123話 魔法の使えない少女
クレオンの妹のクレアに会ったのは、俺が帝立魔法学校の一年生だったときだった。
クレオンにはじめて自邸に招待されたのだ。
クレオンは公爵家の息子であり、帝都の屋敷の広大さには驚かされた。
その屋敷の奥にいたのが幼いクレアだった。
まだクレアは九歳で、上質な灰色の髪を長く伸ばしていたし、宝飾品の散りばめられた高価なドレスを身にまとっていた。
いかにも深窓の令嬢という感じだった。
ただ、印象的だったのは、灰色の瞳が聡明そうに明るく輝いていたことだ。
「あの頃のわたしは何の力もありませんでした。そして、今も何の力もないんですよ」
目の前のクレアは自嘲するようにつぶやいた。
俺はたびたびクレオンの家を訪れていたし、そのときはたいていソフィアも一緒だった。
ソフィアはクレアと同い年で、だから、二人はけっこう仲良さそうに遊んでいたことを覚えている。
クレアはいずれ帝立魔法学校に入るのだと言っていて、「そうしたらソロンさんたちはわたしの先輩ですね」と嬉しそうに笑っていた。
けれど、それは実現しなかった。
つまり、クレアは魔法学校の入学試験に合格しなかった。
なぜなら、クレアには一切の魔法の才能がなく、魔力の量も零だったからだ。
幼い頃には魔力が発現していないことは珍しくないし、年齢が上がれば徐々に魔力量は増えていく。
だから、帝立魔法学校の標準入学年齢は十二歳となっている。
ただ、クレアは十二歳になってもまったく魔法が使えるようにならなかった。
多少なら魔力量が劣っていても、それを知識と技術でカバーすることはある程度まではできる。
ただ、まったく魔力がない人間、いわゆる「欠落者」となると、それも不可能だ。
クレオンには圧倒的な魔法の才能があり、後には聖騎士となり、帝国最強の冒険者の一人となった。
そういうクレオンと比べると、クレアはまるで正反対の存在だった。
ある日、俺がクレオンの家に行くと、クレアはいなかった。
俺がどうしたのかと尋ねると、クレオンは目をそらし、「士官学校に行った」と短く答えた。
士官学校は全寮制で、それ以降、俺は一度もクレアに会わなかった。
いま、目の前にいるクレアは、髪を短く切りそろえ、軍服を身にまとっている。
そして、当然だけれど、当時よりもかなり大人びていた。
この少女がクレアだと気づけなかったのは、あまりにも昔とは印象が変わっていたからだった。
「ええと、ずいぶん大きくなったね」
「親戚のおじさんみたいなことを言わないでくださいよ。そういうソロンさんはカッコよくなりましたね」
からかうようにクレアが言う。
当時のクレアはわりと俺に懐いてくれていた。
ただ、今のクレアが俺をどう見ているのかは別だ。
いまや俺とクレオンは仲間ではない。
クレアとも、気づかないうちに二度も敵として戦っている。
「わたしは羨ましかったんですよ」
「なにが?」
「お兄様やソフィアさんのことが羨ましかったんです。だって、ソロンさんと一緒の学校に通えて、一緒に冒険者になって、騎士団を作ることができて……。ぜんぶ、わたしにはできなかったことです」
一瞬だけ、クレアの灰色の瞳が憂いをおびた。
けれど、クレアはすぐに明るい表情に戻った。
「あの優しかったソロンさんが帝国最強の騎士団を作って、魔法剣士として英雄になったって聞いて、わたしは嬉しかったんです。お兄様はいつもソロンさんのことを褒めてました」
「俺は英雄なんかじゃないよ」
「そうでしょうね」
意外にもあっさりとクレアはうなずいた。
そして、クレアは灰色の目で鋭く俺を射抜いた。
「わたしがもっと嬉しかったのは、ソロンさんが騎士団を追放されたことです」
「……どういうことかな?」
「ソロンさんは力が足りなくて、弱かったせいで、騎士団を追い出されたんでしょう? わたしは力が足りなくて、才能がなかったせいで、魔法学校に入れませんでした。だから、ソロンさんがわたしと同じ側に来てくれたって思ったんです」
「ソロン様は弱くなんかありません!」
横からクラリスが口をはさんだ。
クラリスは珍しく憮然とした表情だ。
きっと俺のために怒ってくれているんだろう。
けれど、クレアはひるまず、クラリスに向き合った。
「メイドのあなたも魔法は使えないんでしょう? ああ、でも、わたしと違って、魔力はあるんだ。羨ましいな」
クレアはつぶやいた。
そして続きを言う。
「でも、少なくとも、わたしもソロンさんもそこのメイドさんも、みんな魔法の天才ではないんですよ。逆にお兄様やソフィアさん、それにソロンさんの師匠のルーシィ。みんな素晴らしい才能を持っていて、圧倒的な強さを誇っています。ソロンさんはああいう規格外の人たちとわかりあえるんですか?」
「クレオンだって昔は俺の友人だったし、ソフィアは今でも大切な仲間だ。そして、ルーシィ先生は俺の師匠だよ」
俺がルーシィの名前を口にしたとき、クレアはぴくっと震えた。
わずかな動作だったけれど、俺はクレアの目に憎悪の色が浮かぶのを見逃さなかった。
「ルーシィはソロンさんの思っているような善人じゃないですよ」
「どうしてクレアがそんなことを言うのかわからないけど、俺はルーシィ先生のことを信頼しているよ。もう何年も俺はルーシィ先生のことを知っているし」
「ソロンさんはあのルーシィという人のことを何も知りません。だって、あの人はソロンさんのことを騙して利用しようとしています」
「それはどういう――」
俺はクレアに問いただそうとしたが、その質問は遮られた。
「何をしているの、ソロン?」
背後から、女性としてはやや低め、しかし美しいトーンの声がした。
振り返ると、そこには真紅のルーシィが立っていた。