58話 体調不良
「レイン君おかえり」
リエリィーからの連絡を受け、アリシエールたちと別れてから寮の自室に戻ると、同室であるテータが笑顔で迎え入れてくれた。
「ただいま。ノスロイド君はこれから帰省?」
「うん、迎えが遅れたからこんな時間になっちゃったけど」
テータは基本的に毎週末実家に帰っているようで、今も外出の準備を整えていたようだった。
「そういえばリエリィー先生には会えた? 明日の件でレイン君とアリシエールさんを捜してたけど」
「さっき会ったよ、本人は気楽なものだったけど」
「あはは、普通伝え忘れないような大事な内容なんだけどね」
「……ホントに伝え忘れてくれてたら良かったんだけどな」
「えっ、今何か言った?」
「いや、何でもないよ。明日のこと考えてただけ」
思わず口から漏れてしまった愚痴は、小声だったためかテータには聞こえなかったようだ。
「しかし王様との謁見ってすごいことだよね。ミストレス王から民衆へ顔を出すことはあれど、その逆は普通したくとも叶わないことだもん。貴族であっても機会はなかなかないだろうし、正直羨ましい限りだよ」
荷物を整理しながら、テータはどこか楽しげに会話を進めていく。表情は笑顔だが、その真意は汲み取れない。
すると、「そうだ」と何か思い出したようにテータはレインに顔を向けた。
「レイン君ってフェリエルさまと知り合いなの?」
一瞬、自分の表情が固まったのをレインははっきりと自覚した。
だがそれを何秒も続けるつもりはない。
「……どうしてそう思ったんだ?」
「いや、気のせいかなって思いながら言ってるから違うなら違うでいいんだ。レイン君とジワード君の模擬戦の時にちょっといろいろあってね」
「いろいろ?」
レインが聞き返すと、テータは「あっ」と声を漏らしてから、済まなそうな表情を浮かべた。
「ゴメン、話振っといてなんだけど、レイン君には気持ちの良い話じゃないなと思って」
「大丈夫、そういうのは気にしないから」
「そう? それなら話すけど、模擬戦の時にフェリエルさまたちがどっちが勝つかを賭けてたんだけど、自信満々にレイン君に賭けてたからさ」
テータの質問の意図を理解し、溜め息をつきたくなったレイン。
確かに不謹慎だし一国の姫君のすることではないが、テータの言い回しのせいで余計に気になることができてしまった。
「賭けってことは、誰かとやってたの?」
「うん、言い出したのが2年のルチル・ゴーゲン先輩で、ロードファリア先輩も参加してたよ。みんなレイン君に賭けてたから流れちゃったけど」
溜め息を通り越して、レインは顔面が蒼白になりそうだった。
テータが聞いているということは他の生徒も耳にしている可能性があるということ。
周りがBクラスの大穴に賭けただけだと思ってくれれば何も問題ないが、それが災いしてレインへ関心が向いてしまっていたらどうするつもりなのか。
それも相手は王女と二卿三旗、彼女たちの言葉は周りの誰よりも重い。勝負が流れた時点で冗談だと認識してくれることを祈るばかりである。
「で、結局これって何だったんだろう? レイン君は分からないよね?」
「ゴーゲン先輩とは図書室で知り合ったけど、賭けの件は知らない。逆張りが面白かっただけじゃないか?」
「まあそうだよね、変なこと言ってゴメン」
「それはいいんだけど、ノスロイド君こそ大丈夫? もう連絡来てるんじゃない?」
「……あっ、今の間に来てた! ありがとうレイン君、それじゃあ休み明けね! 明日の件も頑張って!」
「こっちこそ、良い休日を」
ファーストスクエアで迎えが来ていることを確認すると、2日帰るにしては大きな荷物を提げながらテータは部屋を出て行った。
「……明日の件、頑張ってか……」
静まりかえった部屋の中で、レインはまるで他人事のように呟いた。
残念ながら、テータの思いを受け取ることはできない。受け取ることができたとしても、頑張るの意味は違う。
