14話 メイドのクラリスは魔法剣士にご奉仕する
ともかく、俺とフィリアとクラリスは無事に皇宮に戻ってきた。
皇女を誘拐しようとしたテオドラたちは、犯罪者として逮捕された。
テオドラの背後にいた秘密結社「義人連合」に関与していた衛兵たちも、一斉に摘発されている。
それは決して少なくない人数だったけれど、事件は秘密裏に処理された。
皇女が悪魔の娘だという秘密をもらさないためだった。
それより重要なことは、テオドラが言っていたとおり、クラリスに危害はまったく加えられていなかったということだ。
誘拐された直後にクラリスが殺されていたなんてことだったら、いくら俺が頑張っても救いようがない。
でも実際には、戦いの始まる前に、縄で縛られて放置されていたクラリスをひそかに解放しておくことができた。
クラリスは事件のショックでふさぎ込んでいる……かといえば、そんなことはなかった。
それどころか、クラリスはやたらと元気いっぱいだった。
「ソ、ロ、ン様! 紅茶、飲みますか?」
メイド服のクラリスが楽しそうに俺に問いかける。
ここは皇宮のなかの一室。
皇女フィリアの私室だ。
いまは事件発生の翌日で、俺たちは事情を役人たちに説明した後、クタクタになってこの部屋に戻ってきた。
もう夜も遅く、疲れたのかフィリアは奥の部屋で眠ってしまっている。
だから、今は俺とクラリス以外に人はいない。
「いや、いまは紅茶はそんなに飲みたくないから大丈夫だよ」
「遠慮しなくていいんですよ! 命の恩人にはなにかご奉仕をしないと!」
「実はついさっきフィリア様に淹れていただいたんだよ」
「あー、そういうことですかー」
残念そうにクラリスが言う。
クラリスは、うーん、どうしようかなー、とつぶやいている。
なんというか、クラリスは俺に構いたくて仕方ないらしい。
以前会ったとき、クラリスは魔法剣士ソロンを憧れの存在だと言った。
そのとき俺はダビドという偽名を名乗っていたけれど、いまは違う。
魔法剣士ソロンとして俺はクラリスの前にいるのだ。
「はじめて会ったときもすごい人だって思いましたけど、まさか本当のソロン様だったなんて、夢みたいです」
「あのときは嘘の名前を名乗って悪かったよ」
「そんなこと気にしませんよ。会えて嬉しいです!」
そう言いながら、クラリスが俺の足元を見ておやっという顔をした。
そして目をきらきらさせた。
「あっ、ソロン様ったら、靴が汚れていますね」
「そうでもないと思うけど……」
「磨いて差し上げます!」
俺の返事も待たずに、クラリスは道具を持って俺の前にかがんだ。
履いたままの俺の革靴を磨くつもりらしい。
目の前に女の子がひざまずいて、俺の靴を磨いてくれるというのは、ちょっと気恥ずかしい。
と思ったけれど、クラリスが手に持っている道具を見て、俺はそっちのほうが気になった。
「えっと、クラリスさん。それ、豚毛のブラシじゃない?」
「豚の毛? そうなんですか? ともかく、靴磨きの道具ですよね?」
「靴磨きってさ、最初にホコリを落とすときは馬毛のブラシを使うんだよ。そっちに置いてあるやつ」
クラリスは慌ててもうひとつのブラシを手にとった。
俺はそれを見てから、言う。
「馬毛のブラシのほうが毛先が細いから、靴を傷つけずにホコリを落とせる。で、布を使って汚れも落として、その後で、豚毛のブラシとクリームを使って靴を磨く。そうするとうまく磨けるよ」
そこまで言ってから、俺は慌てて付け加えた。
「磨いてもらう立場で、注文をつけているみたいで、なんか悪いけど」
クラリスは頬を赤く染めて俺を見上げた。
「ソロン様ってなんでも知っているんですね!」
「いや、そんなに大したことではないと思うけど……」
メイドのクラリスは知ってるべきことのような気もしなくもない。
まあ、クレオンやソフィアみたいな貴族出身の人間なら知らない情報だとは思う。
俺がこういう些細な生活テクニックを知っているのは、俺が平民出身だからだ。
クラリスは馬毛のブラシを使って俺の靴の汚れを落とし始めた。
「ソロン様も、わたしと同じで使用人だったんですよね」
「そうだよ。俺は帝国のはじっこの公爵家の執事の息子だった。その公爵家が俺を魔法学校に入れてくれたんだけどね」
公爵は親切な人物で、俺が魔法に興味があると知り、またそれなりに勉強ができることも見込んで、学資を全部出してくれた。
それは幼なじみの公爵令嬢が後押ししてくれたおかげでもある。
学資は数十倍にして返したけれど、二年近く実家には顔を見せていないから、そのうち二人には会いに行かないといけないな、と思う。
クラリスは言った。
「そして、今では帝国最強の魔法剣士となったってわけですね」
「まあ、騎士団は追い出されちゃったけどね」
「でも、そのおかげでフィリア様の家庭教師になってくれて、あたしのことも助けてくれました」
言い終わってから、クラリスははっとした顔をして、手で口を押さえた。
「ご、ごめんなさい。ソロン様が追い出されたほうが良かったみたいな、なんか無神経な言い方ですよね」
「べつに気にしないけどさ、クラリスさんは『聖ソフィア騎士団の副団長』である俺を尊敬しているって言っていたよね。なら、実力不足で騎士団を追い出されたんだから、今の俺を見て失望したりしない?」
クラリスは首を横に振って、明るく微笑んで言った。
「ソロン様が戦っている姿を見たら、実力不足で追放されたなんて信じられません。あんなに強いんですから。周りの人達に妬まれて追い出されただけなんじゃないですか?」
「それは違うよ。俺の力が足りないのは事実だ」
「そういう謙虚なところも素敵です!」
「えっと、謙遜じゃなくてね……」
残念だけど、俺の戦闘能力が騎士団の役に立たなかったのは本当だと思う。
クレオンやアルテの言っていたことは正しい。
俺は器用貧乏だ。
一人で戦うならともかく、騎士団のなかで役割分担して戦うには、ずば抜けた能力が必要だけど、俺にはそれがない。
でも、クラリスは俺の内心とは無関係に言った。
「ともかく、ソロン様はあたしを二度も助けてくれた命の恩人です。たとえ、騎士団の人たちがソロン様を必要ないって言っても関係ありません。あたしやフィリア様はソロン様を必要としているんですから! ね?」
クラリスは上目遣いに俺を見つめた。
いずれにしても、俺はフィリアの家庭教師だ。そうである以上、フィリア専属の唯一のメイドであるクラリスは俺の同僚ってことになる。
その同僚が俺をこれだけ歓迎してくれているんだ。
嬉しく思うべきことだろうし、実際に嬉しい。
俺は俺の靴を磨いてくれてるクラリスに言った。
「クラリスさん。ありがとう。これからよろしく」
「はい。こちらこそ!」
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