61.5話 あらゆる疑念
レインの部屋から出た後、ウルとミレットはアリシエールと別れ、待たせていた馬車に一緒に乗り込んだ。
まだ空は明るいが、街に着く頃には日が落ちてしまっているだろう。
「レイン君、思ったより元気そうだったね」
馬車が出発してすぐ、ウルの正面に座るミレットがそう言ってはにかんだ。ローリエからは立ち上がれないくらいの体調不良と聞いていたので、穏やかな顔色を見られてミレットは安堵していた。
「……そうね」
対するウルは、無表情のまま1点を見つめていた。ミレットの話など頭に入っていないかのように反射的に頷いている。
その様子を見て、ミレットはわざとらしく溜め息をつく。
幼い頃からの付き合いであるミレットからすれば、ウルが今何を考えているか容易に読み取ることができた。
「そんなに気になるなら聞いちゃえばよかったのに」
ウルの前に垂れた長い金髪が僅かに動く。ゆっくりとミレットに合わせた視線には、少しばかり怒気がこめられていた。
「……できるわけないでしょ、せっかく普通にお話しできるようになったのに」
「知ってる。だから私は気にしてないんだよ?」
「嘘つき。聞かなくても平気なだけで、気になってるのはミレットも一緒でしょ?」
「あはは、長い付き合いなのはお互い様だったかぁ」
乾いた笑いを浮かべた後、ミレットは俯きながら本音を漏らした。
「フェリエルさまの言葉、どういう意味だったのかな……?」
2人の頭の中では、式典の前にフェリエルが言い放った言葉が反芻される。
『笑っちゃうわね、そんな風に名乗っておいてまったく踏み込む勇気がないなんて』
こう述べる前にフェリエルは、レインについてローリエへ尋ねていた。つまり話の流れ上、あの言葉はレインへ向けられた言葉となるはず。
だとするならば、『そんな風に名乗っておいて』とは一体何を指すのか。
レインが名前を偽っていることを指すのなら、やはりウルとミレットは間違っていなかったのだと晴れやかな気持ちになれるだろう。決して他人の空似などではなかったと。
そう結論付けるなら、シストリアがフェリエルに怒りを向けていたことも納得できる。
自分の身内がああも侮辱されて、黙っていることなどできないだろう、それも信頼する相手であれば尚更。
しかしながら、腑に落ちない点もいくつかある。
レインが名前を偽っているとして、どうしてフェリエルがそれを知っているのか。
確かに王族とロードファリア家は仲が良かったが、懇意にしていればいるほど名前を偽るなんて行為を容認するとは思えない。ならば名前を偽るなど、王族であるフェリエルが知っているのはおかしいと考える。
ウルのように顔を見て判断したのかもしれないが、だとすればフェリエルが偽名を許している理由が分からなくなってしまう。
知っているといえば、ミストレス王もレイン・クレストを認識しているとウルは思っている。
それはミストレス王が、『その旨を彼に伝えておいてもらえないだろうか?』と言ったからである。
レインという名は決して男子のみに使われる名前ではない。むしろ女性に使われる場合が多い名前である。
それにも関わらず、ミストレス王はレインを『彼』と表現した。
レインを知っているから、面識があるからに他ならないとウルは考えた。
今日の出来事で、レイン・クレストという幻影に少しずつ形が見えてきたように思えたウル。
だが、今日の出来事で分からなくなったことも多く存在した。
1番の謎が、レイン・クレストのセカンドスクエアの火力が非常に低いことである。
彼の火力は、バニスをおぼえたての子どものそれより低い可能性さえある。七貴舞踊会に出ていた彼のウィグは、子どもながらにもっと強い火力を示していた。
これだけがどうしてもレイン・クレストを彼に結びつけられない大きな問題になっている。
逆に言えば、これがあったからこそレイン・クレストは生まれたのかもしれない。
8年前に何があったのか。
どうして王族はレイン・クレストを知っているのか。
どうしてレイン・クレストの火力はあんなに弱いのか。
彼に聞きたいことは山ほどあったが、それを堂々と聞くことはできない。
その理由は言うまでもなく、ようやくレインと打ち解けることができたからである。
最初の警戒されていた頃に比べれば、友人のように普通に接してもらえるようになっている。
今自分たちの疑問をぶちまけて距離を取られるようなことになれば、2度とレインが寄り添ってくれることはないと思っている。
だからウルたちは、レインへ質問することができない。それがたまらなく歯がゆく、悔しかった。
「あたしたち、このままずっと進んでいくのかな」
ウルは思わず、弱気な言葉を口にした。自分が追っているものの輪郭さえ捉えることができず、苦しかった。
「私はこのままでもいいんだけどね、今のままでも満足できてるし」
ミレットのこの言葉に嘘はない。ミレットという少女は、レイン・クレストと仲良くなることが1番優先すべきだと考えているからである。
「でもそれ、レイン・クレストが赤の他人だったときどうするのよ?」
「何ウルちゃん、まさかレイン君が赤の他人だと思ってるの?」
「……思ってないけど、別人と接してるみたいで気持ち悪いじゃない」
ミレットが声に抑揚をつけてからかおうとしてきたため、ウルはすぐさまそっぽを向いた。いつまでもからかわれるだけの自分ではないのである。
「……ならウルちゃんは、レイン君を知ることを優先しなきゃだね」
予想だにしない優しい声に、ウルの視線はミレットの方へ戻っていく。
ミレットは、穏やかな笑みを浮かべてウルを見つめていた。
「正直そっちの方が大変なはずだけど、ウルちゃんがそうしたいんだよね?」
どこかウルを試すような、それでいて温かさを内包するような口調。
姉妹のように育ってきた彼女なりの優しさ。ミレットはいつも、ウルの進みたい方へと誘導してくれていた。
「勿論よ、あいつがいくらしらばっくれようとも諦めないんだから」
だからウルも、自信を持って宣誓する。
親友が応援してくれている道に間違いがないと断言できるから。
しばらく顔を見合わせ、程なくして笑う2人。お互いに信頼し合っていることが改めて認識できて、どこかくすぐったかった。
「でもその前に、やるべきことはちゃんとやらないとね」
「当たり前でしょ、そのために今日はお城まで行ったんだから」
馬車に入った時とは違い、表情に生気が戻っているウル。
感情と表情が分かりやすく一致しているところはまだまだ子どもだとミレットはひっそり思う。
「残りあとちょっと、七貴舞踊会に向けて頑張るわよ」
「うん!」
お互いに鼓舞し合い、早速構成の打ち合わせを始めるウルとミレット。
知りたいことは山ほどあるし、聞きたいことはたくさんある。だが今は、その気持ちを少しだけ封印する。
七貴舞踊会で少しでも立派な演舞を見せられるよう、2人は励みに励むのであった。