19話 執事の気苦労
クレスト家。
貴族であるレインの住む家であるが、他の貴族と比べて建物の規模はかなり小さいものと言える。
部屋数が少なく、その他設備もそれに伴って減っているため、貴族によっては別荘と勘違いすることであろう。
こぢんまりとした食堂に通されたレインたちは、リゲルとマリンが準備する夕食を待っていた。
「なあレイン」
レインの迎えに座るザストが気まずげにレインに声をかける。
「どうかした?」
「いや、その、なんていうか、この家ってああいうのは普通なの?」
「ああいうのって?」
「だからその、マリンさんだっけ? 抱きしめ合うというか、レインも慣れてた感じだったし」
「ああ、そのことか」
ザストが言いづらそうに話すものだから何のことかと思っていたが、先ほどのマリンとの再会のことを言っているようだ。
よく見れば、ザストの隣に座るアリシエールも、頬を赤らめて恥ずかしそうに俯いている。
「スキンシップというか、挨拶みたいなものだよ。マリンはああいうのが好きみたいだから、俺も断る理由はないし」
「……なんか急にレインが遠い存在のように感じてきたな」
「えっ? ああいう挨拶しない?」
「しないよ! そりゃ小さいときはあったけど、今ぐらいの年齢であんな若い異性と抱き合うなんて、想像しただけで……!」
何を想像したのか、珍しく顔を紅潮させて姿勢を崩すザスト。
「ストフォードさんは?」
「む、む、無理です! そんなのダメだし責任問題だし心の準備とかとにかくよくないと思います!」
真っ赤な顔のまで両手を振りながら否定の言を述べるアリシエール。すごく重いことを言われているような気がしないでもないが、アリシエールにしても挨拶というカテゴリで行われないということは理解できた。
レインからすればクレスト家の挨拶にもの申されたようでいい気はしないが、よくよく考えれば『起床就寝時、再会別離時は抱き合う』という挨拶を提案したのはマリンである。
その上マリンはリゲルとその挨拶をしようとはしないし、レインにリゲルとする必要はないと言っている。
どう考えても、クレスト家の挨拶の方がおかしいような気がしてきた。
「お待たせしました皆様、遅くなりましたが御夕食の時間です」
ちょうどその時、夕食を載せたワゴンを押しながら、リゲルとマリンが食堂へ姿を現した。
「もう、リゲルさんがレイン様のことをお伝えしてくださらなかったから、私お手伝いしかできなかったじゃないですか」
「だーかーらー、レイン様がそう望んだって何度言えば」
「何度も聞いた上でブーたれてるんです。明日からは私が作りますからね?」
「はあ、前もって教えてても全部自分で作っただろうに」
「当然です」
「マリン」
どこかで切らないといつまでも話し続けそうだったので、レインは二人の会話に割って入った。
「は、はい!」
「自己紹介してもらっていい? さっきはすぐ食事の準備に行っちゃったからさ」
「あっ! 申し訳ありません、失念しておりました!」
そう言うと、マリンは足首程まである長いスカートを軽く持ち上げ、頭を下げた。
「私、レイン様のもとでメイドをしておりますマリンと申します。本日はレイン様のご学友がお二人もいらっしゃって、とても嬉しく感じております」
表で泣きじゃくっていた姿とは打って変わった振る舞いに息を呑むザストとアリシエール。特に、最後に見せた曇りなき満面の笑みは、二人の思考を停止させるのに充分だった。
「こちらがザスト・カスティール君で、こちらがアリシエール・ストフォードさんだ」
レインの言葉で時間が動き出した二人が、リゲルの時同様に自己紹介を始める。その間にリゲルが食事の配膳を済ませ、スムーズに夕食の時間が開始された。
「お、美味しい……!」
静かな感動を声にこめるザスト。彼が口にしたトマトのスープは、甘みと酸味が絶妙にマッチしており、空腹をさらに刺激するのであった。
「あの、このお肉って」
「ラム肉です」
「やっぱり! 前に一度食べたことあるんですが、こっちの方が断然美味しいです!」
「ありがとうございます」
ザストにもアリシエールにも食事が好評のようで、一先ず安心するレイン。
トマトスープを味わいながら、レインはふと先ほどの件をマリンに聞いてみることにした。
「なあマリン?」
「何でしょうか?」
「俺たちがよくする挨拶、二人には馴染みがないみたいなんだけど」
質問を投げると同時に、マリンの動作が止まる。レインに向けていた微笑みが少しずつ引きつり、目線が少しずつレインから逸れていった。
この時点でレインは色々と察してしまったが、マリンがどんな風に取り繕うのかを待つことにした。
「マリン?」
「えーと、ですね? レイン様は、その、厄除けの儀式というものをご存じですか?」
まったく予期していなかった単語が飛び出してきて、レインは一瞬固まった。
「厄除けの儀式?」
「はい。人間、生きている以上は厄を呼び寄せてしまいます。小さいものであれば個人で対応可能ですが、大きいものは一人では対応しきれず、厄に呑まれてしまうのです」
抑揚のあるマリンの話し方に、思わず聞き入ってしまうレイン。
「そこで生み出されたのが厄除けの儀式、一人で抱えきれないものなら前もって二人分の力を扱えるように身を寄せ合うんです。そうして人々は、大きな厄を乗り越えていったそうです」
「……成る程」
腕を組みながらレインは感心したように頷いた。その様子を見たマリンは瞳を眩かせ、最後の押しを決行する。
「とはいえ古い儀式、今では随分と廃れてしまいました。お二人が知らないのも無理はないかと思います。だからこそ私は、今の慣習に囚われず、古き良きものを後生に伝えていきたいんです。ダメでしょうか、レイン様?」
マリンは両手を組み、縋るようにレインの目を見つめた。
「うん、そういうことなら仕方ない。俺たちだけでも続けていこう」
「はい! もちろんです!」
レインの了承をもらい、心の底から喜びを表現するマリン。
一部始終を見ていたザストとアリシエールは目の前の不審な会話に頭を捻らせ、リゲルは大きく溜め息をついた。
レインは、歴史にそれなりに精通している自分が知らない知識をマリンが教えてくれたことに少し感動していたが、レインが知らないのも無理はない。全てマリンの創作なのだから。
普段は注意深く何事にも疑ってかかるレインだが、マリンの言葉には常に振り回され続けている。
それは信頼があってのことであり、例え怪しい事柄でも、マリンが自分を貶めることはないと断言できるからである。
とはいえ従者の立場で主を振り回すのはいかがなものかとリゲルは日常的に頭を悩ませているが、主がそれを苦と思わないからどうしようもない。
結果、人知れず溜め息をつくしかないのである。
だが、マリンをこんな風に変えてしまったのはレインであり、それを思えば横から口を挟むことではないのかもしれないとリゲルは考える。
レイン自身、自分やマリンを従者ではなく、家族として扱っているのだから。
「レイン様、あーん」
「こらマリン、はしたないぞそれは」
「えへへ、申し訳ありません」
「……」
だが、そう思いつつも、他人様の前で躊躇ないバカメイドに、自重という言葉を思い切り投げつけたくなるリゲルなのであった。