182話 教会の敵
「私をこの牢獄から救ってくれる?」
帝国教会の総大司教ヘスティア聖下はそう言った。
どういう意味だろう?
ここは帝国教会の総本部で、牢獄どころか、ヘスティア聖下を崇拝する人々が集まった場所だ。
俺はソフィアをちらりと見たが、ソフィアは黙然としていた。
「ここが牢獄、ですか?」
俺の問いかけにヘスティア聖下はくすりと笑った。
そして、水色の美しい髪を手で軽く払う。
「……あなたにはわかる? 子どもの頃からずっとこんな塔に閉じ込められて、大聖女だなんて崇め奉られて、恋の一つもできない女の子の気持ち」
「私は平民出身のしがない冒険者です。わかる、とお答えすれば嘘になりましょう」
「そうね。私の気持ちは誰にもわからない。ここは私にとっての牢獄なの。大聖女の私は……一生ここから出ることを許されない」
ヘスティア聖下は、この大聖堂から常に帝国を守護している。
闇に潜む魔族の力を抑止するには必要なことだともいうが、詳細は帝国教会の機密として明かされていない。
確かなのは、教義上、ヘスティア聖下は大聖堂から一歩も出られないということだった。
彼女は深い赤色の瞳で俺をまっすぐに見つめた。
「あなたがソロンさんよね?」
「はい。本日はお目通りの機会をいただき光栄です。聖下」
「そんなにかしこまらなくてもいいわ。それに、ソロンさんのことはよく知っているの」
「私のことをご存知なのですか?」
「だって、ソフィアはいつもあなたの話ばかりするから。優しくてカッコよくて強い人なんだって」
ソフィアは「あ、あの……」とつぶやき、おろおろしていた。
ソフィアとヘスティア聖下は数年来の知り合いで、しかもヘスティア聖下はソフィアの師匠みたいなものだ。
たしかに、俺の話を聞いていてもおかしくはない。
ヘスティア聖下は赤色の瞳をいたずらっぽく輝かせていた。
「ソフィア、顔が真っ赤ね」
「そんなことないです……」
そう言いつつも、ソフィアの頬はたしかに赤かった。
聖下はかろやかな足取りで俺たちに近づき、正面に立った。
「私は帝国教会総大司教ヘスティア。帝国七聖女の序列第一位にして、史上三人目の大聖女。神に代わり、あなたがたに祝福を」
その瞬間、ヘスティア聖下の手が光に包まれ、恐るべき量の魔力の奔流が発生した。
幸運を授けるという、教会の古い魔法だ。
ヘスティア聖下はやがて魔法の行使を止め、俺とソフィアを見比べた。
「それで、ソフィアとソロンさんは何の用事? 結婚式の相談なら、この大聖堂を貸してあげてもいいけど。私も出席したいし」
「け、結婚式……」
とソフィアがつぶやいて顔をますます赤くし、そして首をふるふると横に振った。
「だって、駆け落ちして同じ家に住んでいるんでしょ? そろそろ結婚するのかなあなんて思っていたのだけれど……」
「ち、違います」
ソフィアとヘスティア聖下のやり取りに割って入ったのが、フィリアだった。
少し頬を膨らませて、不満そうだった。
「ソロンはわたしの家庭教師だもの。ソフィアさんと結婚したりしないよ?」
「あら、あなたは……?」
「わたしは魔術師見習いのフィリア。ソロンの弟子なの」
「皇女フィリア殿下、ね」
帝国教会の総大司教は、皇族と同等の待遇を受けている。
形式的にはフィリアと対等の地位だし、実質的にはフィリアよりも立場は上だ。
だが、フィリアもヘスティア聖下も、どちらもそんなことは気にしていないようだった。
ヘスティア聖下はすっと目を細めた。
「知ってる? 帝国教会は魔族と悪魔の存在を許していない。本来は殲滅すべき存在なの。そして、フィリア殿下は……悪魔の娘なのよね」
フィリアがびくっと震えた。ソフィアも顔を青くしている。
どうしてヘスティア聖下がフィリアの正体を知っている?
悪魔の娘であるフィリアは、たしかに教会の敵だ。そしてヘスティア聖下は教会の最高責任者。
なら、フィリアに危害を加えようとしてもおかしくない。
俺は慌ててフィリアの前に立ちはだかった。
「フィリア様をどうするつもりですか?」
「どうすると思う?」
ヘスティア聖下は美しい白い手を振りかざし……。






