7話 昼食の心理戦
「うわあ、けっこう人居るなぁ」
レイン達は、入学式前に一度足を運んだ食堂へ来て、思わず声を上げてしまう。
学生数を意識した200以上の席に様々な料理を出す広々としたカウンター。等間隔に設置されている大きなシャンデリアと白を基調とした内装、壁に掛けられた美術品が、この食堂の華美さを大いに表していた。
最初に入ったときはフロアの照明が消え、厨房で作業している料理人しか居なかったため物寂しく感じていたが、食事時の今は生徒達で溢れており、とても同じ場所を見ているようには見えなかった。
レイン達もカウンターに並ぶ生徒の後ろに着き、料理を選んでいく。トレイに載せ終えると、レインはちょうど空いた四人席に腰をかけた。
「なんだレイン、そんなもんでいいのか」
同じく選び終えたザストがレインの隣に座る。ザストのメニューは豚肉を中心としたスタミナのつきそうなセレクト。それに対してレインは、手のひらサイズのパンが二つと三種の野菜サラダに果物二種。ザストの目には、とても満腹になるようには見えなかった。
「これ一切れやるから食べろよ、こんなんじゃ力入らないだろう」
「ありがとう、皿の量ほどは食べないから遠慮してたんだ」
「成る程な、だったら残す分は俺が食べるから遠慮せずに頼め。食事を怠るのはどんな理由があろうとダメだからな」
「カスティール君のオーダー、野菜がほとんどないんだが」
「それは問題ない。俺はリコピンとカロテンを自主生成できる」
意味不明なことを言ってごまかすザストだが、その前の気遣いは純粋に嬉しいものだと思うレイン。食の細いレインからすれば本当にこれだけで充分なのだが、そこは気持ちの問題である。
「というかレイン、本当に一緒に食べるのかよ」
少し辺りを見回してから、小声でレインに問いかけるザスト。内容は勿論、先程ばったり廊下で会った人物についてだ。
「断る理由がないしな」
「あるだろ! あんな人を見下すような奴だぞ、しかも俺たち巻き添えを食らってる感じになってるし」
「いや、それはあまり関係ないような・・・・・・」
レイン達がクラスメートから声をかけられないことを巻き添えと言うなら、さすがに被害妄想が過ぎてしまう。自己紹介だけを考えるなら、レイン達にも十分非がある話だ。
「どっちにしろ、さっきの教室の騒ぎを忘れて仲良くなんて――」
「なんだ君たち、それだけでいいのか」
ザストの言葉を遮りレインの前に座ったのは、絶賛渦中の人であるグレイ・ミラエルだった。
会話を打ち切られ物申そうとしたザストだが、トレイに限界まで載せられた料理を見て、言葉を失ってしまう。
「ミラエル君、これ全部食べるの?」
「食堂の費用は学院負担だからね。食堂外への持ち出しは禁止となるとここで食べるしかないよ」
「いや、そういう意味ではないんだが」
話の噛み合わなさに苦笑してしまうレイン。グレイの体格は小柄ではないが、ザストやレインと比べると背が低く、横に大きいわけでもない。このエネルギーが一体何に変換されているのか、非常に興味深い点だ。
「グレイって言ったな、悪いが俺はお前と仲良くできる気がしねえ」
全員が集まりいざ昼食の始まりというところで、ザストが真っ先に切り出した。その瞳は真剣で、真っ直ぐグレイを見つめている。
「どうしてだい?」
「どうしてって、お前は自分が言ってたことを忘れたのか? 君たちじゃ一生Aクラスには行けないとか」
「君こそ忘れたのか、僕は君たちならAクラスでも通用すると思ってる。君たちを卑下する理由もないし、仲良くしたいとも思うさ」
「そこが分からねえんだよ、どうして俺たち三人ならAクラスに通用すると思ったんだよ。セカンドスクエアも何も見せてないんだぞ」
グレイに対して、レインが最も訊きたかったことをザストが代わりに尋ねてくれる。
グレイ・ミラエルは、自己紹介を行う前――――つまりザストやアリシエールの家名を知る前に彼らなら可能性があると示している。あの場では皆、特段差もない学生の集団でしかないというのに、どうして狙い澄ませたかのように選び出すことができたのか。
ザストの問いに、一瞬間を置くグレイだが、少し頬を緩めると再び会話を続けていく。
「抽象的で悪いが、僕には朧気に分かるのさ。その人物を見て、雰囲気を感じて、自分にとって驚異に感じるかどうか、それが分かるんだ」
「なんだそりゃ。俺はそんなに強くないぞ、興味もあんまりないし」
「信じてもらわなくても構わないさ、僕一人がこの感覚を信じていればそれでいい」
