45話 立候補
長いようで短かった戦闘訓練の翌日。レイン、ザスト、アリシエールの3人は放課後、Aクラスの教室へ来るよう指示されていた。
どうやら本格的に七貴舞踊会の準備を進めていくらしい。Aクラスの上位だけでなくAクラス全員を巻き込んでいる辺り、ローリエも少し焦っているのかも知れない。2年や3年の先輩方がすでに七貴舞踊会の調整に入っているのだとしたら、この遅れは即刻取り戻さなければならないのだから。
「……行きたくねえな」
Aクラスへの廊下を歩きながら、ザストが憂鬱そうに息を漏らす。一部仲良くなった生徒はいるといえど基本的にBクラスを見下すAクラスのスタンスは変わっていない。挑発されれば一も二もなく乗ってしまいそうな自分がいるため、ザストは前向きに足が進まなかった。
「分かります、他クラスは緊張しますよね」
なんとなくすれ違っているアリシエールの返しだが、ザストは嬉しそうに「そうだよね!」と同調する。
それでいいのかと思うレインだが、本人がいいなら口を挟むのはよくないと思うことにした。
Bクラスの担任であるリエリィーはついてこなかった。Aクラスで説明会がある話をしていた際も淡白であったし、戦闘訓練が終わって興味がなくなってしまったのかもしれない。
だとすればテータへの学校行事云々の説教は何だったのかと思いたくなるが、リエリィーにそんなことを言っても徒労に終わってしまうだろう。
レインとしては無駄に掻き回される心配もないため、彼がいない方がいいのだが。
そうこうしている内にAクラスの教室前まで到着した3人。何故だか大きく深呼吸するザストとアリシエールを横目に、後方のドアをゆっくり開けた。
ローリエを初め、Aクラスの生徒の視線がレインたちに集中する。そこには場違いを主張する強い視線も混在していた。
「ここに座ればいいですか?」
だがレインはそれらの感情に一切介せず、淡々と教室を見回しローリエに問う。教室に入ってすぐ右側に椅子が3席分並んでいたので、ここに座ればいいはずだが。
「アリシエール! ようやくきた!」
声を弾ませてこちらに歩み寄ってきたのは、Aクラス学年2位であるイリーナ・ドルファリエ。戦闘訓練後もずっと側にいたような気もするが、どうやら彼女はアリシエールを気に入ったようだ。
「ほらこっち、リナと一緒に説明きこ!」
イリーナはアリシエールの手を取ると、そのまま教室の中へと引っ張っていく。自分の席の隣に椅子を用意しているようで、アリシエールが来るのを待っていたようだ。
「あ、あの、私はこっちで」
「いいっていいって。どうせアリシエールはすぐAクラスに上がるんだし、リナの隣で問題なし!」
随分と危ない発言をするのだと、思わずレインはAクラスの生徒の様子を窺ってしまう。
グレイのようにクラスの入替によって昇級するというなら、アリシエールがAクラスへ行った場合、誰かがBクラスへ降級するということになる。それを考慮に入れるならクラスの中で堂々と発言していい内容ではない。
イリーナがそこまで気配りできるようなタイプではないのは分かっているが、クラス内でギスギスする雰囲気を作るのは止めて欲しいものである。
「まったく、勝手なことをするなとあれほど……」
「勝手じゃないよ、だってリナが椅子準備しても何も言われなかったし」
「……もういい。2人はそこに座って構わん」
額に手を当てながら大きく溜め息をつくローリエ。Bクラスの場合は教師がくせ者だが、Aクラスは生徒にくせ者が多くて大変そうだ。
レインとザストはローリエの指示に従い椅子に座る。こちらを向いていたミレットと視線が合うと、ニコニコしながら軽く手を振ってきた。対応に困りながらも手を振り返すと向こうの手の動きが速くなった。これは一体何なんだ。
「場を弁えろよBクラス風情が」
