5話 自信家
その後、新入生代表の言葉や記念品の贈呈といった内容をこなしながら、入学式は粛々と執り行われていった。フェリエルの自由すぎる祝辞(といっていいか難しいが)によって冒頭から混乱しかけた入学式だったが、教員のフォローもあって事態は大袈裟になることなく解決したかのように見えた。
しかしながら――
「おいおいレイン、ちゃんと聞いてたか!? 姫様に勝てたら婿候補だってよ、そんな国の根幹に関わりそうなこと姫様の一存でなんとかなるのかな!? それともただ男心をくすぐっただけなのかな!? どちらにせよいやらしい!」
レインの隣で騒ぎ散らす男は、それはもうハイテンションでレインの両肩を大きく揺らしていた。学院最強らしいフェリエルに勢いだけで勝利してしまいそうな雰囲気まである。
「でもエストリア先輩も良かったなぁ、一緒に学院生活を満喫したい。というかいろいろ手ほどきを受けたい」
ザストのあまりの節操のなさに呆れてため息が出るレインだが、新入生にインパクトを与えていたのは二人の先輩であることには間違いない。男女問わず、評判も問わず、二人の話題で教室が騒がしくなっているのが良い証拠だろう。こうなると、来賓として来ていただいたアギレアに申し訳ない気持ちが沸いてくる。
「おお、朝と違って賑わってるようで先生嬉しいぞ」
入学式後、一時的に席を外していたリエリィーが、小さな箱のようなものを持って登場した。教室の賑わいを感じ、嬉々としてこの場に参上したご様子だ。
「まず簡単に今後の予定だが、自己紹介して寮生に鍵を渡したら解散でいいそうだ。院内を見回りたいならそうすればいいし、今の時間なら昼食に行っても問題ない。教科書等は明日以降の初回授業で配るから筆記用具だけ忘れないようにしてくれ。ここまで何か質問はあるか?」
「質問だ。リエリィー教諭」
「おっ、どうしたどうした?」
手を挙げたのは、青髪の翠眼の男子生徒。その容姿はザスト以上に整っており、男女の機微に疎いレインでも彼が女生徒に人気が出そうだと理解できた。
「どうして僕がBクラスなのか、まったく理解できないんだが」
――だが、男子生徒からはその甘いマスクに似合わない刺々しい発言が浮かび上がった。その表情からは強がりといった感情は読み取れず、本気で自分がBクラスであることに納得がいっていないようだ。
「グレイ・ミラエルか。どうして理解できないんだ?」
「どうしても何も、僕ほど優秀な人間がBクラスだなんて、学院の採点基準に異議申し立てるしかないからね」
「テメエ、黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって。強がろうが何だろうがテメエもBクラスなのは確定なんだよ。せっかく皆がBクラスであることを受け入れ始めたのに、引っ掻き回すんじゃねえよ!」
グレイの勝手な発言に怒った男子生徒が、Bクラスの代表と言わんばかりにグレイに対して物申す。割って入った男子生徒の主張は少なからずBクラスの同意を得られている発言のはずだが、グレイはそれを嘲笑うかのように否定する。
「Bクラスが確定? 馬鹿なんじゃないのか君は、いや、馬鹿だからこそこのクラスにいるのだろうな。君の主張に共感できるところなんてまったくないね」
「はあ!?」
「Bクラスを受け入れたのかどうか知らないけど、負け犬臭漂う君らがAクラスに上がるなんて一生かかっても無理だろうね。このクラスで可能性がありそうなのは――――君と」
周りを罵倒しながらもグレイは可能性がある者としてまずザクスを指差す。
「お、俺?」
「――君と」
「っ!?」
そして次にグレイが指し示したのは、入学式前にザストが話をした赤髪の女生徒、アリシエール。唐突に指を差されひどくビクつくが、グレイの指先は確かに彼女を差している。
「そして最後が――君だ」
最後にグレイがニヤリと楽しげに指を差したのは、紛れもなくレインだった。だがレインは、グレイの呼びかけを眉一つ動かすことなく聞き流す。何かしら反応を示して、得することは何もないと判断した結果である。
「まあ死ぬ気で励めば何とかならない人間もいなくはないが、現状見込みがあるのは三人。そこへいくとAクラスの連中は才能の宝庫、ここだけ切り取れば学院の採点基準は正しく思えるが、僕が漏れている時点でたかが知れてる」
あくまでも自分が世界の中心、そう言わんばかりの傲慢な物言いに唖然とするクラスメート。見込みがあると褒められているザストでさえ、行きすぎたグレイの発言に引いてしまっている。
「なるほどな、お前の言い分はよく分かった」
沈黙を破ったのは、しばらく状況を静観していたリエリィーだった。誰が相手だろうと臆すことのないグレイに向けて右手を差し出した。
「それならお前に、もう一度チャンスをやろう。それを突破できたら、お前をAクラスに引き上げるよう俺から進言してやる」
「何がチャンスだ、当然の行いだろう。いい加減学院側のミスを認めたらどうだ、リエリィー教諭」
「馬鹿を言うな、俺はきかん坊の生徒に現実を思い知らせてやるだけだ。お前こそ目上に対する口の利き方をなんとかしろ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
グレイとリエリィーの会話に割って入ったのは、紺色の髪をした男子生徒。男子の制服に身を包んでいるため男子だと分かるが、女子の制服に着ていても違和感を覚えない程に中性的な顔立ちであった。
「テータ・ノスロイドか、どうした?」
