151話 屋敷のアルテ
いつもの自慢の黒いローブの代わりに、アルテが着ているのは、病人用の簡素な白い服だ。
びくっとアルテが震えた。
「あの……あたしです。メイドのクラリスです」
「ああ……メイドさんですね。それに……ソロン先輩もいる?」
アルテの美しい黒い瞳は虚ろで、焦点が合っていなかった。
フローラほど悪い状態ではないとはいえ、アルテも右手と左足が動かなくなり、そして失明してしまった。
アルテは魔王の子孫たちを道具として虐待し、仲間のライレンレミリアには凄惨な暴行を加え、そして、すべてを犠牲にしてでも、ただただ力を追い求めていた。
以前のアルテはおよそ善良とはいい難かったけれど、目は生き生きと輝き、表情も明るかった。
けれど、いまのアルテはすべての力を失って、魔法も一切使えなくなっている。。
「アルテ……会いに来るのが遅くなってごめん」
「べつに……先輩に会いたかったわけじゃないですし」
憎まれ口を叩くのは相変わらずだけれど、以前のような覇気はなく、表情は死んだような雰囲気だった。
それはそうだろう。
アルテにとっては力がすべてだった。
なのに、魔法がつかえないどころか、日常生活もまともに送れないような体に急になったのだから、絶望しないほうがおかしい。
アルテは小声で言った。
「でも……助けてくれたことは……ありがとうございました」
「助けられた、とは言えないかもしれないけれど」
アルテもフローラも、結局は魔王復活の犠牲となってしまった。
俺が介入しなければ、たしかに二人は命を落としていたけれど、でも、もっと早い段階で助けられていれば、後遺症が残ることはなかったはずだ。
でも、アルテは俺を責めようとはしなかった。
代わりに、静かに問いかける。
「聞きました。今の私は貴族の娘でも賢者でもなくて、先輩の奴隷になったんだって」
「形式上のことだよ。そんなことは心配しなくていいから、ゆっくり休んでよ」
「心配になりますよ!」
アルテは急にきれいな高い声を張り上げた。
俺とクラリスが顔を見合わせていると、アルテは早口で続けた。
「先輩はきっとあたしのことを恨んでます。先輩を追放したのも、先輩の屋敷を襲ったのもあたし。その先輩にあたしが奴隷にされているなんて……」
ああ。
なるほど。アルテが何を考えているか、わかってしまった。
「仕返しなんてしないよ。だから、不安に思わなくていい」
「どうして?」
「アルテは俺の仲間だからだよ。たとえアルテが俺を追放したとしても、それは変わらない」
「……そういうところが先輩の嫌いなところなんです」
アルテは消え入るような小さな声で言った。
それに、アルテはもう十分にひどい目にあった。
アルテが俺たちを襲ってきたときは身を守るために戦わざるを得なかった。
けれど、無抵抗な相手をさらに痛めつけような趣味はない。
それだけでアルテが俺のことを信用できるかはわからなかったので、俺は一言付け加えた。
「フローラとも約束したからね」
「約束?」
「フローラは、俺にアルテのことを守って欲しいって頼んでいたんだよ」
「……フローラがあたしのことを守ろうとしてくれていたんだ。なのに、あたしのせいでフローラは……」
フローラが廃人になってしまったことに、アルテは責任を感じているみたいだった。
「先輩の……言うとおりでした。ネクロポリス攻略なんてしなければ、こんなことにはならなかったのに」
アルテは力を失って、賢者でもなくなってしまったけれど、そうなって初めてわかることもきっとあるだろう。
「アルテが元通りの体に戻って、フローラも目覚めるようにする。絶対にできるなんて無責任なことは言えないけど、できる限りのことはするよ」
少なくとも、アルテの失明は一気に魔力を奪われたことによる一時的なもので、瞳そのものには何の異常も見られない。
医者はそう言っていたし、俺も回復の見込みがあると考えていた。
アルテは小さくうなずいて、そして起き上がろうと体をうごかした。
途端にアルテはよろめいた。
俺は慌ててアルテに近寄り、倒れ込んでくるアルテを支えた。
「先輩?」
「無理して起きようとしなくていいよ」
ぎゅっとアルテは俺にしがみついた。
アルテは目に涙をためていた。
「あたし、惨めですよね。何も見えなくなって、普通に起き上がることもできなくなって、魔法も使えなくなっちゃって。貴族でもなくなって、奴隷になってしまって……それにフローラだってひどい目にあわせてしまいました。あたしにはもう……なにもないんです。でも……」
その続きは言葉にならなかった。
アルテは声を上げて泣き始めたからだ。
目の前のアルテは帝国最強の賢者の一人なんかじゃなくて、ただの震える女の子だった。
俺は何もいわず、アルテの肩をそっと抱いた。
クラリスがあやすように、そっとアルテの背中を撫でる。
しばらくして落ち着いたアルテは、ささやくような声になっていた。
「恥ずかしいところを見せてしまいました」
たしかに以前のアルテが人前で泣くなんて想像もできなかった。
それだけアルテは追い詰められ、弱っているのだ。
「俺は恥ずかしいなんて、思わないよ」
「……ありがとうございます」
アルテは弱々しく微笑んだ。
そして俺は用件を切り出すことにした。
陸海軍省の内部の構造について、アルテの知っていることを教えてほしい。
俺がそう言うと、アルテは素直に知っていることをすべて話した。
アルテは陸海軍省の建物の構造をすべて記憶しているらしく、さすがは魔法学校を首席で卒業した賢者だった。
陸海軍省の内部に入ってルーシィを救出するのであれば、アルテの情報はかなり役に立つ。
「地下二階には何があるか知っている?」
「そこは捕虜の収容施設です。でも、ただの牢獄ではありません」
「というと?」
「捕虜のなかでも強力な力を持つ魔術師ばかりを集めています。普通の牢屋では脱走されるような魔術師を逃さないために、特殊な仕掛けが施されているんです」
なるほど。
真紅のルーシィの監禁場所としては、ふさわしい場所ということだ。
「それと……これは極秘情報ですが、あの牢では捕虜の魔術師に人体実験をしています」
今の帝国政府なら、捕虜を使った人体実験ぐらい、平気で行うだろう。
それ自体は驚くに当たらない。
「どんな内容の実験をしているか、知ってる?」
「そこまでは、あたしも知ってはいないんです」
軍中枢の地下で極秘裏に行われている人体実験。
その秘密を守るために厳重な警備が敷かれているだろうし、潜入はかなり困難だろう。
ただ、クレアの意図はともかく、もともと人体実験を行っている施設であれば、ルーシィを魔王の依代とする儀式を行うのにも向いているということで、筋が通る。
クレオンの言葉は、まるきり嘘というわけではなさそうだ。
危険な賭けだが、罠だとわかっていても、ルーシィ救出のために乗り込むかどうか。
もし陸海軍省本部に乗り込むなら、どんな手段をとればいいか。
俺は選択を迫られた。
【後書き】
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