56話 先輩方
「ちょっと早めに来てみようと思っただけだったんだけど、まさかキミがいるとはね」
レインを見つけたルチルは、どこか弾むような足取りでレインの方へ接近する。
当然、その光景は他の1年生の目にも映っていた。
「お久しぶりです、ゴーゲン先輩」
「ホントにねえ、私図書室でレイン君のこと待ってたのになかなか来てくれないし」
「本当ですか? ちょくちょく図書室には顔を出してますけど」
「うそぉ!? 私、ほとんど図書室で時間潰してるのに!?」
「そうなんですか、間が悪いですね」
驚くルチルとは裏腹に、平静を保って会話を続けるレイン。
ルチルが自分と会わないのも無理はない、ルチルがいないタイミングを狙って図書室を利用しているのだから。
「それより、今日はどうしたんですか?」
「どうって、これから1時間は私たち2年生がここを使う時間だよ? とは言っても少し早く来たからまだ使ってていいんだけど」
ルチルの返答を聞き、レインは大きく失念していたことに気付く。
この時期に大闘技場を利用するのが1年生だけのはずがない。この後すぐに2年生がこの場所を使用する可能性を考慮に入れておくべきだった。
「しかしレイン君が代表者だったとはね、さすがに驚いちゃったな」
「いえ、俺は代役ですので。出番はないと思います」
「それでもすごいよ、あんなに火力ないのによく通ったね! あっ、今の悪口とかそういうのじゃないからね!?」
「分かってますよ、実力ないのは自分でも理解していますし」
「何を言ってますやら、エルフィン家の人間と互角の戦いしておいてさ」
「見てたんですね、模擬戦」
「そりゃね、模擬戦自体頻度が少ないし注目度は高いんだよ。それも入学したばかりの1年同士の模擬戦となればね」
AクラスとBクラスの模擬戦ということで注目を浴びていたのかと思っていたが、そもそも模擬戦自体数が少ないことは初めて知った情報だった。
確かにレインとジワードの模擬戦以降誰かが模擬戦を行った記録はない。制度として存在してはいるものの、そこまで利用されているものではないのかもしれない。
「あはは、それにしてもなんかホッとしたなぁ」
しばらく会話を続けていると、ルチルが首の裏を掻きながら安堵したような笑みを浮かべた。
「何がですか?」
「レイン君、私のこと避けてるのかと思ったからさ。こうして話してると普通だし、ちょっとだけ安心したというか」
「……考えすぎですよ、普通に図書室にも足を運んでいますし」
「そっかそっか、それなら今度こそ図書室で待ち構えてるよ。読書家の知り合いなんてなかなかできないんだから」
レインは思わず言葉を詰まらせてしまうが、ルチルがそれを気にする様子はなかった。
別にルチルを避ける必要はない。
しかし彼女は2年生、接する機会が多くなればなるほど別のリスクを抱えてしまう恐れがある。
はっきり言えばまさに今がその時、レインとしてはルチルとの会話を終わらせ、大闘技場から素早く離れたかったのだが……
「ああ! 2人ともやっと来たよ!」
――――それを実行するには、あまりに時間が足りなかった。
1年生がこの場所を使えるのは後10分、他の代表者が既に大闘技場に来ていてもおかしくない。
だからこそ――――ロードファリア姉妹がこの場に来ているのは至極当然だった。
ゆっくりとルチルの元へ歩いてくるロードファリア姉妹。一緒に居たレインに一瞬目を向けるが、何事もなかったようにルチルへ対面する。
「ルチル、参加者の邪魔しちゃいけないでしょ」
「邪魔じゃないよ、ちょっとお話してただけだし。ねえレイン君?」
「そうですね、邪魔はされてないです」
「ほーら、私悪くないでしょ?」
自分に話を振らないで欲しいとレインは思うが、それをこの場で伝えることはできない。
話が切れるタイミングでさっと一礼してこの場を離れる。その機会を窺っていたレインだったが、
「――――それで、どうしてあなたがここにいるのかしら?」
