57話 情報は冒険者の生命線
フィリアが期待するように、俺を上目遣いに見つめた。
「真夜中の授業っていうと、ちょっといやらしい感じがするよね!」
「……クラリスさんみたいなことを言わないでくださいよ」
「冗談だよ」
フィリアがくすくすっと笑った。
なんというか、クラリスとフィリアは姉妹みたいなところがあるな、と俺は思う。
知らずしらずのうちに、お互い影響を受けているのかもしれない。
ともかく、授業の時間だ。
魔術の授業ではないけれど。
俺は机の上に大型の書籍を置き、それをぽんぽんと叩いて示した。
その書名は『帝国遺跡総合参考事典』となっている。
「この本、読んだことはありますか?」
フィリアが首を横に振る。
そうだとは思う。
こんなもの、冒険者パーティの幹部しか使わないものだ。
「これはですね。攻略対象の遺跡について調べるための参考書なんです」
「この本に遺跡にどんな敵がいるか載っているの?」
「いいえ」
俺が言うと、フィリアは首をかしげた。
「じゃあ、遺跡の由来みたいなのだけが載っているとかなの?」
「それも違います。この本には遺跡の情報そのものはほとんど載っていません」
俺がそう言うと、フィリアが困ったような顔をした。
何のための本か、想像がつかないんだろう。
俺は微笑んだ。
「例えば、この本からレニン神殿という遺跡を調べてみてください」
「うん」
フィリアはぱらぱらと本をめくった。
けっこう時間がかかり、苦戦しているみたいだった。
辞書や事典を引き慣れていなければ、そんな感じになると思う。
そして、十四歳の女の子はそういう分厚い本には用がない。
「これ、帝国の地域別に遺跡が並んでいるんですよ。レニン神殿があるのは、トロラン郡ですが、それより、綴りをもとに探したほうが早いです」
「どうやって?」
「後ろのほうに綴りによる索引がついています」
フィリアは分厚い本の末尾をめくり、「ホントだ!」と手を打った。
そして、それをもとにもう一度、調べはじめる。
索引でレニン神殿を見つけ、ページ数とページの何段目にあるかを調べる。
そしたら、本のその部分を開けばいい。
フィリアはレニン神殿の部分を見つけて、「やった!」とつぶやき、読み始めた。
けれど、すぐに不思議そうな顔になった。
フィリアの頭の上には、疑問符がたくさん浮かんでいるように見えた。
「ソロン、なにこれ?」
フィリアの指差した部分には、「レニン神殿」という文字の下に、「調査済。帝国暦三二一年」と書かれていた。
さらにその下に、ひたすら本の名前と数字が書かれている。
挙げられている本のなかには、『帝国中央州の鉱脈』、『古代神殿の研究』といった硬そうな書籍もあれば、『明日から初級冒険者! 安全な第一歩の踏み出し方』といった軽めの実用書もある。
「いまフィリア様に調べていただいた『帝国遺跡総合参考事典』は、遺跡の情報がどの本に載っているかを一覧にしたものなんです。参考書を調べるための参考書といったところですね。そこに書かれている『古代魔族生態大事典』って本が、本棚にありますから、取ってみてください」
フィリアはうなずくと立ち上がり、背後の本棚に手を伸ばした。
しかし、背が届かない。
「うーん、あとちょっとなんだけど」
「あ、俺がとりますから大丈夫ですよ」
さっと俺は本棚の上段にある『古代魔族生態大事典』を取った。
フィリアがちょっと悔しそうに自分の手を見つめる。
「もっとわたしの背が高かったら良かったのに」
「すぐに伸びますよ。フィリア様は成長期じゃないですか」
「そうだね。身長以外もいろいろと成長期だもの! すぐにソロンをあっと言わせるんだから!」
「身長以外のいろいろの内容は深くは尋ねませんが、とりあえず勉強も頑張ってくださいね?」
「もちろん! でも、こんな本、調べてどうするの?」
フィリアは『古代魔族生態大事典』を指差した。
「遺跡を攻略する前に、こういう本をあらかじめ調べておくんです。敵とか地形とかの情報のあるなしでは、遺跡攻略の安全度が全然違ってきますからね」
「ソロンも騎士団ではこういう本を使っていたの?」
