変そう……」
「一緒に遺跡に行くためですよ」
俺がそう言うと、フィリアは嬉しそうに微笑んだ。
そして、俺もフィリアに微笑み返した。
「早くお屋敷に帰らないといけませんね」
「うん。だから……ソロン、わたしに勝利を!」
「必ずやこのような理不尽からフィリア様をお守りしてみせます」
俺は宝剣テトラコルドを構えた。
イリスの従者らしき男の一人が剣を抜き、こちらに踏み込んでくる。
俺が剣を一閃させると、その男の剣は簡単に弾き飛ばされ、男は腰を抜かした。
所詮は格式と見栄えだけで選ばれた貴族の従者だ。
大して強くはない。
もう一人の従者がフィリアに襲いかかろうとするが、その剣がフィリアに届くより遥かに速く、宝剣テトラコルドが男の胴をとらえた。
男は悶絶して倒れた。
峰打ちだがしばらくは起き上がれないだろう。
敵の第二陣は六人ほどの軍の将校たちだったが、彼らは明らかにやる気がなさそうだった。
どう見ても、納得して戦っているわけではなさそうだ。
俺は宝剣を横に振り、俺とフィリアを中心とする魔法陣を展開した。
「形なく流転する真理よ、我に力を」
俺が短く詠唱すると、魔法陣から水の塊のようなものが浮き上がる。
魔法陣に踏み込んだ将校たちが、それらに足をとられた。
まあ、これだけで敵を倒せるほどの強い魔法ではないのだが、ちょっと行動をとめる程度には使える。
俺は動きが鈍くなった軍人たちに対して剣を振るう。
ぐふっと将校の一人が、うめき声をあげて倒れる。
もちろん、峰打ちだ。
六人中、五人は倒せた。
最後に残った一人は女性。階級章を見ると少尉のようだった。
灰色の髪を短く揃えており、目は綺麗に澄んでいる。
軍人たちのなかでは一番年下のようで、まだ少女のように見えた。
士官学校を卒業したばかりなのかもしれない。
俺は微笑した。
「君は俺の魔法を避けきったんだね。大したものだ」
「あの有名な魔法剣士ソロンに褒めてもらえるとは光栄ですね」
少女は不敵に笑った。
俺は問い返す。
「君はイリス殿下の命令に納得しているの? こんな命令を聞いていたら、給料泥棒と言われても仕方ないと思うけどね」
「言われたことをやるのが軍人ですよ。安月給なんだから、勘弁してくださいよ」
少女はひょうひょうと言い、細長い剣を俺に向けた。
俺も宝剣テトラコルドをまっすぐに彼女へと構えた。
俺が前へ踏み込むと、同時に少女も剣をふりかざして、こちらへと走り出した。
互いの剣がぶつかりあい、激しく火をちらす。
少女は次の一撃を放とうと剣を振りかざした。
しかし遅い。
俺は宝剣を一閃させた。
少女の細い剣は俺の剣撃に耐えきれず、その手から落ちた。
俺が少女の首筋に剣を突きつけると、少女は両手を上げて、表情を変えずに言った。
「参りました、といえばいいですか? ソロン殿?」
「ずいぶんと余裕だね」
「だって、ソロン殿はわたしたちを殺すつもりがないんでしょう?」
俺はうなずいた。
合計で八人が、一瞬のうちに俺に倒された。
他の兵士や官僚たちが怖れるように俺を見つめていた。
彼らはほぼ戦意を喪失している。
もともとイリスの命令が理不尽だとは彼らも思っているのだろう。
それに加えて、俺と戦った者たちがあっさりと倒されたのを見れば、やる気がなくなるのも当然だ。
イリスが怯えた表情で後ずさった。
「誰かこの逆賊を……捕らえてしまいなさい!」
その言葉に誰も答えなかった。
場を沈黙が支配する。
みんなイリスの命令を聞く気がないのだ。
これで後は脱出すればおしまいだ。
俺はほっとした。
そのとき、一人の黒服の男性がその場に現れた。
ガポン神父だ。
「見るに耐えない愚行はそのぐらいにしておいてはいかがですかな、イリス殿下」
ガポンはただの神父で、皇帝官房第三部の代理人にすぎないはずだ。
しかし、ガポンは苦虫を噛み潰したような顔で、そして当然その権利があるかのように、皇女イリスをたしなめた。






