56話 真夜中の授業?
その日の深夜、俺はあくびを噛み殺しながら、屋敷の書斎にこもり、机に向かっていた。
もうソフィアたちは寝ているはずだ。
ちなみにノタラスとライレンレミリアも今日はこの屋敷の客室に滞在している。二人もぐっすり眠っているに違いない。
賢者アルテの襲撃もあったし、みんな疲れているんだろう。
俺もいますぐ寝たいほど眠たいけれど、やらないといけないことがある。
窓枠と同じぐらいの大きさの図鑑や、片手ではつかめないほど分厚い事典。
そういったものを俺は読んでいた。
俺は立ち上がって本棚に手を伸ばし、別の古い本を手に取ろうとした。
そのとき、ノックの音がした。
こんな時間に誰だろう?
「どうぞ」
俺が答えると、寝間着姿の少女が顔をのぞかせた。
薄いピンクの布地のワンピース姿だが、肩も大きく露出しているし、胸元も軽く開いているから、けっこう大胆な衣装だ。
そんな姿をしているのは、皇女フィリアだった。
「入っていい、ソロン?」
「こんな夜更けに、そんな格好で男と部屋でふたりきりになるのは、お勧めできませんよ」
俺は困惑混じりに笑った。
まあ、俺がフィリアをどうこうするつもりはないし、フィリアもそれはわかっているだろうから、信頼されているということだろうけれど。
フィリアはくすりと笑った。
「でも、いつも同じ部屋で寝てるよね?」
「それはそうですが……しかし、最近は二人きりというわけではないですし」
この屋敷では、いろいろあって、フィリアだけでなく、クラリスもソフィアも俺と一緒の部屋でベッドを並べて寝ることになっていた。
最初は「これは困った」と思ったけれど、他の二人がいたほうが、フィリアと二人きりよりは緊張感はないという面もある。
フィリアはこくっとうなずいた。
「そうそう。最近はソロンと二人きりってことが少なくってさみしかったの」
「ええっ。でも、一緒に杖を買いに行きましたし、魔術の訓練だって二人でしたじゃないですか」
「それじゃ足りないの。ね、この部屋、入っていい、ソロン?」
ねだるように、フィリアが俺を上目遣いに見た。
そう言われて、ダメだと言うことはできない。
俺は諦めて「入ってください」と言った。
フィリアは、机の上に広げられていた事典を見て、目を輝かせた。
「何を見てるの? 楽しそうだね!」
「えーとですね、死都ネクロポリスの情報を集めてまして」
俺がこんな夜遅くまで本を読んでいたのは、死都ネクロポリスの情報を集めるためだった。
過去に攻略に挑んだ冒険者たちが残した情報が、様々な形で本として残されているのだ。
だから、遺跡そのものに行かなくても、わかることはある。
「なんでそんなことをしているの?」
「ネクロポリス攻略が絶対に無理だという証拠を探しているんです。もし、どう考えても実現不可能だとわかれば、クレオンや政府の上層部だって考えなおすかもしれませんからね」
おそらくクレオンに焚き付けられて、ネクロポリス攻略に賛成したのは軍の人間が中心だと思う。
クレオン救国騎士団は帝国軍の遺跡調査部の一部を吸収しているし、ネクロポリス攻略を歓迎しているのも軍関係者が多かったようだった。
軍の責任者に対し、ネクロポリス攻略を非現実的だと納得させれば、今からでも、俺のかつての仲間たちの死が防げる。
一方で、逮捕された賢者アルテたちもなにか策がある様子を見せていたが、今は気にしても仕方ない。
フィリアが首をかしげた。
「しなければならないこと……なんだね?」
「まあ、そうです」
「ソロン、大丈夫?」
「なにがですか?」
フィリアが俺の頬にそっと手を触れた。
どきっとして俺は後ずさろうとしたが、背後は本棚だった。
フィリアの柔らかく小さな手が、俺の頬を撫でた。
そして、心配そうにフィリアが俺の目をのぞき込む。
「ソロン、眠たくってたまらないって顔してるよ。疲れてるんだよね、休んだほうがいいよ」
「いえ……まだ、大丈夫です」
「ほんとに?」
「……ちょっと微妙かもしれませんが」
フィリアは俺の頬から手を離し、じっと自分の手と俺を交互に見つめていた。
どうしたんだろう?
「今のソロンは、何者なのかな」
「俺が、何者か、ですか?」
なんでフィリアは俺にそんなことを聞くんだろう?
俺が何者かといえば、魔法剣士だ。
もともとは公爵家の使用人の息子。
その後は魔法学校の学生で、その次は聖ソフィア騎士団の副団長。
そして、今は。
なるほど。
フィリアの言いたいことに気づいた。
「俺は皇女フィリア殿下の師匠です」
俺は答えると、フィリアは柔らかく微笑んだ。
「だったら、明日もちゃんとわたしにいろんなことを教えてくれるように、体調にしっかり気をつけないと」
「そうですね」
たしかにネクロポリス攻略作戦阻止も大事だけれど、今の俺はフィリアの家庭教師なのだ。
一番、大事なことを忘れていた。
俺は本棚の事典を見て、良いことを思いついた。
「フィリア様は眠くはないですか?」
「わたし、なんか目が冴えちゃって。それでこの部屋に来たの」
「だったら、今から俺の授業を受けることができますね」
「真夜中の授業だね!」
フィリアが目をきらきらとさせた。
喜んでくれるのは嬉しいけれど、今回の俺がフィリアに教えるのは魔術ではなく、もっと別のことだった。
だから、フィリアにとっては、期待はずれということになるかもしれない。
でも、教えておく必要のあることだ。
俺は教材を準備しようと立ち上がった。






