152話 ルーシィ救出作戦とアレマニア語
夏のある日。
俺はルーシィ教授の研究室にいた。
魔法学校の四年生となった俺は、ルーシィの弟子となってから二年が経っていた。
最近の俺はルーシィの研究室に入り浸っている。
それには理由があった。
というのも、四年生の秋期に行われる中等魔術士試験が難関なのだ
これは帝国政府が魔術師の実力を認定するために行っている試験で、帝立魔法学校の生徒は例外なく合格を求められる。
落第すれば進級できないし、逆に良い成績をとれば、より上級の授業を選択できるなどの特権を与えられる。
だから、ルーシィは俺につきっきりで勉強を教えてくれていた。
「いい、ソロン? 落第なんかしたら許さないんだから」
ルーシィがとんとんと机を指で叩いて言う。
俺たちは机をはさんで向かい合っていた。
「大丈夫ですよ。いまのところ、試験自体には余裕をもって合格できる見込みですし」
「ふうん」
「ルーシィ先生のおかげですね」
俺が微笑んで言うと、ルーシィは顔を赤くして目をそらした。
照れているんだろうか。
「と、ともかく、気を抜いちゃダメだから! それに良い成績で合格しないといけないわ。狙うは一番!」
「ははは、それはさすがに無理です。一位で合格するのはソフィアでしょうから」
ソフィアは魔法の実技では圧倒的な才能を見せている。
クレオンだって急激に魔法の実力を高めているし、学年代表の優等生のセレネというやつもいる。
さらに試験を受けるのは魔法学校の生徒だけじゃない。
俺が一位なんて、非現実的だ。
「私は一番で合格したんだから、弟子のあなたも一位をとらなくちゃ」
「無茶言わないでくださいよ。俺はルーシィ先生みたいな天才じゃないんですから」
「あら、そうかしら。魔法の実践ではたしかにソロンは昔の私に劣るわ。でも、学科試験ならすごく得意な科目もあるじゃない」
「配点の低い選択科目ばかりですけどね」
薬草学とか、帝国史とか、魔法とは直接関係ない科目も中等魔術士試験には含まれている。
一人前の魔術師として活躍するためには、魔法以外のことも知らないといけないという理由らしい。
そして、そういった科目に限っていえば、たしかに俺は他の生徒よりもはるかに優秀な成績をとっていた。
多岐にわたる細々とした知識が問われる領域は、俺の得意分野だ。
「あなたって本当に器用よね。なんでそんなにいろんなことに詳しいわけ?」
「もともと俺は貴族の執事になるつもりでしたからね。魔法が使えることよりも、主人を支える知識や技術の習得のほうが大事だったんです」
「ふうん。そういうもの?」
「魔法を使うのは主人である貴族の役割。彼らには魔法で人々を守るという高貴な義務があります。そして、執事はそんな彼らをすべての面で支えることが求められますから」
「私は貴族の生まれだけど、小さなころにリルラ先生に引き取られたから、そういうのってよく知らないの」
ルーシィは帝国でも指折りの名門貴族の生まれだけど、良い意味で貴族らしい雰囲気がない。
それは幼い頃に平民出身の魔術師の弟子になったからなのだろう。
「ソロンがアレマニア語を得意にしているのも、執事になろうとしていたからなの?」
「あれ? 俺がアレマニア語を話せるって誰から聞いたんです?」
「ソフィアが他の生徒の子と話しているのが聞こえてきたの。『ソロンくんはなんでもできて、外国の言葉だってペラペラなんだよ』って嬉しそうに話していたわ」
「ああ、なるほど」
「ソフィアが知っているのに、師匠の私が知らないことがあったなんて、なんとなく面白くない」
ルーシィが頬を膨らませて俺を睨む。
俺は返事に困った。
べつにルーシィに隠し事をしていたつもりなんてないんだけど。
≪だから、私にアレマニア語を教えてよ≫
俺は驚きのあまり羽ペンを手から落としそうになった。
