20話 裸の付き合い(紳士編)
「お風呂に入りましょう!」
そうマリンが告げたのは、夕食とその片付けが終えたタイミングだった。
「もちろん入るは入るが……」
マリンの言葉に返答しつつも、なんとなくしっくりとこないレイン。『お風呂はいかがですか?』ではなく、『お風呂に入りましょう!』とマリンは言った。
つまり、マリンがこの言葉を向けているのはレインではなく――――
「アリシエールさま、よろしいですか?」
「わ、私ですか!?」
案の定、マリンはアリシエールの元まで歩み寄ると、驚きに満ちた彼女の手を取った。
「レインさまのご学友というであれば、私も仲良くなりたいですし。せっかくですからお風呂で親睦を深めましょう?」
「えっ、あっ、その……」
アリシエールは困ったようにレインへと視線を向ける。主からメイドへなんとか言って欲しい意思表示なのだろうが、レインが間に入る前にマリンに気付かれてしまった。
アリシエールとレインを何度も見返して、思案するマリン。
「あっ、成る程」
そして何か納得したのか、ふむふむと数回頷くと、マリンはニコニコしながら視線をレインへ向けた。
「よろしければレインさまもどうですか?」
「っっっ!!!?」
あろう事か、マリンは女性たちの湯浴みに何の躊躇いもなくレインを誘っていた。
言うまでもなくアリシエールは、これまで見たことのない形相でパニックを表現している。
「どうしてそういう結論に至ったんだ?」
「いえ、私はアリシエールさまと今日出会ったばかりですから。ご学友のレインさまも一緒の方がリラックスできるのかと思いまして」
「確かに」
「確かにじゃないだろ馬鹿レイン! それ以前の問題はどうした!?」
主従のコントに耐えきれなくなったザストが、頬を赤らめながらアリシエールのフォローに入る。
高速で首を上下に振るアリシエールを見て、レインは根本的な問題を理解した。
「俺が一緒だとストフォードさんが困るだろ」
「ではレインさまが一緒でなければアリシエールさまは困らないという認識でよろしいですか?」
「そう……なるのか?」
「えっ、ちが……」
「分かりました! それでは早速お風呂へ向かいましょう!」
「ま、待ってください……!」
息をつく暇もなく、アリシエールを連れて行ったマリン。あまりの勢いに、男性陣は呆気に取られていた。
そして――――すっかり静まった室内にザストの笑い声が響き渡った。
「あはは! すごいパワフルなメイドさんですね!」
「大変申し訳ありません、後で私から言って聞かせますので」
「いえいえそんな! アリシエールさんには悪いけど、見ていてすごく面白いですから」
楽しそうに笑みを零すザストを見て、少なからずホッとするレイン。メイドの無礼を気にするような二人ではないが、マリンはあくまで平民、場合によっては不敬罪で訴えられてもおかしくない状況である。
二人がお風呂から上がったら、アリシエールのフォローをすぐにしなくてはいけないと思うレインであった。
「しかしいいですねお風呂。リゲルさん、俺と一緒に入りませんか?」
そんなことを考えていると、お風呂の提案を良しとしたザストが先ほどのマリンのようにリゲルを誘っていた。
分かりやすく言葉を詰まらせるリゲル。
「わ、私ですか? レインさまではなくて?」
「レインは一緒にお風呂入らないんですよ。寮で何度か誘ったことありますけど、毎回断られてますし」
「部屋のシャワーで事足りるだろう」
「かああ、どうして浴場で包み隠さず会話する楽しさってのを分からないんだろうねえ」
そう悲しそうに言われても、分からないものは分からない。会話ならお風呂から上がった後でゆっくりすればいい訳であり、何も無防備な状況でする必要はない。
真面目に返すレインと項垂れるザストを見て、リゲルが口元に手を当てて笑う。
「承知しました。そういうことでしたら、お付き合いさせてください」
「おお! レインと違って話が分かるぅ! そうと決まれば早速行きましょう!」
「レインさま」
「うん、任せたよ。こっちは勝手にやってるから」
「かしこまりました。それではカスティールさま、こちらへ」
「はいはーい」
マリンたちに続いて、ザストとリゲルも浴室の方へ向かっていく。
彼らを連れてきて早々、馴染みすぎているように感じるレインだが、変にギクシャクされるよりはよっぽどマシだとレインは結論付けた。
「二人とも、あんまり話さないでよね」
そう意味深に呟いてから、レインは久しぶりの自室へと足を運ぶのであった。
―*―
「ああ気持ちいい! この家あんまり大きくないと思いましたけど、お風呂は別格ですね! その上男女で分かれてるなんて、お風呂に気合い入れまくってますし」
「お気に召したようで何よりです」
ザストとリゲルは、男性用の浴室に入り各々身体を洗い流すと、十人は楽に入れそうな湯船に腰を落とした。
心地良さそうに両腕を伸ばすザストを見て、リゲルは嬉しそうに微笑む。
