60話 命懸けのやり取り
「この度は、ご多忙を極めるところ拝謁のお時間をいただきまして、誠にありがとうございます」
王から御言葉をいただいた後、3年生を中心に学年ごとに1列に並んだアークストレア学院学生たち。
その脇に立つローリエが深々と頭を下げ、生徒たちも合わせて頭を垂れた。
「こちらこそ毎年のことながら感謝の意を述べたいと思う。七貴舞踊会がより盛り上がりを見せるようになったのは学生たちの頑張りに他ならない。と、思うのだがどうだろうかアギレア」
「はい。入学式の場に立ち合わせていただいた身として、この場で相見えることができたのは光栄です」
「はは、そこまでへり下る必要はないだろう。相手はお前と倍近く年齢差がある子たちだぞ?」
「そうも言っていられません。現状で我々に並びうる才能がこうも近くに眠っておられるのですから」
アギレアの目の先には、両手を腰の前で重ねて優雅に佇むフェリエルの姿があった。
ニヤリと笑みを浮かべるフェリエルに対しどうにも対応に困ってしまうアギレア。
王族の血を引き、その血に恥じない実力を持った彼女だが、誰が相手だろうがたじろぐことなくからかうスタンスを取る点がアギレアは少々苦手だった。
「おっと、脱線してしまったな。ノータス、ザクロア、進行してくれ」
「「はっ」」
王の合図で、2人の七貴隊隊長が声を合わせる。
ウルやミレットにとっても、馴染み深いその2人。
ノータス・ロストロス、王直属の護衛であり、ミストレス王城を守ることに特化した七貴隊をまとめ上げる隊長である。そして、1年の成績トップであるギルティア・ロストロスの父親でもある。
王直属は七貴隊の中でも最も信頼する者へ与えられる役職であり、8年間この地位に立ち続けるノータスは王から多大な信頼を得ていると言っても過言ではないだろう。
もう1人が、ザクロア・エルフィン、こちらはジワード・エルフィンの父親で、ウルやミレットとも顔見知りの関係である。
役職はローラルド地方の南部を治める七貴隊隊長で、元々は現在アギレアが統治する北側を治めていた実力者になる。
多くの地方を任されるのは、それができると信頼されているからである。ザクロアもまた、ノータス同様ミストレス王より信頼される人間の1人なのである。
「式を始める前に、七貴隊隊長の集まりが悪いことを謝罪させてもらいたい」
司会を務めるザクロアは、第一に生徒へと頭を下げた。
「ザクロアよ、それはお前が謝罪することではないだろう」
「しかし七貴隊隊長が集まれていないことも事実ですので」
「遠方の隊長はそもそも任意の参加だ、自分の役割を放棄してまで来てもらうつもりはない」
「そう仰られるのであれば、そのまま進行させていただきます」
ミストレス王の言い分を受け、軽く頭を下げるザクロア。
今のやり取りだけでも、七貴隊隊長が多忙であることは容易に読み取れた。
会えるのに越したことはないが、余裕ができたとしてローラルド地方へ戻ってくるのは一苦労であろう。
「――――待て」
いざ式を始めようとしたところで、ノータスが生徒たちを見て待ったをかけた。
厳格な面持ちで、その視線はローリエへ向けられる。
「1年生が1人少ないようだが、どういう理由かお聞かせ願おうか」
和やかだった空気が、一変したのをアリシエールは肌で感じた。
ノータスも決して怒っているわけではないだろうが、有無を言わせない圧を皆へ与えている。
「……申し訳ありません。体調不良により、1名は欠席しております」
「王がいらっしゃるこの場にて、そのような弁がまかり通ると思っているのだろうか?」
「……返す言葉もございません」
ローリエは額に汗を浮かべながら、ただ頭を下げることしかできなかった。
自分のせいだと思いたくはないが、生徒の体調管理も役割の内だと言われてしまえば抗う術はない。
「生徒の名前を教えたまえ、その人物の七貴舞踊会参加を認めるわけにはいかない」
その言葉で、レインが七貴舞踊会へ参加できないことを悟る1年生徒たち。
1年女性陣の中には反論したいという気持ちはあったが、それをこの場で行えるほどの勇気を持ち合わせてはいなかった。
目を背けたい現実だが、受け入れるしかない。幸いレインは代役、自分たちがしっかりそう思えば問題ない。不本意ながら思考はそういう方向へシフトしていく。
「……レイン・クレストです」
――――その名が、この室内に広がるまでは。
「クレストか、聞いたことのない家名だな」
口元に手を当て、何かを思案するノータス。馴染のない家名が七貴舞踊会の代表者に選ばれることはあまりないのかもしれない。
「まあいい、名前は覚えた。残念だがその生徒は――――」
「待ちなさい」
改めて決断を下そうとしたノータスを止めたのは、ミストレス王の隣に立つフェリエルだった。
「如何なさいましたでしょうか」
「あなたにではないわ」
そう言って、フェリエルは目線をローリエへ移した。
「ローリエ先生、2つ質問があります」
王族が敬語を使う奇妙な光景だったが、先生と生徒の関係である以上不自然ではない。
「なんでしょうか?」
場も相まって、ローリエは恐縮しながらフェリエルの言葉を待った。
「その生徒は、本当に体調不良だったのでしょうか?」
「は、はい。自分の目で確認しましたが、無理に連れてこられるような感じではありませんでした」
「ではもう1つ、その生徒は昨日から体調が優れなかったのでしょうか?」
「いえ、昨日は平常だったと思われますが」
ローリエの答えを聞いて、フェリエルは少し顔を伏せて右手で顔を覆った。