ルーシィがしゃべったのは、間違いなくアレマニア語だったからだ。
「驚いた? ちょっと勉強してみたの」
「どうしてまたアレマニア語の勉強なんてしたんですか?」
「ソロンが話せるって聞いて、興味が湧いたから。でも、独学だと限界がありそうね」
「まあ、それほど学習書が多いわけじゃないですし、発音とかも面倒ですからね」
「ということで、ソロンに教えてもらうことにしたから。いいでしょう?」
「俺がルーシィ先生を教える?」
「そう。たまにはそういうことがあっても面白いと思って。ね?」
ルーシィが真紅の瞳で俺を見つめた。
いつもルーシィには助けられているし、些細なこととはいえ恩返しができるならお安い御用だ。
それに天才の師匠ルーシィを平凡な弟子の俺が教えるというのは、たしかにちょっと面白いかもしれない。
きっとルーシィのことだから、すぐに習得してしまいそうな気もする。
俺は微笑んだ。
「そうですね。俺なんかでよければ力になりますよ。でも、アレマニア語を学んでも、そんなに役に立たないとは思いますが……」
「役に立たなくてもいいの。わかる?」
ルーシィはくすくすっと笑った。
そして、ぽんぽんと机の上の魔法理論の参考書を叩いて示した。
「そのためにも……中等魔術士試験にちゃんと合格しないとね。試験が終わったら、アレマニアに旅行でも行きましょうか」
ルーシィはくすっと笑い、淹れたての紅茶を俺の前に置いてくれた。
今日のルーシィはなんだか上機嫌だなあ、と思いながら、俺はふたたび試験用の参考書に目を落とした。
「ねえ、ソロン……」
ルーシィが甘えるように俺の名前を呼ぶ。
俺はルーシィの言葉に顔を上げ……たはずだったのだが。
目の前で微笑んでいたのは、フィリアだった。
☆
「ねえ、ソロン、起きて」
俺がびっくりして飛び起きようとすると、額に指をあてられた。
俺はベッドの上で寝ていて、そしてフィリアがその俺の上に乗っかっていた。
フィリアは薄手のネグリジェ姿で、俺はドキリとする。
そんな姿で密着されると、困ってしまうのだけれど。
フィリアは柔らかな笑みを浮かべ、そっと唇を俺の耳元に近づけた。
「こんな時間に起こしちゃってごめんね?」
まだ時計を見ると早朝だった。
同じ部屋のソフィアたちはぐっすり眠っていている。クラリスは幸せそうな寝顔で寝返りを打ち、ソフィアは「もう食べられないよ……」と小さく寝言をつぶやいていた。
きっと、二人とも穏やかな夢を見ているんだろう。
俺もどうやら夢を見ていたみたいだ。
それもだいぶ昔の夢だ。
魔法学校の四年生なんて、もう六年も前のことだ。
俺が十七歳で、ルーシィが二十歳。
あのころと今では、いろいろなことが変わってしまった。
クレオンとアルテから得た情報をもとに、ルーシィを助けに行くか。
決断を迫られたのは昨日で、そして今日から早速俺は具体的な行動を始めなければいけない。
俺はベッドに倒れたまま、フィリアに問いかけた。
「もしかして二人きりで話があるんですか?」
「あれ? どうしてわかったの?」
「そうでなければ、フィリア様がこの時間に俺を起こしたりしないでしょうから」
俺とフィリアとソフィアとクラリスはいつも三人一緒の部屋だから、二人きりになるということがあまりない。
フィリアは俺を上目遣いに見つめた。
「ちょっとだけ庭を散歩しない?」
「寝間着姿のままですか?」
「誰も見ていないよ?」
「まあ、それはそうですが……でも、風邪を引いてしまいますね」
「そう? あっ……」
俺はフィリアにそっとカーディガンを着せて、ぽんぽんと肩を叩いた。
フィリアはくすぐったそうに身をよじらせ、そして幸せそうに微笑む。
俺も上着を羽織り、フィリアを連れて一緒に庭へ出た。
早朝の空気は澄んでいて、心地よかった。
