61話 お見舞い
窓から注ぐ光に赤みが増してきた頃、レインはベッドの中で本を読んでいた。
早朝時にかなり高かった体温も、今ではだいぶ落ち着いてきている。元より身体は丈夫な方だが、薬も効いてきたのであろう。朝起きた時はあまりの辛さに立ち上がるのにも難航したものだが、これならば明後日の学院には問題なく登校できそうだ。
穏やかな心地で読書に専念していると、ドアが2回鳴る音が聞こえてきた。
ザストかと思ったが、こんな律儀にノックをする人間ではなかったような気がする。
だとすると今朝すごい形相で尋ねてきたローリエの可能性もあるが、彼女の態度を鑑みるに2度とここには来ないような気がした。
「あ、あの、レインさん、起きてますか?」
しばらく応えないでいると、ドアの向こうからアリシエールの声が聞こえてきた。
王城での式典が終わり、レインの容態を聞いてお見舞いに来たのだろう。
気持ちは嬉しいが正直ドアを開けるのはかなり躊躇した。
自分は今病人であり、アリシエールは七貴舞踊会参加者、風邪を移すようなことがあれば洒落じゃ済まないのである。
とはいえお見舞いに来てくれた人間をぞんざいに扱うこともさすがに憚れる。
レインは嬉しい気持ちを伝えつつも丁重に帰ってもらおうと思ったのだが。
「なんだ、鍵開いてるじゃない。とりあえず入りましょうよ」
――――――しかしながら、別の勢力によりレインの策略は呆気なく崩れ去ってしまう。
そういえば、ローリエが部屋を出て行ってから鍵を閉めた記憶がなかった。
「……って起きてるじゃない、ちゃんと返事しなさいよ」
躊躇うことなく病人の部屋に入ってきたのは、今日アリシエールと一緒に式典へ参加しているはずのウルだった。
「思ったより体調良さそうだね、少しホッとしたよ」
続いてミレットが安心したような笑みを見せてから入室する。アリシエールは中の様子を窺いながら、申し訳なさそうに中へ入ってきた。
「どうして2人がここに?」
「どうしてって、お見舞いに来たからに決まってるでしょうが」
「そうだよ、体調悪かった兆しなんてなかったのに急に休んだから心配したよ」
「気持ちは嬉しいけど、応答しなかった理由を察してくれ……」
「あのね、わざわざ学院まで来ておいて顔を見ないわけには行かないでしょう」
「……男子寮に女子が入ってくるのは原則禁止のはずなんだが」
「そうなの、事情を話したらあっさり通してもらえたけど」
「……」
もはやこれ以上の会話は無駄だと判断する。
3人が満足して帰るまで待つしかないのだとレインは悟った。
「ごめんなさいレインさん、迷惑でしたか?」
レインからさっさと出て行けオーラが伝わったのか、アリシエールが浮かない表情でそう言葉を漏らした。
「迷惑じゃないけど俺が迷惑をかけたくない。3人に風邪が移ったら申し訳ないじゃ済まないし」
「そうは言っても心配だったから、ローリエ先生が連れてくるのを諦める程体調崩してたなんて聞いたらさ」
「本当よ、それに迷惑なら今日お城に来なかった時点で大きな迷惑被ってるんだから」
「ちょっとウルちゃん、それは言わない方向でって」
「あっ……」
ミレットの指摘を受け、口を僅かに広げてウルは身体を膠着させる。どうやら今日の式典中に何かが起きたらしい。
「何かあったのか?」
当然レインは追及する。引いても良かったが、自分が関係していることであるならば把握しておくべきと判断した。
最初はうーうー唸りながら口を噤んでいたウルだったが、口を滑らせた手前隠し通せないと思ったのだろう、1度溜息をついてからレインを見た。
「……式に参加してない代表者は七貴舞踊会には参加できないって言われたのよ、結構厳しめに」
ウルは深刻そうに声のボリュームを落としてそう告げた。
他の2人もその時の状況を思い出しながら目を伏せる。
言葉通りに受け取るならば、式典に欠席したレインは七貴舞踊会に参加できないということになるのだろう。
だがレインは、思った以上に大した内容ではなくて驚くほど拍子抜けだった。
元々レインは代役、七貴舞踊会に出るつもりはない。参加資格を取り上げられようと問題はない。それを知っているはずなのに、3人がここまで暗い顔をしている方が不思議だった。
「まあ結局は前例がなかったってことで認められたんだけどね」
「なんだ、じゃあ何も問題ないじゃないか」
レインは尚更呆れ返る。
