101話 最後の番人
俺はフィリアにうなずき返すと、そっとフィリアの肩をぽんと叩いた。
それを合図に、フィリアが俺から離れる。
ちょっと恥ずかしそうにしているフィリアの向こうには、アルテとフローラがいる。
少し安堵したような顔のアルテが、フローラに話しかけ、フローラは言葉少なくそれに返事をしていた。
俺はノタラスに近寄り、ここは何層なのか、と尋ねた。
ノタラスはメガネの奥の瞳を光らせた。
「まったく見当がつきませんな」
遺跡の崩落の影響で、正確な現在位置を把握できていないのだ。
「おおよそ十八層ぐらいかな」
俺がつぶやくと、ノタラスも「おそらく」と返した。
何層かは不明でもかなり地下深くまで来たことは確かだ。
突発的な魔族の出現を除けば、あまり魔族と戦わずに俺たちは進むことができていたからだ。
一方で、そうは言っても、これまでの戦いでかなりの数の冒険者が脱落している。
重傷を負って上層の安全地帯で俺たちの帰還を待っている人もいれば、死んでしまった者もいる。
クレオンが聖剣を腰の鞘から抜いた。
その刀剣は多くの冒険者たちの照明魔法の光を反射して、黄金色に煌めく。
「ネクロポリス攻略達成まではあと一歩だ。……僕は、君たちのそれぞれがその義務を果たすと信じている。そのとき、この遺跡は僕たちのものとなるだろう」
クレオンの言葉は静かだったけれど、その場によく響いた。
疲れ切った顔をした冒険者たちの顔に、生気が戻る。
あと少しで前人未到の偉業を達成するのだというという思い。そして、聖騎士クレオンに対する信頼。
その二つが冒険者たちの心を動かしたのだと思う。
アルテと違って、クレオンには人望があった。
ともかく、遺跡攻略は最終局面に差し掛かろうとしている。
俺はノタラスにささやきかけた。
「頼んだよ、ノタラス」
俺が短く言うと、「お安い御用ですとも」とノタラスは笑いを含んだ声で答えた。
旧聖ソフィア騎士団幹部のノタラスは、俺とフィリアの味方のなかでは最も実力のある冒険者だった。
攻略達成後に、クレオンやアルテたちがフィリアを魔王復活の犠牲にしようと動いたとき、一番頼りになるのはノタラスだった。
ナーシャやラスカロスたちも俺にうなずきを返している。
ふっと、クレオンが言っていた裏切り者のことが頭に浮かぶ。
クレオンを殺そうとしたという冒険者が、攻略隊のなかにいる。
俺だってクレオンを殺すつもりはない。
それは俺とクレオンが長い付き合いだからでもあるけれど、同時に、クレオンの戦闘力なしにこの遺跡の攻略は困難だろうという判断もあった。
一方で、「裏切り者」はクレオンなしでもこの遺跡の攻略を達成でき、かつクレオンを殺す動機があるということだ。
そんな人物がこのなかにいるのだろうか。
俺の考えは、いきなり中断された。
遺跡の床が震え、耳を切り裂くような咆哮がその場に響き渡る。
遺跡の前方の壁が左右にゆっくりと開き、そこに宮殿の広間が現れる。
左右に厳つい鷹の石像がある。
大図書館で事前に調べた情報によれば、鷹の石像がある広間は古代王国の重臣たちが詰める重要な場だった。
つまり、ネクロポリスの宮殿の玉座はすぐ近くにあるということだ。
そして、およそ数百人は入れるであろう広間のほとんどすべての空間を、一体の魔族が占拠していた。
それは大蛇で、銀青色に輝く鱗をもっていた。
死都ネクロポリスを死都のまま守る魔族。
伝説的な冒険者たちを葬ってきたネクロポリスの死の番人。
多くのネクロポリスについて触れた書が、この大蛇の名を「ウロボロス」と記していた。
この大蛇ウロボロスに打ち勝ったのは、勇者ペリクレスのみだ。そのペリクレスも完全には倒しきれず、だから今ここにウロボロスが生きているのだろう。
これより先のことをペリクレスは「神に裏切られた」としか書いていない。
俺は宝剣テトラコルドを抜いた。
相手は強敵だ。
みな壮絶な戦いになると想像していると思う。
「さあ、僕たちの行く手を阻むもの、つまりこの大蛇を倒してしまおう!」
クレオンが攻略隊全体に声をかけた。
しかし。
そのとき、綺麗な甲高い声がその場に響いた。
「それには及ばないよ」
急にウロボロスは動きを止めた。
そして、その中心部から青い血がほとばしり、絶叫を上げた。
何が起きたのか理解できないまま、俺は立ちすくんだ。
ウロボロスは致命傷を負ったようだった。
断末魔の苦しみに暴れるウロボロスの横に、いつのまにか、一人の人間が立っている。
その人物は銀色の長い髪をたなびかせ、真っ白なゆったりとした服を着ていた。
さっきの甲高い声の主だ。
その顔立ちはゾットするほど整っていて、銀色の瞳は魅力的に輝いていたが、男女どちらかは判別がつかなかった。
その人物はウロボロスの鱗の下からなにかを抜き取った。
青い血で濡れた臓物。
ウロボロスの心臓だ。
その人はウロボロスの心臓を手でつかむと、口のなかへと放り込んだ。
そして、にこりと笑う。
「ようこそ。死都ネクロポリスの終わりの地へ」
攻略隊の誰も、その言葉に答えなかった。
仕方なく、俺が進み出て尋ねる。
「冒険者ってわけではなさそうだ。いったいあなたは何者なのかな」
「このネクロポリスの支配者だよ。ネクロポリスの最後の番人は魔族じゃない。人間なんだよ」
銀髪の「人間」は、愉しそうに俺たちに語りかけた。