グレイが前置きした通り抽象的でにわかには信じがたい感覚の話だが、それでカスティール家とストフォード家を引き当てるのだから馬鹿に出来たことではない。グレイの感覚を信じるなら、Bクラスにいるとはいえザストもアリシエールも相応の実力者ということになる。
その特異性に思わずレインがグレイに視線を向けたとき、グレイもまたレインに目を向けて、嬉しそうに宣言した。
「――その感覚が言うんだレイン、君が最も僕を脅かす存在だってね」
ザストの目線が自分に飛ぶのを感じて、レインは指を差された時と同様にまったく反応を示さなかった。
心の内で現状を整理して、自分の中の最適解を選び、言葉にする。
「ミラエル君の感覚を否定するわけではないが、俺は大した人間じゃないよ。セカンドスクエアを見れば分かる」
「『セカンドスクエアの火力は乏しい』、それが君の自己紹介だったか。これが何よりも恐ろしいことに誰も気付かないんだからBクラスは愚かなんだよ」
一度料理を口に運び、よく咀嚼して飲み込むと、グレイはその言い分の意味を伝えた。
「僕はねレイン、人間は見栄を張る生き物だと思っているんだ。自分が弱いと知りながらも自身の長けた部分をひけらかす、それが人間の性ってものさ。僕だって例外じゃない、人間はできるだけ自身の弱さを隠そうとする」
「だからレインの自己紹介がおかしいってことか? って言っても本当に弱かったら先に言っちゃうこともあるだろ。あとで知られるよりいろいろ言われないというか、うまく言えねえけど」
「そうだね、これは僕の感覚に依るものだからうまく説明はできないんだけど」
ザストの物言いを十分理解した上で、グレイは改めて説明した。
「ザストが言うように他者への保険の為にレインが主張したというするなら、レインから劣等感が生じなきゃおかしいんだ。だが自己紹介の時、僕はレインから劣等感なんて感じなかった。僕はこれを、他者へ伝えても良い弱みだから、既に克服しているからだと結論付けた」
「随分と強引な話だな。克服なんてできてないぞ、実際俺の火力は」
「そこは疑ってないさ。だが君はその弱さを乗り越えた。数多くの修羅場によって」
まだ出会ったばかりの相手に対してここまで入り込んでこようとするグレイに、少なからず感心するレイン。伝えた事実はセカンドスクエアの火力が乏しいという点だけ。この情報量の少なさだ、カマをかけている部分もあるだろう。それを堂々と言ってのけ、自分のペースへ持ち込もうとする力強さは、自信家であるグレイ・ミラエルの強みの一つに違いなかった。
それが分かっているからこそ、レインは決してグレイの土俵には登らない。
「勝手に期待して、勝手に失望ってのは勘弁してもらいたいんだが」
「成る程。これだけ揺さぶっても全くぶれないとは、あながち僕が言ったことも的外れじゃなさそうだ。その仮面、意地でも剥がしたくなるね」
「ちょっと待って、俺を置いてくなよ! なあグレイ、俺はどうなんだ? レインと比べてどんな感じなんだ!?」
疎外感を覚えたザストが、仲良く出来ない相手であるはずのグレイに縋り付く。最初の宣言は何だったのかと思いながらも、この流れを切れたことにレインは心の内で感謝する。ザストには、このままグレイと仲良く戯れていただきたい。
「ザストは普通だな」
「普通!? 全然すごくないじゃん!?」
「そういう意味じゃない。レインのような異質性は感じないという意味で普通ということだ。君自身、自分を弱いだなんて思ってないんじゃないかい?」
瞬間、ザストの表情に陰りが見えたが、すぐにいつもの調子で健やかに笑う。
「強いとも思ってねえよ、俺は楽しけりゃいいんだ。何事も頑張りすぎるのはよくねえしさ」
「そうだね、どれだけ頑張ろうと僕には勝てないわけだし、諦めは肝心だろうね」
「どうしてそういう話になっちゃうのかなあああああ?」
ザスト以上に爽やかな笑みを浮かべるグレイに、地鳴りのような声を響かせるザスト。そこには、食事前の殺伐とした雰囲気はまるで感じられなかった。ただの友人同士の、ただの会話である。
二人のやり取りを耳にしながら、レインは無表情で思考する。
グレイ・ミラエルは、ほぼ確実にAクラスへ上がる。彼と友人を続ければ、少なからずAクラスの情報は入り込む。そしてザスト・カスティールがいれば、自分だけがグレイの標的になることはない。
二人と仲良くなった経緯が偶然であったとしても、合理性に重きを置く自分をレインはただ空しく思うのだった。