そして――――
「ふふ、ふふふ、ふふふふふ」
身体を震わせながら、笑い声を上げる。その声のトーンは少しずつ上がっていく。
「笑っちゃうわね、そんな風に名乗っておいてまったく踏み込む勇気がないなんて。ご大層に風邪まで引いて……とんだ腰抜けじゃない」
「あの、どうかされましたでしょうか?」
先程まで会話を続けていたローリエが代表して、不可解な弁を述べるフェリエルへ声をかける。
その異様さは、七貴隊隊長たちでさえも驚嘆させるものであった。
だが、笑いを抑えると、フェリエルは何故か2年代表者が並ぶ位置を見つめて話を始めた。
「――――いいわ、その生徒の七貴舞踊会参加を認めても」
どこか楽しげに話すフェリエルを見て、思わず声を漏らしそうになったアリシエール。
彼女の言ったことが事実なら、レインは無事七貴舞踊会に出ることができる。これは喜ばしいことである。
――――しかしながら、その言い分は彼女たちの望むものではなかった。
「肌で感じさせてあげないと、自分がいかに無知で愚か者であるかを。こんな大切な日に体調不良で欠席なんて、とても教育がなっているとは思えないわ、一体どんな家で育ったんだが。そんな人間にはしっかり体感していただきましょう、己が場違いで無能であることをね」
あまりに一方的な物言いに、アリシエールたち1年はおろか、ルチルでさえ反論の言葉が出かかった。
何故風邪で欠席しただけで、ここまで否定的なことを言われなければいけないのか。王族とはいえ、さすがに横暴すぎるのではないか。
我を忘れて本音をぶちまけたいが、それは決して行ってはいけない。王の御前でそんなことを行えば、不敬と取られて家ごと追われてしまう可能性だってある。
そう、これは悔しくても呑み込まなくてはいけない話。レインが七貴舞踊会に参加できることだけを喜ぶ話なのである。
――――そういったごちゃごちゃとした思考を一気に沈めたのは、この場に相応しくない大きな音だった。
音の鳴った方向を見れば、宙に展開されているセカンドスクエアと――――――――エストリアに床へ叩きつけられているシストリアの姿があった。
「大変申し訳ありません、愚妹の手が滑ったようです」
シストリアを押さえつけながらも、片膝立ちで深々とフェリエルへ頭を下げるエストリア。
「あらそう? 私にはシストリアが私へ攻撃しようとしたように見えたのだけれど」
「そう見えたのでしたらやはり謝るほかありません。シストリア、あなたも謝罪なさい」
不穏という言葉だけでは片付けられないフェリエルの言葉に、凍り付いてしまう生徒たち。フェリエルを庇うようにアギレアが間に入るが、それを制してフェリエルが床に伏せるシストリアに近付いていく。
展開されているのがシストリアのセカンドスクエアでフェリエルに攻撃をしようとしたのならただ事ではない。王女に危険を及ぼす死罪にもなりかねない行為である。
だからこそいち早く察知した姉がことを起こす前に謝罪をしたのであるが、妹は目に涙を浮かべながらフェリエルを強く睨み付けるだけ。謝罪を述べる人間の顔つきではない。
「……取り消してください……!」
気持ちのこもった言葉がシストリアからフェリエルへ向けられた。
だがフェリエルは、愉快そうに笑みを返すだけ。
「取り消す? あなたの参加資格でも取り消せばいいのかしら?」
「ふざけないでください。あなたさえ、あなたさえいなければこんなことには……!」
「非道い言いようね。自業自得じゃない何もかも、何もかもね……」
無意識に語尾が弱くなったフェリエルは、踵を返して元の位置へと戻っていく。
それと入れ替わるように、ノータスの厳しい視線がロードファリア姉妹に向けられる。
「シストリア・ロードファリア、何故セカンドスクエアを展開した? ことと次第によっては貴公の命だけではなく二卿三旗の地位まで剥奪することになるのだが」
「誤って展開してしまったようです、申し訳ありません」
「貴公には聞いていない、エストリア・ロードファリア」
当然と言えば当然の叱責。冗談などでは済まされない行為。
だからこそエストリアは、頭が冷え切らない妹の代わりに頭を下げ続けるしかできない。
「――――やめろ、ノータス」
それに終止符を打ったのは、複雑な表情を浮かべたミストレス王だった。
「しかしこの者はフェリエルさまに向けて無礼を!」
「無礼だったのはこちらも同じ。フェリエルよ、言葉を選びなさい。言っていい言葉と悪い言葉の区別ぐらいつけなさい」
「はい、大変失礼致しましたお父様」
そう言いながらも楽しげな表情を改めないフェリエル。反省しているようには思えなかった。
1度喉を鳴らしてから、ミストレス王は視線をローリエに向けた。
「ローリエよ、先ほどフェリエルも言っていたが、件の生徒の七貴舞踊会参加を認める。その旨を彼に伝えておいてもらえないだろうか?」
「は、はっ! 寛大なご対応ありがとうございます!」
「王よ、よろしいのですか?」
「構わん。そもそも今まで前例がなかったのだ、この場にいなくとも本番当日良い演技を見せてくれればそれで良い」
「……王がそう仰るのであれば」
どこか納得がいかないといった表情を浮かべるノータスだが、それを見せたのは一瞬だけだった。気持ちをすぐに切り替えたのだろう。
レインが七貴舞踊会に参加できるという喜ばしい話になったのだが、目の前の出来事が目まぐるしく、喜ぶ余裕がなかったアリシエール。
その目は、ゆっくりと立ち上がり制服を直すシストリア・ロードファリアを映し、しばらく離れることはなかった。