「そうですよ。こういうのを調べて作戦を立てるのは主に冒険者パーティの幹部ですから。でも、俺はそれ以外のメンバーも本来であれば、ちゃんとこういう情報は事前に調べてくるべきだと思っています」
「どうして?」
「リーダーに任せきりでは、全員が即座に正しい判断ができませんからね。情報は魔術師と冒険者の生命線です。だから、フィリア様もこうした作業に慣れていただかないといけません。さ、フィリア様、さっそく何冊かの本を使って、遺跡の敵や地図、主な資源・財宝といったことをまとめてみてください」
フィリアは言われたとおり、作業をはじめたが、しばらく経って音を上げた。
「そ、ソロン。ひたすら地味な作業だよ……」
「冒険は華々しい戦いだけではないんですよ。千里の道も一歩から、です」
「そうだね。でも……ちょっと退屈かも。それにしても、こんなに遺跡や冒険の本が屋敷にあるんだね。」
フィリアは本棚を見回した。
たしかにこの屋敷には魔術の本だけでなく、それなりの量の遺跡関係の本が集めてある。
それは俺が改めて購入したものだった。
フィリアが首をかしげる。
「ソロンはさ、本当はまだ遺跡の攻略や冒険をやりたいって思ってるんじゃない?」
「どうしてですか?」
「そうじゃなかったら、屋敷にこんなに遺跡の本を置いておかないよ」
フィリアが心配そうに俺の瞳をじっと見つめた。
どうしたんだろう?
「もしかして、わたしの家庭教師だから、我慢してるなんてそんなことないよね? わたしがいるから、ソロンがホントにやりたいことができないんだったら……」
ああ、なるほど。
フィリアが心配しているのはそういうことか。
フィリアはいい子だな、と俺は改めて思った。
俺が冒険者を続けたいと思っていて、自分が邪魔になんじゃないか、なんてそんなことを想像して心配するのは、フィリアが細やかな心を持っている証拠だった。
俺はフィリアの言葉を否定した。
「俺はもう冒険者なんてしばらくはやりませんよ。初期の聖ソフィア騎士団ではだいぶ実績を残せましたし、あの騎士団にいたとき以上に活躍できることはないでしょうから」
「でも……」
「俺は冒険者以外の道を探して帝都に来て、そして望んでフィリア様の家庭教師になったんです。だから、そんな心配しないでください」
「……うん」
「この屋敷に遺跡関係の本がいくらかあるのは俺の趣味ですね。俺は本を読むのが好きなんですが、けっこう遺跡攻略絡みの本は面白いですよ」
「か、変わってるね」
「そうですか? それはともかく、もう一つ、理由がありまして」
「なに?」
「実は近々、フィリア様と一緒に、遺跡に行こうと思っています。そのために本を揃えているんです」
「ホント!?」
フィリアが目をふたたび輝かせた。
たしか、フィリアは俺みたいな魔法剣士になりたいと言っていて、それには遺跡の攻略で活躍するということも含まれているはずだった。
未攻略の遺跡は危険な場所が多いが、すでに最深部まで探索済みの遺跡であれば、比較的安全だ。
ごく初級の遺跡なら、俺がついていけば、まったく問題ない。
「フィリア様が最初に行く遺跡は、レニン神殿です。つまり、いま調べていただいている遺跡ですね」
フィリアは意外そうな顔をして、レニン神殿について書かれた本に目を落とし、じっくりとそれを見つめた。
俺は微笑んだ。
「少しはやる気が出てきましたか?」
「うん!」
フィリアは勢いよくうなずくと、ふたたび作業にとりかかった。
俺はその様子を見ながら、昔のことを思い出した。
俺も冒険者パーティを作った頃は、こうしてワクワクしながら、次に行く遺跡を調べていた。
最初の頃は、俺、クレオン、ソフィア、そしてシアしかパーティには仲間がいなかったけど、全員が結束して情報を共有し、戦いに当たっていた。
いまやソフィアは冒険者をやめ、クレオンは俺と決別し、そしてシアは死んだ。
いつからか、道は分かれてしまったのだ。
俺はフィリアの椅子の横に、椅子を持ってきて腰掛けた。
そして、その作業を眺めているうちに、まぶたが重くなってくるのを感じた。
フィリアが作業を終えるまで、ちょっとだけ目をつぶるぐらいはいいか。
そう思って、俺は瞳を閉じた。






