59話 ミストレス王城
アークストレア学院の北に位置する王都、アルファリエ。
ミストレス王城を中心に円形に発展してきたその都市は、ミストレス王国で1番の人口を誇っていた。
中心部へ向かうにつれて標高が上がっていき、都市の1番高いところにミストレス王城が存在する。
その周りに貴族街があり、さらにその周りを平民たちが暮らしているのである。
平民たちはよほどの用件がない限り貴族街へと入ることはできず、商業や農業に精を出しながら生活している。
「……遅いわね」
貴族街と平民街の境の門で待機しているウルは、約束の時間5分前になっても現われない寮生組の様子が気になっていた。
既に周りには寮生組3名を除いた全参加者が揃っており、未だに姿を現さない寮生組への苛立ちを表情に見せている者もいる。
とは言うものの、ロードファリア家とロストロス家を除くここに居る生徒は全員がアルファリエの貴族街出身であり、よほど寝坊でもしなければ遅れようもない。
だからといって寮生組が遅れていいというわけではないが、まだ約束の時間の前ではあるので、怒るのはさすがに筋違いだとウルは思う。
「すまない、他は皆揃っているか?」
そうこう思案しているうちに、息を切らせたローリエ先生とルチル、アリシエールが姿を現した。
「こちらは大丈夫だと思います」
「そうか、ならばすぐ向かおう。時間に少し余裕はあるが、遅れる訳にもいかないからな」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってください!」
合流した勢いのままミストレス王城へ向かおうとしたローリエをウルが引き留めた。
「どうした?」
「どうしたも何も、レイン・クレストの姿が見当たらないのですが」
「奴は病欠でいない。無理矢理連れてこようと思ったがあまりに体調が悪そうだったからやめた、王や王女へ風邪を移されたら敵わんからな」
「えっ……えっ……?」
あまりに唐突すぎたローリエの弁に動きを止めてしまう1年代表者。昨日の今日まで元気だった男が風邪でいないというのが、何故だか非常に現実離れしているように感じられた。
しかしながらローリエの話を聞く限り本当に体調を悪くしているのだろう、でなければ先の言葉通り無理にでもこの場に連れてきていたはずだ。
「ローリエ教諭、この場合の彼の扱いはどうなるのでしょうか?」
そこへギルティアが当然のごとくローリエへ質問を投げかける。
ミストレス王への拝謁は七貴舞踊会の参加資格を得るために必要だと認識している以上、例え体調不良だろうとも欠席してしまえば七貴舞踊会へ参加できないと思うのは至極当然のことである。
「……知らん。王の判断に任せるだけだ。尤も、こんな大事なときに風邪を引くような愚か者に資格があるとは思えんがな」
だがローリエは、1度舌を鳴らしてから吐き捨てるようにそう言い、今度こそ王城の方へ向かって歩いて行く。
自分が担当している行事にアクシデントが起こり、相当苛立ちを抱えているように見えた。
しかしながら、3年の先輩やロードファリア率いる2年の先輩も全く動じる様子がないままローリエの後に着いていく。
別の学年のトラブルなど興味はないのか、それとも王に会う心構えでそれどころではないのか。
「……風邪って、何してるのよあいつ……」
いずれにせよ、代役とはいえレインが参加資格を失うかもしれないことに、ウルやミレット、アリシエールが戸惑ってしまっていたのだった。
―*―
街の頂上にそびえ立つ王城は圧巻だった。
身長の倍以上ある外壁は強固であり、限られた人間しか入れないよう厳重に検問されている。
そしてその外壁が守る中の建物は、とにかく高く大きいものである。
白を基調とした壁面に屋根や窓枠など一部に黒が入り込む外観は、神聖さと荘厳さを同時に醸し出しているように感じられるほどである。
アークストレア学院ほどの大きさといえば聞こえは悪いが、約200名が使用する公共の建物と個人が所有する建物が同等となればその差は計り知れない。
個人といっても、所有者は王族となるわけであるが。
「風邪かぁ、私たちも気を付けなきゃね。私もやること多くて最近疲れっぽいし」
しかしながら、王城の外観どころではない1年女性陣は、未だレインが七貴舞踊会参加不可になるかもしれないことに不安を覚えていた。
「そりゃそうだけど昨日の今日よ? こんな形で七貴舞踊会に参加できなくなるかもしれないなんて」
「でもレインさんは代役ですし、私たちがしっかりすれば……」
「そういう問題じゃないってあんたが1番分かってるでしょうが」
「……そうですね、ごめんなさい」
「別に謝らなくて良いわよ」
ウルの物言いが的確であり、アリシエールは謝罪の弁を述べることしかできなかった。
ウルの言うように、アリシエールにとってレインは『居るだけで安心できる存在』である。
七貴舞踊会当日で緊張に苛まれていても、レインが居てくれればそれだけで安心できそうなほどに信頼しているほどだ。
そのレインの参加資格がなくなるというのは、代役としての役割以上に精神的な支えの消失として辛いものがあった。
「君たち、ここへ来て緊張していないのはいいことだが私語が多い。そろそろ慎んだ方がいい」
ギルティアの指摘が入り、3人の視界は急激に広がったような気がした。
3年生、2年生の後に次いで歩いている場所は、ミストレス王城の中の廊下。
廊下というには幅広く、その道を挟むように等間隔で並び立つ石の柱には灯りが点っている。
遠く先には10段ほどの階段があり、上がったところには臙脂色に輝く大きな扉があった。この先に、ミストレス王が待つ居室が存在するのだろう。
心臓の鼓動が早くなる。こうまで近くで王と会う機会など勿論なく、今更になって緊張感が増してきた。
先程まで気にならなかった床を踏む音がやけに大きく聞こえてきた。廊下の終着、階段を登る音である。
無意識に呼吸が深くなった、先輩たちの姿で身が隠れていなければ、緊張は最高点へ達していたかもしれない。
「失礼いたします。アークストレア学院、七貴舞踊会参加者を連れてまいりました」
ローリエが扉の前に立つ守衛へと声をかける。1人が学生たちから一切目を切らず、もう1人が中へ確認を取る。ローリエたちが来ることは事前に知っているだろうが、それでも危機管理は念入りに行っていく。
王族を守る者たちには、1度の失敗も許されないのだから。
「確認が取れた。今扉を開ける」
守衛の合図とともに、2人の守衛がそれぞれゆっくりと両方の扉を同時に開ける。
扉の先から広がっていく光景に、アリシエールは足を進めることを忘れて見とれてしまった。
居室というには広く天井の高いその場所にいたのは、5人の人間。
入り口から真っ直ぐ伸びる赤の絨毯を挟むように3人の人間。誰もが1度は見たことがある、七貴隊の頂点に立つ7人のうちの3人。
そして、絨毯の先にある華美な椅子へ腰をかける男性とその脇に立つ女性の姿。
入学式の日に目にした学生服ではなく汚れなき白のドレスを身につけたその女性を見て、改めてこの場がどこであるかを認識する。
「――――ようこそ、次代を担う学生たちよ」
穏やかな笑みから放たれた社交辞令ともとれる勿体ない御言葉。
――――ミストレス王からの第一声であった。