132話 別れにはならない
俺は考えた。
屋敷を包囲している軍人たちを、実力行使で排除するのは難しい。
単純な戦力という意味でも、相手にそれなりの実力の魔術師が数多く混じっているかもしれない。
ソフィアたちが味方として加わっても、人数の差がありすぎて勝てない可能性がある。
それより重要なことは、ここで俺が軍を相手に戦えば、完全に反逆者扱いされてしまうだろう。
クレア一人を相手にするのとは意味合いが異なる。
「さて、ソロンさん。その剣をしまってください」
クレアはにっこりと微笑んだ。
俺はやむなくクレアの首筋に当てていた剣を離し、鞘にしまった。
クレアは兵士の一人に近づき、静かな声で告げる。
「拘束するのは、ルーシィ教授だけです」
「このソロンという男は、ルーシィ教授の仲間ではないということですね?」
兵士はクレアにそう問い返した。
クレアは首を縦に振り、灰色の髪がふわりと揺れた。
「ソロンさんは自由同盟の計画には加わっていませんから。そのことはわたしが確認済みですし、わたしたちの上官もそれを認めています」
兵士たちはうなずくと、ルーシィへと向かっていった。
クレアはルーシィに反逆の責任を負わせるつもりらしい。
そうすれば、たしかに俺とフィリアは逮捕されずに済む。
自由同盟の計画そのものはすでに政府に漏れているから、その検挙を止めることはできない。
ただ、その罪状をかけられる人数を少なくすることはできる。
クレアはたしかに俺のことを助けようとしてくれているようだ。
けれど、このままではルーシィは捕らえられる。
かといって、軍と戦うのも非現実的だ。
俺はとっさに判断が下せなかった。
寝間着姿のルーシィは呆然としていたが、すぐに兵士たちに腕を縛り上げられそうになった。
ルーシィが「離して!」と叫ぶのを見て、俺は動揺した。
先に動いたのはフィリアだった。
「クレア少尉、わたしの話を聞いてくれる?」
「なんでしょうか、皇女殿下?」
二人の少女はまっすぐに対峙していた。
フィリアはワンピース姿で、祈るように両手を組んでいる。
一方のクレアは軍服で、相変わらず笑顔だった。
「ルーシィは反逆者なんかじゃないよ。皇女として、わたしが保証するもの」
「殿下がルーシィ教授をかばおうとする意思は尊重したいのですが、けれど、証拠がたくさん揃っているんです」
「でも……」
「ルーシィ教授の計画はおそれ多くもフィリア殿下を帝位につけるという陰謀でした。つまり、もし計画が進んでいれば、殿下ご自身も反逆の疑いをかけられていたはずです」
「わたしは皇帝になろうなんて思っていないよ? だから、ルーシィのことはわたしに預からせてほしいの。きっと無実だって証明してみせるから」
「たとえ皇女殿下のご命令とあっても、従うわけにはいきません。それに、もしここでわたしがルーシィ教授を見逃しても、いずれクレオン兄様と皇帝官房第三部の人間たちがルーシィ教授を捕まえに来ます」
そうなれば、俺もフィリアもルーシィと同罪として逮捕される可能性がある。
事態がより悪化するかもしれない。
クレアはそうほのめかしているのだ。
フィリアが悔しそうに唇をかんだ。
フィリアは勇気をもってルーシィを助けようとしてくれた。
けど、皇女の命令でもルーシィの逮捕を回避することは難しいようだった。
俺が代わりに進み出る。
「ルーシィ先生はこの後どうなる?」
「本来であれば逮捕の上、裁判にかけられて、処刑でしょうね」
フィリアが息を呑む。
けれど、俺はクレアの言い方に含みがあることに気づいた。
本来であれば、ということは別の可能性もあるということだ。
「ルーシィ教授が反逆者最初の逮捕者として、他の仲間や計画について詳細に明かしてくれるのでしたら、そのことを理由に刑を軽くすることができると思います」
「死刑にはならない?」
「はい。わたしは死刑でもいいんですけど、そうしたらソロンさんが悲しむでしょう? だから、そうならないようにしますよ」
処刑を回避しても、ルーシィは牢獄に入れられることに変わりはないだろう。
一応、生きてさえいれば、方法を見つけて助けることができるとも言える。
ただ、クレアが約束を守るとしても、状況が変化すればいつルーシィが処刑されるかはわからない。
それにクレアはルーシィに悪感情を持っているようだし、そのクレアにルーシィを渡すのは不安だった。
たとえ反逆者の疑いをかけられてでも、戦ってルーシィを連れて逃げるべきかもしれない。
フィリアは皇女だし、軍が危害を加える心配もないはずだ。
俺は覚悟を決め、剣を抜きかけた。
けれど、先に答えを出したのはルーシィだった。
「……いいわ。クレア少尉の言うとおりにする」
「決まりですね」
クレアがにっこりと微笑んだ。
俺はルーシィを振り返った。
このままではルーシィは逮捕され、計画は失敗し、ルーシィは牢のなかで怯えて過ごさなければならなくなる。
「それで……いいんですか?」
と俺はルーシィに問いかけた。
ルーシィは小さくうなずき、そして微笑んだ。
「だって、そうじゃないとソロンとフィリアが危険だから。元はと言えば私のせいだし」
「ですが……」
「大丈夫。私は死んだりしないから。私が殺して死ぬような人間だと思う?」
くすっとルーシィは笑ったが、その手は震えていた。
俺はクレアに頼み、ルーシィの拘束をいったん解いてほしいと言った。
クレアは警戒したようだったが、俺が強く要求すると、渋々と言った感じで兵士たちにルーシィから離れるように命令した。
たぶん、一度まとまりかけた交渉が決裂して、ふたたび戦闘になることを避けたかったんだろう。
俺はルーシィに近づくと、その手をそっと握った。
ルーシィがちょっと顔を赤くし、真紅の瞳で俺を上目遣いに見る。
俺はルーシィを安心させるように微笑み、そしてルーシィに一つの石を握らせた。
「これは……?」
「お守りみたいなものです」
それは、色とりどりの光を放つ魔石だった。
ルーシィたちと薬草を探しにコリント庭園に行ったとき、遺跡で拾ったものだ。
「綺麗……」
ルーシィがつぶやいた。
一点を除けば特別な用途のない魔石だけれど、その輝きはかなり美しかった。
ルーシィはぎゅっと魔石を握りしめた。
「ありがとう。大事にする」
俺は口だけを動かし、声を出さずに「必ず助けに行きます」と伝えた。
周りの兵士に聞かれるわけにはいかないからだ。
ルーシィはうなずくと、柔らかい微笑みを見せた。
「フィリアと、それと私の弟子のことをお願いしてもいい?」
「もちろんです」
ルーシィには、まだ魔法学校に在学中の弟子がいたはずだ。
一度も会ったことはないけれど、いちおう俺が兄弟子ということになる。
クレアがしびれを切らしたように「もういいでしょう」と俺たちに言った
俺とルーシィは目を合わせ、うなずきあった。
これが最後の別れにはならないはずだ。
 






