110話 フローラの想い
死者は蘇らず、というのは普遍の真理だ。
けれど、クレオンは魔王の力を使い、俺たちのかつての仲間シアを甦らせるつもりなのだ。
俺は震えた。
クレオンのやろうとしていることは帝国教会の禁忌に触れる。
それだけじゃない。
死者の蘇生のために、いったいどれほどの犠牲を払わなければならないのか、まったく想像がつかない。
クレオンは言う。
「魔王アカ・マナフ一体の復活だけでは、死者の蘇生は達成できない。まだ、計画は始まったばかりということだ」
すでにネクロポリス攻略のために多くの冒険者が死んだ。
いま、魔王を復活させるために、フローラとアルテという二人の少女が生贄とされつつある。
この上さらに犠牲を重ねることでしか、クレオンの目的は達成できないのだ。
「こんなことはやめるべきだ、クレオン」
「僕の目的はたしかにまったく個人的なものだ。が、しかし魔王の復活とネクロポリスの財宝獲得は帝国の国益にもつながるからな。首相ストラス閣下の意向にもかなっている」
「そういうことじゃない。こんなやり方で生き返るなんて、シアが望むと思う?」
「シアは遺跡で魔族に撲殺されるなんていう酷い死に方をしたんだ。納得して死んでいったとでもいうのか? そんなわけないだろう」
「けれど……」
「人は自分の居場所のためなら、どれだけでも残酷になれるんだ。君だって、ソフィアや皇女殿下が殺されそうになったら、手段を選ばず守ろうとするはずだ」
「それとこれとは話が違う」
「違わないさ」
瀕死のフローラの瞳からはすでに光が失われつつあった。
血を流し、魔力を奪われつつあるフローラは、ただときどきびくびくと痙攣するだけで、もうほとんど死人同然だった。
そのとき、広間に新たに大勢の冒険者たちが現れた。
先頭に立つのは、鋼の重厚な鎧に身を包んだ大男だった。
「第二分隊の守護戦士ガレルスだ。途中いくらかの犠牲は出したが、帰還への道は確保しておいたぜ。で、この状況は?」
ガレルスはあたりを見回し、横たわるアルテとフローラを見て、「ああ」とつぶやき、薄く笑った。
まるでこうなることを予め知っていたかのようだ。
クレオンは簡潔に現在の状況をガレルスたちに告げると、アルテとフローラに刺した杭と同じ形状のものをガレルスに渡した。
それは短い周期で赤く輝き、二人の少女に刺された杭と対になって共鳴しているようだった。
あれが魔王復活のための魔力を吸い上げる装置なんだろう。
「ガレルスにこの場の後始末は頼む」
「任せておけ、クレオン」
それを合図に、クレオンとカレリアたち騎士団の幹部が魔王のいた玉座の間へと向かった。
やがてクレオンたちが移動を終えると、玉座の間と俺たちのいる広間のあいだの壁が再び閉じた。
そのあいだに俺は身をかがめ、フローラの治療に専念した
魔力を最大限に使って治療にあたったし、ついでに白魔道士のリサも駆け寄ってきて手伝ってくれた。
だから、ほんのわずかだけフローラの容態は良くなったように見えたけど、基本的には焼け石に水だった。
このままではフローラの身体は持たないだろう。
ガレルスが俺に声をかけた。
「よせよ。クレオン暗殺未遂の大罪人なんざ助ける意味なんてなんだからなぁ?」
「こうなることをガレルスは知っていた?」
「まさか」
ガレルスは声を上げて笑った。
楽しくてたまらないというように。
そして、ガレルスは、倒れ伏すアルテの頭を掴み上げ、その腹部を蹴り上げた。
短い悲鳴をアルテは上げたが、次の瞬間には、憎悪のこもった目でガレルスを睨み返し、「あんたなんか……」と吐き捨てていた。
ガレルスはそれにかまわず、アルテを床に叩きつけた。
「おいおい、思ったより元気じゃねえか。このまま魔王復活の生贄になっても、アルテは死なずにすむかもな。まあ廃人同然になるのは免れんだろうが、そりゃアルテ自身が魔王の子孫たちを同じ目に合わせてきたんだから自業自得ってやつだろう。だが……」
ガレルスはフローラに目を移した。その瞳には憐れみと蔑みがあった。
「同情するぜ。こんな馬鹿な女の妹でなければ、そしてクレオンに楯突こうなんていう愚行さえしなければ、ここで死ぬこともなかったんだが」
フローラがここで死ぬ。
その可能性はかなり高くなっていた。