姉であるエストリアから、質問を投げかけられてしまった。
その視線はひどく冷たいものであり、一後輩に向けるにはいささか厳しく感じられる。
「Bクラス最下位、バニスの火力は覚えたての子どもそのもの。あなたのような人間がいていい場所ではないはずだけど?」
レインが返す前に、更なる追撃を重ねるエストリア。妹から猫被りを指摘される彼女だが、今の姿からはまったくその片鱗は見られない。
「エスト、さすがに言い過ぎだよ。上級生の言葉じゃない」
「どうしてかしら、自分がいかに場違いか教えてあげるのが先輩の役目だと思うけど?」
フォローに入ったルチルの言葉さえも、エストリアは容赦なく一蹴する。
腕を組み、美しく長い白髪を靡かせながら堂々と佇んでいる。
「レインさんは場違いなんかじゃありません!」
次いでエストリアに立ち向かったのは、普段の大人しい姿からは想像が付かない程に瞳をギラつかせたアリシエールだった。
気付けば、ギルティア以外の1年生がレインの後方に集まっている。
「レインさんには私たちにはない知識と戦略があります。戦闘訓練でも、私たちBクラスを勝利に導いてくださいました。今回だってたくさん的確な指示をしてくださっています。成績やバニスだけを見て、レインさんを測らないでください!」
アリシエールを知っている1年生たちは、目の前の光景に呆気を取られていた。
普段大人しくおどおどしている彼女が、上級生のエストリアに言い返すとは誰も思わなかった。
「へえ、随分とあなたにとって都合のいい人間ね。足場だけしっかり固めて表舞台は自分だけ出る。あなたが守りたくなる存在ってのも理解できたわ」
「ち、ちが、私はそんなつもりで……」
「何が違うの、はっきり言ってみなさいよ?」
しかしながら、エストリアは容赦なくアリシエールの牙城を突き崩す。
鋭く詰められたアリシエールは、返す言葉を失ってしまった。
「ウル、ミレット、私が以前言った言葉、もう忘れたのですか?」
「っ……!」
そして次は、エストリアの後ろに隠れていたシストリアが、レインやアリシエールではなくウルとミレットへ意味深な言葉を投げかける。
何のことかレインには分からなかったが、2人にとって都合の悪いことだというのは理解した。
これ以上ロードファリア姉妹に話を続けさせるのはまずい。
「ちょっと! 2人して後輩いじめちゃダメでしょ! そもそもどうしてそんな不機嫌――――」
「ロードファリア先輩、申し訳ありませんでした」
どこか苛立ちを覚えているロードファリア姉妹を止めるように再度ルチルが割って入ったが、それを遮るようにレインがエストリアに向けて深く頭を下げた。
「全てロードファリア先輩の仰る通りです、俺はこの場にいる人間ではありません」
「ロードファリアは止めなさい、妹と区別がつかないでしょう」
「失礼しましたエストリア先輩、ご指導ありがとうございます」
そう告げてもう一度頭を下げてから、レインは大闘技場の出入り口へと向かって歩く。
1年生の使用終了時間まで後5分、ここでその場を後にしても問題はないだろう。
「あ、あの!」
そのまま立ち去ろうとしたところで、レインを呼び止める声。
声を掛けたのは、シストリア・ロードファリアだった。
「なんでしょうか?」
「ま、紛らわしいので、私も名前で構いません」
あまりに深刻そうな面持ちで話すため何事かと思ったが、姉と同じ要望を妹からも投げているだけだった。
「承知しましたシストリア先輩、今日は失礼します」
そうだけ返答し、今度こそレインは大闘技場の外へ出た。
思いがけない邂逅、一瞬肝を冷やしたレインだったが、大きな問題が起きることなく切り抜けることができた。
言われたことは全て事実、それに対してレインが何かを憂うことはない。
しかしながら、今後学院の一部を貸し切るときは、前後に誰が利用しているかを確認すべきだとレインは思うのであった。