そういう意味では、テータが帰省してくれてホッとした。彼がいたのでは、行いたくでもできないことがある。
レインはザストに夕食には行かない旨を連絡し、返答がくるのを確認してから息を整えた。
「よし、やるか」
声に出して己を鼓舞してから、レインは室内のシャワー室へと足を運ぶのであった。
―*―
「おはよう。学院から行くのは2人だけか? いや、あいつが来ていないな」
翌日の朝、学院の鉄門の前で待機していたアリシエールは非常に困っていた。
今日は七貴舞踊会参加者としてミストレス王へ拝謁する日。彼女の緊張も今までにないものへと上がっていたが、理由はそれだけではない。
「あれ、確かレイン君って寮生だよね? まだ寝てるのかな?」
昨日レインと大闘技場でお話ししていた緑色の髪を携えた2年の先輩、ルチル・ゴーゲンがアリシエールへ話を振る。
先ほど会った時に挨拶をしたが、とても気さくで優しそうな印象をアリシエールは持った。
どうやら学院の寮から王城へ向かうのは自分とルチル、そしてレインの3人となるはずだが、レインは未だ校門前に姿を現さなかった。
「朝の食堂では姿を見ませんでした。昨日の夕食も遠慮してたみたいで」
「何をやっている、今日の遅刻などあり得ないぞ。アリシエール・ストフォード、奴のコールコードは知っているか?」
「あっ、はい」
「今すぐ掛けろ、さっさと来るように連絡しろ」
約束の時間にいないレインへ苛立ちを見せながらアリシエールへ指示を出すローリエ。
彼女が言うように今回は学院行事なんて言葉で片付けられないようなとてつもなく大切な行事である、それに遅れるなど言語道断であろう。
アリシエールはすぐさまファーストスクエアを展開、レインのコールコードを選択しコールする。
10秒程経って、ようやくコールが繋がった音がした。
「もしもしレインさん?」
『アリシエールか、どうした?』
声を聞いた瞬間に全てを察知したアリシエール。
そうだった、自分の知っているレイン・クレストという人物が理由もなく遅刻するわけがない。
どうしてもっと早く連絡を取らなかったのだと後悔した。
一瞬でそう考えてしまうほどに、レインの声は低く途切れ途切れになっていた。
『そうか、今日は王城へ行く日だった。申し訳ないけど俺は無理だ、立っているのも辛い』
そう言われてしまってはアリシエールも何も言うことができない。
病人のレインに、心細いからついてきてほしいなど口が裂けても言えないのである。
『アリシエール、君は一人じゃないから。立派な1年の代表者だから。自信を持って臨めば良い。俺からはそれだけだ』
――――そして、その不安な心を解すように温かい言葉をかけてくれるレイン。
こうまで言ってもらえて、不安になるようなことは何もない。レインの言葉通り、自信を持って王城へ向かえば良い。
「ありがとうございます。レインさんもお身体に気を付けて、後でお見舞いにいきます」
『それは困るかな、移しちゃうと嫌だし。でもありがとう』
そう会話を終わらせて、アリシエールはローリエへ報告する。
レインが体調不良であること、今日は欠席するとのこと。
「馬鹿な……前代未聞だぞこれは」
しかしながらローリエは、少し青ざめたように声を漏らしてから寮へと走っていってしまう。
この目で確かめるまで納得いかないようだが、レインに会えば連れて行くのは無理だと理解するだろう。
「ありゃりゃ、レイン君風邪引いちゃったのか。それは仕方ないけど大丈夫かな?」
「大丈夫とは?」
頭に手を当てながら、困ったように笑みを浮かべるルチル。
その理由を聞いて、どうしてローリエがあそこまで焦っているかを理解する。
「聞いてるとは思うけど、今回の拝謁は参加資格の付与も含まれてるらしいからさ。風邪とはいえ、レイン君参加できなくなるんじゃないかと思って」
アリシエールは、何も返答できずに固まるしか他なかった。
休日の朝、アークストレア学院。生徒がいないにも関わらず、その忙しなさはいきなりピークへと達していた。