28話 プレストラップ
対戦順番が決まると、ローリエがAクラスメンバーを奥の部屋へと案内する。
この対戦訓練の目玉、プレストラップのお披露目である。
実物を見るのは両クラスとも初めてであり、イメージだけを渡されたレインとしてもあの薄い紙にバニスが吸収されるところを早く見てみたいと思っている。
何故そのお披露目をクラス毎に行っているかと言えば、プレストラップへバニスを放つ作業を他クラスへ見せないためである。模擬戦を行ったレインとジワード以外は誰がどのバニスを使用するかは未知数であり、現状対戦相手に見せるメリットは何もないため、当然とも言える配慮だろう。
だがレインは、今回の対戦訓練の仕切りがローリエであることに都度都度疑問を持っていた。
「どうしたレイン、ローリエ先生が今Aクラスだけに有用な情報を伝えてるんじゃないかって不安に思ってる顔してるぞ?」
「……そんな具体的な顔してませんよ」
そして先ほどから説明を全てローリエに任せていたBクラスの担任であるリエリィーが声をかけてきた。
「まあクラスを持ってる人間が進行するってのはよくないと俺も思うけどな、だが余計な心配はしなくていいぞ?」
「何故ですか?」
「先生も生徒も、自分たちが負けるとは思っていないからだ」
「……成る程」
実に納得のいく理由に、思わず苦笑してしまうレイン。
そもそも今回の戦闘訓練は、七貴舞踊会にAクラスしか参加できないことにBクラスが物申したがために行われている。
Aクラスしか参加できない理由がセカンドスクエアでの差とするなら、リエリィーが言うようにAクラス側に負けを想定している人間はいないだろう。
「まあ天下のレインさまならその驕りをぶち壊してくれるんだろうけどな」
しかしながら、Bクラスの負けが濃厚な戦闘訓練でありながら、他人事のように状況を楽しんでいるリエリィーにレインは辟易していた。
「その根拠のない期待はやめてくださいよ、負けたらどうするんですか?」
「模擬戦で結果残しといて期待するなって方が無理あるぞ?」
ニコニコと笑うリエリィーを見て、模擬戦に出たことを改めて後悔するレイン。無効試合にされるような偶然の勝利だったはずだが、Aクラスに勝ったという事実が一瞬でも残ったのは問題だったようだ。
「そんな面倒くさそうな顔するなって、勝てたらまた本を借りてこようと思ってるんだぞ?」
そんな分かりやすいご機嫌取りに、レインは容易に反応してしまう。本というワードに吸い寄せられそうになったが、すんでのところで踏み止まった。
「そういうこと、俺だけに言うの問題じゃないですか?」
特定の生徒へ偏った対応するなど、教師としてあるまじき行為。今までの会話の仕返しのつもりで返答したが、意外にもリエリィーの表情は時が止まったように凍っていた。
「お前以外に言う意味はないと踏んでるがね」
他のチームには絶対に聞かせられない、リエリィーの本音。とてもBクラスの担任の言葉とは思えなかった。
「なんてな! お前と違って皆は物で釣らなくても頑張るからな、言う必要はないの!」
と、先ほどまで振り撒いていた笑顔で大袈裟なジェスチャーをするリエリィー。レインからすれば酷い言われようだが、そう思われても仕方ない態度を取っているのも事実のため、反論できない。
「次はテータを激励するか、じゃあ後でな!」
そして何事もなかったかのようにリエリィーはテータの元へ向かっていく。自由すぎて、対応する側が疲弊してしまうのはいかがなものか。
「意味ない、ね……」
先ほどの意味深な表情と言葉は冗談だったのか本音だったのか。
それははっきり言って分からないが、今考えても仕方の無いことだとレインは忘れることにした。
―*―
「揃ったな。それではプレストラップの説明をしたいと思う。とは言っても事前に説明しているから理解はしていると思うが」
Aクラスと入れ替わりでレインたちはローリエの待つ無機質な個室へと入っていった。
そこで、ローリエから実演込みでプレストラップの説明があるようだ。
「まずこの紙、ペラッペラの薄い紙だが、これが正真正銘のプレストラップだ。まずこれにバニスを吸収させるため、適当に壁に貼り付ける。全体を2秒ほど抑えていれば、プレストラップは壁面にくっつく」
ローリエが手を離すと、話した通りプレストラップが壁にくっついた。
「後はお前たちが使いたいバニスをプレストラップに向けて打ち込めば、第一段階は終了だ」
そう言いながら、ローリエがセカンドスクエアを展開しバニスを発動させる。
アリシエールやジワードが使用する炎の陣フィア、その強さは放った瞬間プレストラップへ吸収されていったため分かりづらかったが、二人を充分凌ぐものに思えた。
目の前の不可思議な光景に感嘆の声を漏らす一同だが、ローリエはさっとプレストラップを剥がして淡泊に話を進めていく。