「そのチャンスというのは僕たちにも与えられるんでしょうか!?」
「そうだ! そいつだけに与えられるなんて贔屓も過ぎます!」
テータの言葉に続くように多くの生徒がリエリィーに対して抗議を始める。Aクラスに上がる機会ということでどの生徒も他人事ではないと思ったのだろう。グレイがおこぼれに預かろうとするクラスメートたちに見下すような視線を向けるが、クラスメートの目の先はリエリィーの姿だけ。グレイと同じように自分たちにも機会が与えられるか気が気でないのだろう。
リエリィーは立ち上がって抗議をした数名に目を配ってから、一度大きくため息をついた。そのため息の意味を、レインはうすうすと感じることができた。
「勿論平等だ。Bクラスの皆全員にそのチャンスは与えられる」
一瞬にして、Bクラスの教室が沸き立った。自分が上位クラスに上がることの出来る可能性が芽生えて、各々がその喜びを表現する。リエリィーの言葉を平静と受け取ったのは、奇しくもグレイが先ほど指差した三人だけ。
レインはリエリィーから笑顔が消えていることに気付く。生徒達と苦難を共にしたいという優しい表情は消失し、この騒々しい空間に対する空しさを表す面持ちへと変化した。
レインからすれば何もおかしくはなかった。一教師に一度定めたクラスを変更できる権限などあるはずがない。だとすればこのAクラスへ上がる機会は初めから学院側で想定されていたものであり、リスクゼロで与えられるものとは到底思えなかったからだ。
「ただし――」
レインの思考を読み取ったように、リエリィーが一つ前置きする。リエリィーの言葉を聞こうと静まっていく教室に広がったのは、学院側からの宣告。
「このチャンスをものに出来なかった者は、アークストレア学院を退学してもらう」
期待に胸を膨らませていたクラスメイトたちの表情が凍る。脳が追いつかず呆けた顔を浮かべる生徒達に、リエリィーは追い打ちをかけた。
「当然だろ、お前達は学院側に自分たちの評価に対して意義申し立てているんだ。再度自薦する機会を欲しておいて、足りてなかったらBクラスに戻るなんて都合の良い話はない。チャンスを欲する者の行き先は二つに一つ」
そう言ってリエリィーは教室のドアを差し、
「Aクラスか――――別の学院かだ」
最後に窓の外を指差した。退学という意味を分かりやすく示すように。
「まあ今の俺の話を忘れてチャンスを狙わなきゃBクラスにはいられるからな、落ち着いて考えてチャンスは必要ないと思ったら席に座ってくれ」
脅すかのように低い声を出していたリエリィーが、先ほどとは対照的に柔らかい表情で生徒達を諭していく。無理は必要ない、少しずつ力をつけてAクラスを目指せば良い、そう自身に折り合いをつけさせるために。
立ち上がっていた生徒が一人、また一人と席に着く。最初に割って入ったテータだが、前傾し苦悩を浮かべながらも、最終的には身を震わせながら席に着いた。初めに押されたBクラスという烙印が、皆の中から消えることはなかった証である。リスクを冒してまでAクラスを目指すことなど、できようもない。
――――ただ一人を除いて。
「俺の話を聞いて、意見が変わらなかったのはお前だけか、グレイ」
「意見? 僕は初めから自分はAクラスの器だと言っているのだが」
最後まで座らず、腕を組み堂々と佇むのは、グレイ・ミラエルただ一人だけである。自身の強さを信じて疑わない彼にとって、リエリィーの言葉などただの飾りに過ぎなかった。
「いいんだな? 失敗すればこの学院には」
「何度も言わせないでくれ、これは学院側の失態。僕がAクラスになるのは当たり前のことだ」
「分かった。後で職員室に来てくれ、詳細を説明する」
「了解だ」
満足げに席に着いたグレイを見て、リエリィーが少し口角を上げたのをレインは見逃さなかった。そして確信する、グレイ・ミラエルは間違いなくAクラスの器であると。
だとすればグレイがBクラスに紛れ込んでいる事態に説明がつかないが、先ほどのため息の照らし合わせれば仮説を立てることはできる。
リエリィーはBクラスといえど、Aクラスの器を持つ人間にあたりをつけており、本来Aクラスのグレイにその道化役を務めさせた。グレイのように自分がBクラスの器ではないと強気で主張できる存在がいないか試していたのだ。だが結果として誰も現れず、餌を出してから食いつく生徒ばかりであったため、ため息が出たというところだろうか。
とはいえこの推論は強引且つ暴論でしかない。というのも、グレイ・ミラエルという存在が例え教員の指示だとしても、とても道化役を演じる男には見えないからだ。彼もリエリィーの考えに巻き込まれた生徒の一人と考える方が妥当だ。
そうなるとリエリィーの狙いは何だったのか。それとも全てが思い過ごしで、グレイという自信家の暴走が招いた事故で片付けられるのだろうか。そもそも今の事態をここまで掘り下げて考える必要があるのだろうか。
「さてと、落ち着いたところで自己紹介始めるか! 入学式の間に考えといてくれただろうしサクサクいくぞ!」
現状の教室の空気を完全無視した仕切り直しに、思わず苦笑してしまうレイン。自身の器がBクラスでしかないと納得させられた負のオーラ全開の状況で、一体全体どんな自己紹介が生まれてしまうのか。
「おーい、さっきのは忘れるって話だろ、俯かないで前向こうぜ! まだまだこれからなんだからお前達は!」
レインは、このBクラスで退屈することはないのだろうと、謎の多い担任教師の振る舞いからそう思うのであった。