130話 クレアの武器
俺もフィリアも驚いて入り口を振り返った。
こんな深夜に誰か起きてきたんだろうか。
けれど、そこに立っていたのは、予想とは全く違う人物だった。
そもそも屋敷の住人ですらない。
。
軍服姿の少女クレアが、扉にもたれかかり、腕を組んでいた。
クレアは灰色の瞳でまっすぐ俺たちを見つめた。
フィリアが怯えたように俺の後ろに隠れ、俺の袖を引っ張った。
一方のクレアは余裕の表情で微笑んだ。
「はじめてお目にかかります、皇女フィリア殿下」
「あなたは……だれ?」
「わたしは帝国軍少尉のクレアです。聖騎士クレオンの妹といったほうが通りが良いかもしれませんが」
クレアはくすっと笑い、それから食堂の中央へと移動し、俺たちの前に立った。
俺は宝剣の鞘に手をかけた。
冒険者時代のくせで、肌見離さずに宝剣を持ち歩いていてよかったと思う。
こんな深夜に一言もなくクレアが屋敷に忍び入るというのは、どう考えてもおかしい。
「クレアはどうやってこの屋敷に入った?」
「結界のことでしたら、破らせてもらいました。昨日、わたしがこの屋敷に来た理由は、一つはソロンさんに会いたかったからですけど、もうひとつは内側から結界の構造を知るためだったんです」
「仮に結界の構造がわかっても、クレアには魔術で作られた結界を破ることはできないはずだ。なぜなら……」
「そう。わたしには魔力がありませんから、普通なら魔法の結界を破るのは不可能です。ですが、いまのわたしは『普通』ではないんです」
クレアは腰に下げた大剣を抜き放った。
俺は思わず「あっ」と声を上げそうになった。
その大剣は水晶でできていた。
死都ネクロポリスで、聖人サウルが持っていた宝剣だった。
水晶剣はサウルが倒された後、フローラが使っていた。その後にクレオンの救国騎士団が回収したんだろう。
クレアは愛おしそうにその剣を見つめた。
「これさえあれば、わたしにだって魔法が使えるんですよ。そして、皇女殿下とソロンさんを助けてあげられます」
「クレアが俺たちを助ける?」
「はい。わたしはソロンさんたちの味方なんです。フィリア殿下とソロンさんが帝位を狙うつもりがないことを聞いてほっとしました。これで心置きなく、反逆者ルーシィを捕らえることができます」
それがクレアのやってきた目的か。
たぶん、以前からクレアは自由同盟の計画を何らかの形で知っていたのだろう。
だからこそ、ルーシィが俺を利用しようとしている、なんていう忠告をしたのか。
いずれにせよ、状況は危機的だ。
クレアは軍の人間で、そのクレアがルーシィを反逆者として逮捕すると言っている。
もうルーシィは完全に政府の敵として目をつけられているわけだ。
「クレアの目的は、ルーシィ先生の身柄かな。なら、俺も『はいそうですか』と言ってルーシィ先生を渡すってわけにはいかない」
「あのルーシィの味方をするなら、ソロンさんだってただではすまないんですよ?」
「だとしても、ルーシィ先生は俺のたった一人の師匠だからね」
俺はクレアの言うとおりにすることはできない。
ルーシィを見捨てるなんてことはできないからだ。
俺はフィリアを振り返った。
「フィリア様はどうなさいますか」
フィリアはくすっと笑った。
「わたしもルーシィのことを見捨てたりしないよ。だって、ルーシィはずっとわたしの味方をしてくれてたから。それにね、ルーシィはソロンをわたしの師匠にしてくれたんだもの」
俺は微笑んでうなずいた。
ルーシィを守るためには、目の前のクレアをなんとかしなければならない。
そのとき、食堂の入口にひょこっとルーシィが顔をのぞかせた。
ルーシィは白いワンピースの寝間着姿で、当然、杖も持っていない。
完全に無防備な状態だ。
「こんな時間に誰か起きているの?」
ルーシィが不思議そうに言い、そして俺たちの姿を見て首をかしげた。
卓上の紅茶とジャムを見る限り、この場は平和そのものだった。
異質なのは、クレアの存在だけだ。
クレアはにっこりと微笑んだ。
「ルーシィ教授、軍情報局の命令により、わたしはあなたを逮捕しに来ました」
「私を逮捕? いったい何の疑いで?」
ルーシィはとぼけてみせたが、その表情は固かった。
「反政府結社の自由同盟への参画。および皇帝陛下廃立の謀議。身に覚えがないとは言わせませんよ」
それを聞いた瞬間、ルーシィは何も言わずに手をかざし、クレアめがけて炎魔法を放った。
激しく炎の渦が燃え盛り、やがてそれは大きな火の輪となる。
ルーシィほどの魔術師ともなれば、杖の力を借りずにかなりの威力の魔法を使えるのだ。
普通の人間であれば、ルーシィの攻撃に対応できずに一瞬で倒されていたはずだ。
けれど、クレアがおもむろに水晶剣を一振りすると、ルーシィの炎魔法は簡単にかき消えた。
「どうして……!?」
ルーシィが驚きの声を上げ、真紅の瞳を大きく見開いた。
「この水晶剣は聖なる力を持っているんですよ。ルーシィ教授をも凌ぐほどの力を、わたしは手にしたんです!」
クレアは言うと、水晶剣を一閃させた。
すると、黄金色の光の波が生まれ、それがルーシィめがけて飛んで行く。
呆然とするルーシィの前に、俺は走り出て、宝剣でクレアの攻撃を受け止めた。
けれど、黄金色の光はわずかに宝剣で止めきれず、俺の肌に触れた。
焼けるような痛みが生じ、俺は顔をしかめた。
「そ、ソロン!」
「大したことはないですよ」
俺はルーシィに答え、そして大きく宝剣テトラコルドを振りかぶって一歩前へと踏み出した。
そして、クレアとの間合いを詰める。
水晶剣が規格外の武器であるのは、サウルとフローラが実証済みだった。
なら、手がつけられなくなる前に、早めに勝負をつける必要がある。
「嬉しいですね。何の魔力もないわたしが、魔法の力でソロンさんと戦える日が来るなんて」
「俺はクレアと戦いたくなんてなかったよ」
俺の宝剣テトラコルドがクレアの水晶剣を捉えた。
だが、フローラのような純粋な魔術師と違って、クレアは軍人であり、剣の扱いに慣れている。
クレアは巧みに俺の剣撃に対処して弾き返す。
俺がふたたび斬撃を繰り出すと、クレアは水晶剣をかまえ、そして灰色の目で俺を鋭く睨んだ。