この屋敷の庭は、もともと貴族が所有していただけあって、それなりの広さがある。
ただ、購入以来、庭は手つかずのままで、最低限の道がある他は荒れ放題だった。
幽霊屋敷という噂が立っていたのもわかる気がする。
「こんなふうに庭を散歩するのって初めてだよね?」
「まあ、散歩して楽しいという状態にできていないですからね。いずれは草や花をちゃんと手入れして、ついでに薬草とかも栽培して、皇女殿下の屋敷にふさわしい庭にはしたいと思うんですけど」
「楽しみだね。わたしも手伝うから」
「助かります。フィリア様にも頑張っていただきましょうか」
「うん。でも、ソロンと一緒に歩けるっていうだけで、わたしは楽しいよ」
フィリアは急に立ち止まり、くるりと俺を振り返った。
ネグリジェの裾がふわりと揺れる。
そして、フィリアは俺をまっすぐに見つめた。
「ねえ、ソロンはルーシィを助けに行くの? 陸海軍省の地下に一人きりで?」
俺は目をぱちぱちと瞬かせた。
フィリアには、昨日のルーシィの居場所についての話は知らせていないはずなのだけれど。
「クラリスから聞いたの」
「ああ、そうだったんですね」
「クラリスを責めないであげてね。わたしが頼んだことだから」
俺はクレオンと会っているし、アルテの部屋にも行った。
そうしたら、たしかに何の話をしていたのか気になるとは思う。
「ねえ、ソロン。ルーシィを助けるの、わたしも一緒に行っちゃダメ?
俺は首を横に振った。
「フィリア様をお連れすることはできません」
「わたしが……役立たずだから?」
俺は驚いてフィリアを見た。
フィリアは珍しく、不安そうな表情をしている。
「どうしてそんなことを仰るんですか?」
「だって……本当だったら、わたしがルーシィの魔導書の魔法を覚えて、ソロンを助けて、一緒に戦うはずだったんだよね。でも、わたしは中級魔法もちゃんと使えなくて、だから、ソロンの役には立てなくて……」
昨日の強化魔法の失敗を、フィリアは引きずっているらしい。
俺は身をかがめ、フィリアと目線を合わせた。
「うまくいかないことは誰にでもあります。それを気にし続けたら、うまくいくものもうまくいかなくなってしまいますよ」
「でも……」
「それに、そんなにすぐにルーシィ先生のすごい魔法を習得してしまったら、困ってしまいます」
「どうして?」
「俺みたいな平凡な魔術師の立場がなくなってしまいますよ。それに、フィリア様が何のつまずきもなく魔法を覚えていったら、俺がフィリア様に教えてあげられることもなくなってしまいます」
「そんなことないと思うけど」
「いいえ。師匠は弟子がつまずいたときのためにいるんです。だから、フィリア様は落ち込んだり自信をなくしたりしなくていいんです。フィリア様は役立たずなんかじゃなくて、素晴らしい才能を持った魔術師の卵なんですから」
フィリアは少し顔を赤くして、俺の言葉を聞いていた。
そして、胸の前で、祈るように小さな手を組んだ。、
「なら、わたしもルーシィを助けに行きたい。ソロンの力になりたいの」
「ありがとうございます。いつかきっとフィリア様は俺を超える魔術師になります。そのときは無力な俺を助けてください。でも、今はまだそのときではありません」
そう。
罠だとわかっていても、やはり俺はルーシィを助けに行くだろう。
ルーシィが危機に瀕しているのに、見捨てることはできない。
そして、陸海軍省へ潜入するのは俺一人だ。
フィリアはもちろん、ソフィアも連れては行かない。
それは皆を危険な目にあわせたくないからでもあるが、もう一つ理由があった。
アレマニア語を話せるのが俺のみだからだ。
今回のルーシィ救出の作戦には、アレマニア語が話せることが不可欠なのだ。
【後書き】
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