「お風呂は元々一つだったのですが、レインさまがマリンに気を遣って男女別でも入れるようにしたんです。そんなことするくらいなら、一緒にお風呂に入ればいいってウチの馬鹿メイドは駄々をこねてましたけどね」
「……なんか、すごいですね」
「ええ、お恥ずかしい限りですが」
「いえ、マリンさんのことではなくレインのことです」
そこでリゲルは、ザストが思った以上に真剣な面持ちをしていることに気がついた。
表情を変えないまま、ザストは自分の思いの丈を語る。
「一般論ですが普通、主が使用人のためにお金を使うなんてあり得ません。百歩譲って誰かが提案しても、他の家族が止めます。そして使用人にこう言うでしょうね、『使用人の分際で何様だ』って」
ザストの言葉に、リゲルは口を挟むことなく耳を傾けている。他者の目に映る主人の姿に、ひどく関心があったからだ。
「でも、この家にはそれがない。温かくて優しくて、皆が皆相手を思いやってる。――しかも、それだけじゃない。リゲルさんは、レインが学院で模擬戦を行ったのを知っていますか?」
そこで初めて、常にどこか余裕を見せていたリゲルの表情が曇る。学院で実施される模擬戦のことは知っていたが、知っていたからこそ自分の主人が参加しているなど想像もつかなかった。
「実はレイン、最初はまったく出る気配も見せなかったんですよ。相手から煽られても微塵も靡くことなくスルーで。でも、そんなレインが、あまりにも分かりやすい挑発で模擬戦に参加したんです」
その内容は、ずっと長い時間レインの側に居るリゲルでさえ検討がつかなかった。正確に言うなら、従者としてレインの側に居るリゲルだからこそ思い付くことのない答え。
「レインは、リゲルさんとマリンさん、お二人への誹謗中傷を聞いて、戦うことを決意したんです」
「なっ……!」
――――だからこそ、思わず声を漏らす程にリゲルは驚かされてしまった。
可能ならば争いなど避けたいはずの主人の戦う理由が自分たちであることに、動揺してしまう。
「普段は恐ろしいほどに冷静な奴なのに、あの瞬間のレインは間違いなく激怒してた。それが俺には本当に不思議で、どうしてそこまで使用人の為に熱くなれるのかって……」
そこまで言ってザストは、ハッと目を見開くと、リゲルの方へ視線を向けて大きく頭を下げた。
「すみません! 別にリゲルさんやマリンさんを貶めてるわけじゃなくて! ウチの使用人はそういうものだったから気になって!」
「ああ、心配せずとも気にしていませんよ。カスティールさまの言い分は尤もですから」
すぐさま相手を気遣った対応をするザストに笑みを見せてから、リゲルは大きく息を吐く。
「……まったく、私たちのことなど気にしなくていいと散々言っているのに」
そう呟きながらも、リゲルの表情に怒りや憂いは一切感じられない。
当然だった。自分を思って動いてくれている主人に対して、どうして負の感情が芽生えようか。
その心地よさが、ほんの少しだけリゲルの口を軽くした。
「あまり多くは語れませんが、レインさまにとって私たちが、ただの使用人ではないからでしょう」
「それはもちろん三人の仲の良さを見てたら分かるんですが」
「いえ、そういう意味ではありません」
一度言葉を句切ると、リゲルは昔を反芻しながら、その事実をザストに伝えた。
「レインさまの家族が、私たちしかいないと言えば、納得いただけるでしょうか?」
「あっ……」
そこまで聞いて、ザストはクレスト家の仲の良さの理由をはっきりと理解した。
そして、屋敷に着いてからそれなりの時間が経つのに、レインの両親や他の使用人が現れないことも納得する。
レインにとっては、リゲルとマリンこそがかけがえのない家族であり、他人の誹りを許していいものではないのである。
だからこそ、レインはジワードの単調な挑発に乗らざるを得なかったのであろう。
全ては、家族を侮辱した相手を懲らしめるために。
「ですから私たちは、どんなことがあろうとレインさまを支え続けると誓ったのです。私たちなんかでレインさまの幸せが保てるなら何だってする。そういう覚悟を持って、ずっとお側に控えさせていただいております」
今までの自分の価値観と相違がありすぎて、ザストは言葉を紡ぐことができなかった。
事情が事情とはいえ、こんなに温かい家族があるものなのかと、絶句させられるほどに。
だが、そんな地に足が着かない状況のザストも、リゲルの言葉で我に返る。
「ですからカスティールさま、レインさまのことをよろしくお願いいたします。私たちは、学院でレインさまをお助けすることはできませんから」
穏やかな笑みを受け、心が晴れ渡っていくように感じるザスト。
興味本位でレインのことを聞いたのがきっかけだったが、それは結果として功を奏した。
――――これからもずっと、レインの友人でありたいと思えたからだ。
「任せてください、レインの最初の友人ですからね俺は」
「はい、とても頼りにしております」
二人笑みを交わしながら、今度は学院でのレインのことを話し始めるザスト。それを聞いて、さまざまな反応を示すリゲル。
紳士同士の湯浴みは、お互いが満足するまで穏やかに進行していくのであった。