「これを好きなところに貼り付ければ、バニスを自分の手元以外から発動することができる。ただしプレストラップが視界に入っていない場合、セカンドスクエアにプレストラップ用のバニスは記載されない。遠方にあるものを闇雲に放つことはできないということだ」
そう言うと同時に、ローリエは大きく両手を鳴らした。
「これでプレストラップの説明は終わりだ。特に質疑がなければ、各々プレストラップにバニスを吸収させるように。各チーム1人2枚で計6枚、貼り付ける位置についてもしっかり検討しておくことだ」
その合図とともに、各チームが用意された3つのテーブルへと分かれて動く。
そこには6枚のプレストラップと、それを貼り付けるための小さな衝立が置かれていた。
プレストラップは表であろう部分に円陣が描かれており、裏は真っ白で何も描かれていなかった。
「プレストラップにバニスを吸収させたチームから退出していい。ただしプレストラップの裏には、クラスと対戦順番、通し番号を書くように。ノスロイドのチームなら『B1-1~6』といった形だ。運営側がプレストラップを設置する際、誤りがあっては問題だからな」
当然だろうなと思いながら、先にプレストラップに数字を記入するレイン。対戦順などを間違えてプレストラップが発動しないようなことがあれば大問題である。
「なあレイン、今思ったんだけどさ」
ペンを走らせるレインの耳元で、ザストが呟いた。
「チャンスじゃないか、まだできていない実験をする」
ザストの言う通りだった。
レインたちの作戦を実行する上で、プレストラップがなければ確認できない事項が一つだけあった。おそらくできると想定してぶっつけ本番で行う予定だったが、この状況であれば充分に試すことができる。
「終わった人から退出されると思うので、私たちだけが残ったタイミングで試しますか?」
同じく実験をできると思ったアリシエールから提案される。誰にもバレることなく行うには一番の策だが、大きな問題が一つあった。
「どうしたカスティールチーム? 早く始めろ」
この対戦訓練を指揮しているローリエの監視をかいくぐれない可能性があるということだ。最悪ローリエがいる状況で試さなくてはいけないが、Aクラスの担任であるローリエには是が非でも見られるわけにはいかない。
「ローリエ先生、一つお願いがあるのですが」
しかしここで迷っているわけにもいかず、レインは堂々とローリエにお願いすることにした。
「どうした?」
「せっかくですので、プレストラップでいろいろ試したいのですがよろしいでしょうか?」
そもそもこの希望を却下されてしまっては話が始まらないのだが、ローリエは一度頷いてから親指で向こうの壁を差した。
「勿論だ、実物をいきなり使用するというのはリスクが高いからな。あちらの壁に向けてならプレストラップを放っても構わん、ただし練習しすぎてガス欠になっても責任は取れない、各自上手く調整することだ」
望んでいた答えとは違っていたが、実験をすること自体は問題ないようだ。そうなれば、後もう一点壁を乗り越える必要がある。
「その際なんですが、その……」
「なんだ?」
「ローリエ先生に外れていただくことは可能ですか?」
一瞬虚を突かれたように言葉を失うローリエだったが、返答はすぐにやってきた。
「ダメだ。お前たちが全員出て行くまでこの場にいる義務がある」
予想通りだった。こればっかりはローリエの言い分が正しいが、そう簡単に引き下がるわけにはいかない。
「誰にも見られたくないんです。俺たちの作戦の一部なので」
「今回の対戦訓練は私が指揮している。どちらのクラスに対しても平等に対応する、それが信じられないのか?」
「そういうわけではないですが、ローリエ先生に見られて俺たちの作戦があっさり看破された場合、不正を疑ってしまうかもしれません」
「ほう、随分と自信があるようじゃないか。それさえ上手くいけば、Aクラス相手だろうと勝てると?」
「確証はありませんが」
淀みなく言い切るレインを見て、ローリエは笑った。全体の指揮を執る立場としては失格だが、生徒のモチベーションを下げるよりはマシだと判断する。
「……いいだろう、お前たち以外が退出した際、私もこの場を離れよう。ただし1分だけだ、その中でお前たちのやりたいことを全て終わらせろ」
「……ありがとうございます」
正直呆気に取られたが、なんとかお礼を返すことができたレイン。まさか了承をいただけると思っていなかった。
断られた時の案も考えていたが、使いたくなかったためレインは少しだけホッとした。
これでレインたちは、万全の状態で戦闘訓練に臨むことが出来る。
しかしそれは、これ以上言い訳が効かないことを意味している。ローリエが承諾したのも、Bクラスに後から言いがかりをつけられるのを避けるためであろう。
それだけローリエの信頼を受けているAクラス。レインたちはそれを突破しなくてはいけない。
そのためにレインたちは、最後の実験が成功することを祈るばかりであった。