127話 真夜中のお茶会
屋敷に戻ったのはもう夜遅くだった。
ルーシィは自室に戻り、俺も自分の部屋へと入った。
もう燭台の火は消されていて、窓から射し込む月明かり以外は、何の明かりもなかった。
ソフィアやクラリスはもう眠ってしまったようで、すやすやと寝息を立てている。
ただ、フィリアだけはベッドに腰掛けて窓の外の月を眺めていた。
銀色の髪が月明かりに照らされて輝いている。
俺が戻ってきたことに気が付き、フィリアは立ち上がると、こちらを振り向いた。
寝間着の白いネグリジェの裾がふわりと揺れる。
「おかえり、ソロン」
「ただいま戻りました、フィリア様。もうお加減はよろしいんですか?」
「うん。熱も下がったし。ソロンとソフィアさん、それにルーシィのおかげだね!」
フィリアの体調不良の原因は、つなげた魔力回路から、俺がフィリアの魔力を使ったことにあった。
遺跡で見つけてきた薬草を使って、問題なく回復したわけだ。
俺はほっとした。俺のせいでフィリアが苦しみ続けるなんて、想像しただけでも耐えられない。
「良くなったとはいえ、早く寝たほうがいいですよ。ルーシィ先生も言っていましたが、体力を回復させることが重要ですから」
「うん。でも、昨日も今日も一日中ずっと寝てたから、眠れなくなっちゃって。目も冴えてるのに、退屈だし」
「それは困りましたね」
たしかに風邪を引いて寝込んでいた後とかに、そういうことは良くある。
「といっても、良くなったと思って動き回るとぶり返しますからね」
俺もそれでひどい目にあったことがある。
子どもの頃、流行り風邪にかかって数日間寝込んだ。
やっと熱が下がった日に、主である公爵のご息女がやってきて、「治ったなら遊びに行こうよ!」と言って俺を冬の野原に連れ出した
結果、俺はまたベッドの上に逆戻りすることになった。
そういうことを考えると、フィリアにはおとなしくしておいてもらったほうがいい。
けれど、本人は暇で仕方がないと言った感じで、放っておくのもかわいそうだった。
それに、このままだとフィリアは「もう元気だもの!」と言って、こっそり部屋を抜け出したりしかねない。
俺はしばらく考えてから、良いことを思いついた。
「眠れないなら仕方ありませんね。一緒にお茶でも飲んで身体を温めましょうか」
フィリアはぱぁっと顔を輝かせた。
「ソロンと二人で?」
「他には誰も起きていませんからね」
俺が笑いながら言うと、フィリアはうなずいた。
「うん。そうだよね。楽しみ!」
とフィリアがつぶやいた後、急に心配そうな顔になった。
「でも……ソロンは眠たくない?」
「俺も少し考え事をしたいですから。それに、フィリア様が喜んでくれるなら、眠気なんて吹き飛びますよ」
冗談めかした俺の言葉に、フィリアは弾んだ声で「ありがと、ソロン」と言った。
俺はフィリアのために上着をとって手渡すと、一緒に屋敷の下の階へと降りた。
この機会に、フィリアを皇帝としようというルーシィたちの計画についてフィリアと話し合ったほうが良いかもしれない。
でも、フィリアは病み上がりだし、それ俺としても、まずは普通にフィリアとのお茶を楽しむことにしたい。
食堂は真っ暗で、俺が食卓の上の燭台に火を灯すと、その周囲のわずかな範囲がぼんやりと照らされる。
「座って待っててください。お茶は俺が淹れますから」
「はーい」
ときどきフィリアは自分でお茶を淹れて、俺やクラリスたちに振る舞ってくれる。
本当は皇女自身がやることではないのだけれど、一種の趣味で、俺たちのためにお茶を淹れられること自体が楽しいらしい。
けれど、今回はフィリアは病人なので、当然、俺が淹れることになる。
卓上の金属製湯沸かし器に俺は水を注ぎ、上部の蓋を開けて茶葉を入れた。
鉄と真鍮でできた湯沸かし器は壺のような形で、表面に青い塗料で美しい模様が描かれている。
これはお茶を淹れるための機械として、帝国でそれなりに広く使われている。
俺はこの機械の雰囲気を気に入っていて、わざわざ高級品をペルセの店で買って屋敷に置いていた。
とんとんと俺は湯沸かし器を指で叩くと、魔力が流し込まれ、加熱が始まった。
上部には燃料として松ぼっくりが入れられていて、後は自動で茶葉が煮出される。
この機械を使うとかなり濃くお茶は抽出されるので、機械の下部にたまったお湯を最後に注いで調整する必要がある。
待っているフィリアは足をぶらぶらさせていた。
「今日はルーシィとどこに出かけたの?」
「帝都の郊外の酒場ですね。ちょっとした用があって」
「いいなぁ。わたしも行きたい」
「フィリア様とは遺跡を探検しに行く約束をしたじゃないですか」
俺は振り返ってくすっと笑った。
フィリアは頬を膨らませる。
「遺跡の冒険も行きたいけど、ソロンと一緒に帝都にお料理を食べに行ったりもしてみたいの。クラリスともそういう約束をしたんでしょ?」
「なんで知っているんですか?」
「クラリスが自慢してたもの」
クラリスが明るい笑顔で、「今度ソロン様と帝都にお出かけすることになったんです!」と言っている姿が目に浮かぶ。
俺は思わず、くすっと笑った。
一方、フィリアは少し顔を赤くして、上目遣いに俺を見つめた。
「わたしもソロンと二人っきりで帝都に遊びに行きたいな」
「それは……」
「クラリスはいいのに、わたしはダメ?」
「いえ。皇女様が突然店にやってきたら、騒ぎになってしまうかなあと思いまして」
「変装して普通の女の子のフリをすれば大丈夫だよ。前だってペルセさんの店に一緒に行ったもの」
「それもそうかもしれませんね。じゃあ、一緒に帝都の店を回りましょうか」
「約束だよ?」
フィリアはそう言って、赤い顔のまま微笑んだ。
俺は考えた。
フィリアを帝位につけるという計画はおそらくそう遠くないうちに動き始める。
そうなれば、フィリアがお忍びで帝都の店に行くことは不可能になってしまうかもしれない。
それでも、俺はフィリアにうなずいた。
「はい。必ず俺がフィリア様に帝都をご案内してさしあげますよ」
そのとき、金属製湯沸かし器の上部が赤く輝き、茶が入ったことを知らせた。
俺が紅茶をティーカップに注いでフィリアに渡すと、フィリアは嬉しそうに「真夜中のお茶会だね、ソロン」と言い、俺を見つめた。






