133話 またパンケーキを作りたいから
ルーシィはクレアたちに連れ去られた。
おそらく軍の施設に拘束されるのだと思う。
クレアはルーシィの命を奪わないとは言ったけれど、それでも俺は不安だった。
いつ状況が変わって、ルーシィが処刑されてもおかしくない。
一睡もできないまま朝となり、俺は屋敷の書斎にこもってルーシィ救出の方法を考えた。
けれど、名案は浮かばない。
まだ自由同盟の計画は表沙汰にはなっていないのか、新聞での報道はない。
俺はため息をついた。
時間が経てば経つほど状況は悪化する。
俺は焦りながら紙に羽ペンを走らせ、現在までに判明している情報を整理しようとした。
そのとき、書斎の扉がノックされた。
「ソロン様? いらっしゃいますか?」
おそるおそるといった感じで、クラリスの声がした。
どうしたんだろう?
「どうぞ」
俺の言葉と同時に、クラリスが扉からひょこっと顔をのぞかせた。
普段のクラリスはいつも明るい表情をしているけど、今は心配そうに大きな瞳で俺を見つめている。
「どうしたの、クラリスさん?」
「パンケーキを作ったから、ソロン様もお食べにならないかなと思ったんです」
言われてみると、良い匂いがする。
考えてみたら、朝からなにも食べていない。
「ありがとう」
俺が微笑むと、クラリスはほっとしたような表情をして、そして部屋にそっと入った。
そして、俺のぴったりとなりに椅子を置いて、それに座った。
クラリスは机の上に皿を置いていて、そこには帝国風パンケーキが何枚か乗っていた。
帝国風のパンケーキは貴族と民衆のどちらも好んで食べる料理だ。
薄く焼き上げた生地を何枚も重ね、それにジャムやバターをつけて食べる。
砂糖がたっぷり入っているから甘い味なのだけれど、キャビアとかハムとかをはさんで、朝食や昼食として食べることも珍しくない。
「クラリスさんが作ってくれたの?」
「はい! ……ちょっと失敗しちゃいましたけど」
クラリスはメイドだけれど、皇宮でやっていたのはフィリアの身の回りの世話だったから、料理はあまり得意じゃない。
実際、目の前のパンケーキは少し生地が厚くなりすぎだったし、ところどころが黒く焦げていた。
けれど、口にしてみると、味はちゃんと調整されていたし、持ってきてくれたジャムと合わせればかなり美味しく食べられた。
俺がそう言うと、クラリスはぱぁっと顔を輝かせた。
「本当ですか!? ソロン様に褒めていただけるなんて、作って良かったです!」
「フィリア様も美味しいっって言ってなかった?」
「そうなんです! フィリア様は甘いものが好きですし」
「クラリスさんも甘いものが好きなんだよね?」
「はい。とっても! あ、紅茶もありますよ!」
クラリスは俺のために紅茶も注いでくれた。
俺はカップに口をつけて、ゆっくり味わいながら飲んだ。
その様子をじーっとクラリスが大きな瞳で見つめる。
なんだかじっと見られていると恥ずかしい。
「……どうしたの、クラリスさん?」
「えっと、いえ、その……ルーシィ先生のことで、ソロンさんはきっと大変だろうなって思って」
「俺はべつにどうってことはないよ」
本当に大変なのはルーシィと、そして自由同盟の皇帝候補とされていたフィリアだと思う。
けれど、クラリスは首を横に振った。
「でも、ソロン様もずっと書斎にこもってましたし……なにも食べずに」
「ごめん。心配させちゃったみたいで」
「あっ、そういう意味じゃないんです。ただ、お邪魔してしまったなら、申し訳ないなと思ったんです」
「そんなことないよ。パンケーキも嬉しかったし、それにいつもありがとう、クラリスさん」
俺が言うと、クラリスはちょっと顔を赤くした。
そして、視線を天井にさまよわせた。
「そういうふうに言われると、ちょっと照れてしまいます」
「そう?」
「そうですよ。例えば……」
クラリスは身を乗り出して、俺の耳にそっと口を近づけた。
「あたしもいつもソロンさんといられて、幸せなんですよ?」
クラリスの熱い吐息が耳にかかる。
俺は思わず自分が赤面するのを感じた。
なるほど。
クラリスが照れた理由がわかった気がする。
それを見て、クラリスがくすっと笑う。
「ほら、ソロンさんも照れてるでしょ?」
「からかわないでほしいな」
「ソロンさんと一緒にいられて幸せっていうのは、本当ですよ」
クラリスは面白がるような口調で言ったが、耳まで赤くしていて、恥じらうように目を伏せていた。
そんな表情をされると、こっちもさらに恥ずかしくなる。
クラリスは急に声を小さくして、続きを言った。
「フィリア様もソフィア様も、他のみんなも、きっとあたしとおんなじなんです。だから……無理をしないでください、ソロンさん。あたし、このお屋敷で、またソロン様のためにパンケーキを作りたいですから」
「ありがとう。それに、無茶はしないって約束するよ」
「はい! あ、一緒に帝都に出かける約束も、忘れないでくださいね? あたし、ソロン様と一緒に美味しいお菓子を食べられるのを、楽しみにしてますから」
「もちろん」
俺は微笑んでうなずき、クラリスもえへへと照れたように笑った。
ルーシィは俺にとって大事な師匠だ。
けれど、ルーシィを助けることで、フィリアやソフィア、そしてクラリスたちを危険にさらすことになるかもしれない。
どうすればいいのか、まだ方法は見えない。
ただ、一つだけ、今でもできることがある。
ルーシィに頼まれたことだ。
それはルーシィの弟子に会いに行くことだった。