目の前にいる男子生徒が、分かりやすく悪態をついた。
「何しに来たんだお前ら、邪魔だからさっさと帰れよ」
横目でレインとザストを睨みながら、強く敵対の意志を見せる男子生徒。レインの手振りについて怒っているのかと思ったが、根本的にBクラスの存在をよく思っていないらしい。
ザストが怒りで身体を震わせる。Aクラスに勝った事実は伝わっているはずなのにこの対応とくれば、怒りたくなるのも無理はない。ザストもまだ我慢しているが、彼の悪態が続くようならいつ掴みかかってもおかしくないだろう。
彼の狙いは分かった。自分かザストを場を弁えずに怒るように仕向け、改めて七貴舞踊会の参加資格をなくすように動く。ただの憂さ晴らしのつもりかもしれないが、攻撃した以上反撃される可能性もあると理解しているのだろうか。
「何しに来たんだって、ローリエ先生に呼ばれたからなんだけど。君は俺たちがなんで呼ばれたか知ってるかい?」
馬鹿な振りをして、レインは鋭いカウンターをお見舞いした。案の定、男子生徒は返答に困ってしまう。
レインたちがローリエに呼ばれた理由は言うまでもなく七貴舞踊会の説明をするため。その説明を聞けるのは、レインたちがAクラスに勝利したからである。その事実をAクラスの人間は易々と口にはできないだろう。
悔しそうにこちらから視線を逸らす男子生徒を見て、レインは少し安堵する。これでザストも落ち着くだろうと隣を見ると、ニヤニヤしながら先ほどの生徒を見つめていた。
相変わらず切り替えの早い男だと思うレインだが、別の意味で不安を覚えてしまう。そんな表情で説明を聞いていたらローリエの怒号が飛んできそうだが、そこまでは庇いきれない。ローリエが説明を始めたら気持ちが切り替わると信じてレインはローリエの方へ目を向けた。
「それでは七貴舞踊会の説明に入ろうと思う。が、説明するまでもなく大方のルールは把握していることだろう。だから先に聞く、今現在七貴舞踊会に参加しようと思っている者はいるか?」
前談無しの率直な問いにAクラス内に動揺が走る。
それでも何一つ迷いなく手を挙げたのはAクラスの生徒とはいえただ1人。
「ギルティア・ロストロス、参加でいいんだな?」
「Aクラス主席として出るべきだろう、上位陣には我が儘な人間も多いようですし」
イリーナやグレイに毒を吐きながらもギルティアは堂々と参加を表明した。多少緊張気味だったローリエの表情も和らいでいく。最初の説明ではAクラスの上位陣の半数が参加を渋っていたため、少なからず安心できたのだろう。
「他にはいないのか?」
ローリエが呼びかけるが、第2波はなかなか訪れなかった。
それもそのはず。ギルティア・ロストロスの後に立候補するというのは精神的にも厳しいものがある。本番でも見比べられ、優劣を付けられる。七貴舞踊会に出ることは大きな名誉ではあるが、ギルティアより劣っていると明確に判断されるのは憚れるものがあった。
下手なプライド、そう簡単に言うことも出来るが、家名を背負っている以上下手な真似は出来ない。
――――だからこそ、捨てる自尊心もない人間が、勇気を持って踏み出すことができる。
ゆっくりと上がったその手を見て、周りの視線が集中する。驚きに満ちた表情を受けながらも、その手を真っ直ぐ伸ばした。
「そういうタイプではないと思っていたが、いいんだな?」
ローリエも一瞬驚かされていたが、その瞳に宿る意志をくみ取り、声を掛ける。
本来ならば到底受け入れられないイレギュラー。強く反論しているはずの自分が、やけに冷静に問いただしている。
その理由は言うまでもない。
戦闘訓練を見ていれば、イリーナ同様認めざるを得ないのだから。
「はい。他に候補の方がいらっしゃらないのであれば、私が」
ギルティアの後に手を挙げたのは、Bクラスの生徒であるアリシエール・ストフォードであった。