一悶着あったとはいえ問題なく進むのであれば、3人は一体何を不安がっていたのだろうか。
最初に目が合ったミレットは、緊張したように顔を強張らせたが、最後には弱々しい笑みを見せた。
「やっぱりレイン君がいてくれるのとそうでないのでは違うからね、心配したんだよすっごく」
「メドラエルさんの言う通りです、レインさんは私たちの心の支えですから」
「アリシエール、あなたよく臆面もなくそんなこと言えるわね……」
「えっ、何か変でしたか!?」
「アリシエールさんが気にならないんならいいんじゃないかな、あはは」
会話を重ねていく内に、女性陣に笑みが増えてくる。
指導役としてお手伝いをするというのがレインの役割だと思っていたが、アリシエールたちにとってはそうではないらしい。
指導役である自分が居てくれることが大事なのだろう。レインもふとリゲルを思い出す程度には心当たりがあった。
何もせず見守っているだけでも安心できるというのは確かにある。
3人がそう思ってくれているなら、レインとしても少なからず光栄だと思う。
「ありがとう」
レインは皆へお礼を告げた。
3人が同時に眉をひそめたのがおかしかった。
「……何のお礼?」
「お見舞いに来てくれたお礼だよ」
本当はもう1つ意味があったが、それをわざわざ言うのは止めにした。
「……最初は嫌がってたくせに」
ウルはほんのり頰を赤く染めて、拗ねたように目をそらす。いろんな感情が紛れ込んでいて、何を考えているのか分からない。
「最初にも言ったけど、元気そうで良かったよ。熱は下がってるの?」
そう言いながら、ミレットはベッドに座るレインの額に触れる。ミレットの手は冷んやりとして気持ち良かった。
「うーん、よく分からないや、あはは」
「ちょ、ちょ、ミレット、急に何してるの!?」
その行動を見ていたウルが、顔を噴火させてミレットへ問いただす。彼女にとって看過できない行動だったらしい。
「何って、体温どうなのかなって触ってみただけだけど」
「そ、そんなこと急にしたらびっくりするでしょ!」
「びっくりしてるのウルちゃんだけだよ?」
ミレットの言う通り、アリシエールも触れられたレインも平静だった。むしろどうしてウルが慌てているか分からなかった。
「……もしかしてウルちゃん、邪なこと考えちゃった?」
そしてウルにできたこの隙をミレットが見逃すはずがない。口元を緩ませ、ミレットはウルを追い込むような表情を見せた。
「そそそそんな訳ないでしょ! 異性の額に軽々しく触れるべきじゃないと思っただけで!」
「異性だと何がいけないの? 熱あるか確認しただけだよ?」
「そ、それは……」
「ほら、やっぱりウルちゃん変なこと考えてたんでしょ?」
「だから違うってば!」
「お2人とも!」
ウルとミレットの会話が盛り上がってきたところで、アリシエールが割って入る。
その表情には僅かに、怒りの色が見て取れた。
「ここでお話してたらレインさんに迷惑がかかります、今日はもうお暇しませんか?」
「「あっ……」」
そこでようやく、病人の部屋にいることを思い出すウルとミレット。体調が悪いときに周りがうるさいと頭に響くのに、完全に配慮に欠けていた。
「ミレットがからかうからよ」
「ウルちゃんが慌てなきゃ始まらなかったんだけどね」
ぶつくさ小声で言い合いながらレインのベッドから離れ、ドアの方へ向かう2人。今日はこれで帰るようだ。
帰る直前に、ウルがレインの方へと視線を向けた。
「明後日には治ってるんでしょうね?」
明後日とは平日、つまり学院には来るのかということであろう。
「勿論、指導役として皆のところへ行くよ」
「そう、ならいいのよ」
一瞬口元が緩みかけたが、ウルはぶっきぶらぼうに返答することにした。なんとなく、素直に喜びたくない気分だった。
「今日は大勢で押しかけてごめんね、お大事に!」
「私は寮にいますので、体調が悪化したら気軽に声をかけてくださいね!」
「うん、今日はありがとう」
そうして3人は、レインの部屋から出て行った。
嵐のような出来事、急に部屋が静かになってなんだかレインは可笑しくなった。
仕方ないとはいえ、体調が悪化することで周りに迷惑をかけてしまう。それを改めて実感した日である。
「早く治さないとな」
そう呟いたものの、回復するために眠るわけでもなく読書へと勤しむレインなのであった。