「まあ、死ななくても大罪人として奴隷に落とされるわけだがな。元侯爵令嬢で優秀な魔術師の残骸といえば、奴隷としていい値段で売れただろうからもったいないもんだ」
ガレルスは好き勝手なことを言っていた。
とてもかつての仲間に対する物言いだとは思えなかった。
そのとき、フローラは瞳にわずかに輝きを取り戻し、立ち上がろうとした。多少は俺たちの治療が役に立ったのかもしれない。
けれど、フローラはすぐによろめいて倒れそうになり、慌てて俺はフローラを支えた。
俺は正面からフローラを抱きしめる形になったけれど、その身体は驚くほど軽かった。
フローラは黒い瞳で俺を上目遣いに見つめた。
「ソロン先輩……最後に二つだけお話しておきたいことがあるんです」
「最後だなんて言わないでほしい。無理して喋らなければきっと回復も……」
フローラは首を横に振った。
もう助からないと、フローラの目は言っていた。
「お姉ちゃんを助けてあげてください。そんなこと、先輩に頼むなんて勝手だってわかってます。でも、もう私にはできないですから」
俺はうなずいた。
アルテは俺の敵だった。
でも、こういう事態に陥る以前に、フローラは、俺とフィリアを守る代わりにアルテを助けてほしいと取引をもちかけていた。
実際にフローラはサウルを倒して俺たちを助けてくれた。
あまり賛同できない暴走ではあったけれど、クレオンを倒すことでフィリアを守ろうともしてくれた
なら、俺は可能なかぎりフローラの願いを叶えてあげたい。
フローラは弱々しく微笑み、恥じらうように目を伏せた。
「もう一つの話は……どうでもいいことなんです。私、先輩のことが好きだったんですよ」
「へ?」
俺はきょとんとして、それから少し自分の顔が赤くなるのを感じた。
こんな場所で、こんな状況で、フローラから告白されるなんて思いもしなかった。
「魔法学校で初めて会ったときから、ずっとです。ううん、今も。先輩の前だけでは、素直でいられるような気がしたから。だから……」
そこでフローラの言葉は途切れた。
次の瞬間、俺の腕のなかのフローラの身体がびくりと跳ね、フローラの甲高い叫び声が響き渡った。
胸に打ち込まれた杭がさらに激しく赤く輝き、同時にフローラから魔力が急速に流れ出していくのがわかった。
フローラの絶叫はやがて止まったけれど、もはや大きく息をするだけで、瞳は濁り、顔からは生気が失われていた。
「ソロン。こいつらを助けたければ、この杭をなんとかしないとダメだぜ。おまえの二流の回復魔術じゃどうにもならん」
ガレルスが俺に面白がるように告げた。
見ると、ガレルスの手の中の透明な杭も、赤い輝きを増していた。
あれを奪えば、フローラたちからの魔力の流出を止めることができる。
そうなれば、二人を助けることができるかもしれない。
けれど、そのためには、ガレルスを敵に回して勝たなければならない。
「賭けをしようぜ、ソロン。戦っておまえが勝てば、この杭はおまえのもの。二人を生かすも殺すもおまえの自由だ」
「ガレルスが勝ったら?」
「オレが勝ったら、そのときはおまえの宝剣テトラコルドをよこせ。そいつを使いこなせるのはおまえじゃなくて、オレだからな」
俺はうなずいた。
賭けるのは自分の宝剣だ。
もし負けても、誰か他人を傷つけることはない。
ただ、相手は騎士団幹部のなかでも上位の実力をもつガレルスだ。
はたして勝てるかどうか。
ガレルスは馬鹿にしたように軽い口調で続けた。
「オレは一人で戦うが、おまえは味方を何人つれてきてもかまわんぜ。じゃないと賭けにもならずにオレの勝利で決まりだからな。もっとも、味方になってくれるような酔狂なやつなんざ、いないかもしれんが」
俺はあたりを見回した。
アルテとフローラを助けるために、味方になってくれる冒険者なんていなかった。
召喚士ノタラスは、クレオンとともに魔王のいる玉座の間へ向かってしまっている。
そのとき、二人の小柄な少女が進み出た。
一人は白魔道士のリサだ。
そして、もう一人は皇女フィリアだった。
「わたしはソロンの味方なんだから!」
フィリアはそう言い、リンゴの木の杖をさっと抜くと、高くそれを構えた。
あと数話で第五章は完結の予定です。






