脱兎2
涼気な表情であった赤毛の女性。
彼女は私の顔を改めて確認すると、みるみる表情を曇らせました。
サニャと言ったでしょうか。
確かあの時は、こちらが名乗る暇もなかったはず。
私は手を合わせて頭を下げた。
「その節は、トゥセンリンです」
「まさかとは思うけど、あの子を取り返しに来たのかい?」
「話が早くて助かりますね。彼はそちらに?」
彼女の右手にある扉を見てたずねると、サニャは肩を竦めて答えました。
「残念だけどハズレだよ」
「ふむ、そうですか。こちらに居ると伺ったのですが」
私の発言にサニャは視線を強くします。
「ふぅん? もしかしてスズの手引きなのかな? となるとシスターもご一緒で」
「いえいえ、スズとはあれから会っていませんし、ここには一人で来ましたよ」
彼女の問に私は正直に答える。
どうやらサニャから見ても、私達に手を貸してもおかしくない。
それ位には、スズが私達に友好の目を見せているらしいのです。
自然に笑みが零れてしまいます。
「気に食わないな」
それを見て、サニャが苛立ちを含んだ声を上げました。
「単身、王族所有の屋敷に忍込み、敵と遭遇したというのにその笑顔。私等取るに足らないと?」
どうやら不快に思わせてしまったらしい。
別段そんなつもりもないのですけど、何せ私は場を弁えないらしいのです。
「いえいえ、そんなつもりは毛頭ありませんよ」
「ふぅん。それなら、何か算段でもあるってことなのかな?」
「まさか。スズから聞いていないのですか?」
「何をだい」
「私はね、バカなのですよ」
「どうやらそうらしいね!」
言葉と共にサニャは飛び出した。
手には細身の刺突剣。
速く、洗練された突きの嵐が私に襲い掛かる。
私はその突きを、避ける避ける避ける。
成程、スズの上司と言うだけの事はあります。
屋内では背中の羽を活かすことも出来ないが、剣の腕だけでも十分脅威と言えた。
私は彼女の攻撃を避ける事に集中する。
反撃の隙がない訳ではないのですが、やはり手を出すのは憚られます。
生前、師匠は私の力は「正しい事に使え」とおっしゃいました。
故に食する時など意外は、極力暴力と殺生は控えて生きてきたのです。
捕らえられ、涙を流す少年を助ける。
私にとってこれは正しい事に相違ない。
だが、今この状況。
私は不法侵入を犯した身。
対する彼女はそれを捕えるのが仕事だ。
これに暴力で対抗するのは、果たして正しい事なのだろうか?
そんな迷いが私に反撃への意志を鈍らせた。
当然彼女はそんな私に構う事なく剣を振るい続けます。
流石にこのままやり過ごせる様な甘い相手ではない。
「ちょこまかと!」
叫びと共にサニャの気配が失せた。
しかし目前には確かに剣を振るう彼女の姿がある。
疑問に感じつつも攻撃を半身にして躱す。
その瞬間だった。
自分の背後、そこに何者かの気配が現れるのを感じた。
視線を送ると、そこにはなんともう一人のサニャの姿があった。
増えた? 否、前方の彼女はまやかしだ。
自身の幻を目くらましに、即座に背後へと回ったのだ。
不覚。
私の体は幻の攻撃を避けた事で無防備だ。
体制も悪く続けざまの攻撃は避けきれない。
迎撃をするしか、でも自分は無駄な暴力は……
『襲われといてムダもアッたもんじゃないわ!』
その時頭の中で声が響いた。
瞬間、体が無意識に動く。
両足で地面を踏み抜き、背面を勢いよく彼女へ叩きつける。
一瞬の衝撃。
その直後、屋敷を揺らすような轟音が鳴響いた。
私の背後に居た筈のサニャの姿は消え、代わりに大きな穴が壁に空いていました。
私は穴先を見据えゆっくりと息を吐く。
首筋には浅手ながらも、血線が流れていた。
危うくやられる所でした。
スズの言葉で体が動いていなければ、剣はもっと深くまで達していたでしょう。
師匠の教えがまたも心に浮かぶ。
しかし私の胸に不安はもはや存在しない。
靄が晴れたかのように晴れやかな気分です。
成程。
友人の助言は素直に聞いておくべきですね。




