116話 師匠らしいこと
ルーシィは火酒の瓶をとると、ふたたびベッドに腰掛けた。
そして、俺とルーシィのあいだのテーブルに瓶を置き、とんとんと白い指先で叩いた。
たちまち酒瓶が氷結する。
ルーシィが氷魔法を使ったのだ。
ただ、瓶の中身は凍っていない。
アルコールの度数が高すぎて、氷らせようにも氷らせることができないからだ。
俺は部屋の棚から透明のショットグラスを探してきて、凍った瓶を手に取り、透明のショットグラスに注いだ。
ルーシィがぱぁっと顔を輝かせる。
「おいしそう……」
この方法こそがこの火酒の正しい飲み方だった。
冷やせば冷やすほど、とろっとした口触りになり、まろやかに飲むことができる。
が、そうは言っても、度数の高いお酒だから、喉元をすぎるときには焼けるような感触がするけれど。
それにお酒に弱いルーシィだと、ちょっと飲んだだけでも酔いつぶれかねない。
「あんまり飲んじゃダメですよ……?」
「いいじゃない。今日ぐらいは」
「今日だけ、って言い訳しながら、昔も毎日たくさん飲んで酔いつぶれていたじゃないですか」
俺は笑いながそう言った。
そして、瓶を取り上げて、棚へ戻した。
ルーシィが真紅の瞳で俺を睨む。
「ソロンのケチ」
「先生のためを思って言っているんですよ」
「なにそれ、お説教? これじゃどっちが師匠かわからないじゃない」
「本当ですね」
俺がそう言うと、ルーシィは頬を膨らませたが、やがてくすくすと笑い出した。
昔から、飲みすぎるルーシィをたしなめるのが俺の役目だった。
ただ、ルーシィがそんなふうにお酒を飲みすぎるのは俺の前でだけだった。
ちゃんとした宴席の場で失態をさらしたりはしないし、常に魔法学校の教授らしく振る舞っていたと思う。
きっと、まだ十代後半だった当時のルーシィにとって、魔法学校の教授を務めるのは大変なことだったと思う。
いくら天才でも、それだけで権威ある名門校の教師兼研究者が務まるというものでもない。
対外的には完璧な魔術師を演じていても、きっとすごい負担を感じていたはずだ。
だから俺の前で気がゆるむと、羽目を外してしまったのだと思う。
と昔を振り返っていたら、ルーシィがグラスの火酒をごくごくと飲んでいた。
慌てて俺は止めようとするが、もう遅い。
「そんな一気に飲んだら、すぐに酔いがまわってしまいますよ!」
「べつにいいでしょう? ソロンがいるんだから安心できるし」
「それは俺に介抱しろってことですか?」
「ダメ?」
わざとらしくルーシィが首をかしげ、そして微笑む。
その仕草はあざとく、そして可愛かった。
ダメというわけではないけれど、ベッドに座りながらそう言われると、少し意識してしまう。
ルーシィが着ているのは薄い寝間着だけだし、風呂上がりのせいで肌は上気したように赤くなっている。
それに、早速酔ってきたのか、目もとろんとしてきている。
これは早いところ本題に入って、引き上げてしまったほうが良さそうだ。
でないと、なんとなくまずいことになる気がする。
でも、ルーシィはグラスを眺めながら、楽しそうに笑っていた。
「ソロンと二人きりでお酒を飲めて嬉しい」
ルーシィはきれいな声でつぶやくと、グラスに瑞々しい唇をそっとつけた。
その様子がなんとなく艶やかで、俺は思わずどきりとした。
「ソロンは帝都に戻ってきたのに、最初の一回以外はぜんぜん私に会いに来てくれないし」
ルーシィが駄々をこねるようにそう言う。
主にルーシィに会いに行けなかった理由は、ルーシィが紹介した生徒のフィリアに関わる事件に巻き込まれたからだけれど。
でも、俺は素直にルーシィに謝った
「すみません」
「だったら、私を寂しくさせないでよ」
ルーシィは小さくつぶやいた。
その表情はとても弱々しく、不安そうだった。
「私……ソロンになにも師匠らしいことができてない」
「ルーシィ先生がいなかったら、今の俺はいませんよ」
「嘘。ソロンはきっと私なんかいなくても、成功したと思う。逆に私はいつもあなたを頼ってばかりだったもの」
そう言って、ルーシィは俺の頬をそっと触る。
温かい手のひらに撫でられ、俺は思わず赤面した。
俺はどぎまぎしながら話をとっさにそらした。
「ええと……ルーシィ先生。それで大事な話って……?」
「そんなに急がなくてもいいじゃない。夜は長いんだから」
「そんなこと言っていたら、絶対ルーシィ先生がいつのまにか寝ちゃいますよ」
「なら、起きてから話せばいいでしょう?」
ルーシィは熱っぽい、ぼーっとした目で俺を見つめながら言った。
ダメだ。
もうルーシィは完全に酔っ払っている。
俺はどうしたものかと考えながら、グラスの酒をあおった。
もちろん、ここで部屋から出ていくこともできるのだけれど、ルーシィを一人にしていくのは忍びない。
それに、俺自身もルーシィ先生と昔みたいに過ごせるのは楽しいことだった。
酒が回ってきたのか、俺自身もふわりとした軽やかな気分になってきた。
まあ、今回ぐらいは追加で飲んでも構わないか。
俺はあっさりルーシィにした忠告を忘れて、立ち上がって火酒の瓶をとろうとした。
ところが、俺の身体は酔いのせいでふらついた。
俺はテーブルの脚に引っかかり、前の目に倒れていく。
その先には、ベッドに座るルーシィがいた。
ルーシィはキョトンとした顔をして、それから「そ、ソロン!」と慌てた様子でつぶやいたけど、なぜか避けなかった。
そのまま俺はルーシィを巻き込み、ベッドの上に倒れ込む。
「いたた……」
俺はうめいて目を開くと、すぐ目の前にルーシィの真っ赤な顔があった。
ちょうど俺はルーシィをベッドの上に押し倒す格好になってしまったらしい。
俺の右手はルーシィの肩を押さえる形になっていた。
左手はといえばルーシィの胸の上にあり、その柔らかさが感触として伝わってくる。
「ひゃうっ!」
ルーシィは小さな悲鳴を上げると、少し震えて、恥ずかしそうにベッドのシーツを片手でつかんだ。
それからルーシィは目をぎゅっとつぶる。
なにか誤解されている気がする。
俺が顔を赤くして慌てて離れると、ルーシィはほっとしたような、それでいて残念そうな複雑な顔をした。
「そのままでも良かったのに。私、てっきりソロンに……」
続きをルーシィは言わず、もともと赤かった顔を、さらに耳まで朱に染まるほど赤くした。
そして、ルーシィは照れ隠しのように、目をそらす。
「あ、あのね……大事な話は二つあるの。一つは……ソロンとフィリアに会ってほしい人たちがいるのよ」
「俺とフィリア様に?」
「ええ……ソロンは自由同盟って知ってる?」
ルーシィは小声で俺に尋ね、そして赤い瞳で俺を上目遣いに見つめた。






