16話 貴族と平民
「お待ちしておりましたレイン様」
生徒玄関から学院の門へ向かうとそこには何台か馬車が止まっていたが、一番いい位置にある場所の前に見知った執事の姿があった。
「ありがとうリゲル、昨日今日で動いてくれて」
「いえいえ、数少ないレイン様の頼み事ですからね」
爽やかな笑顔を浮かべながら返答すると、リゲルはレインの一歩後ろにいる二人に目を向けた。
「ご紹介いただいてもよろしいですか?」
「うん。同じクラスのザスト・カスティール君とアリシエール・ストフォードさん」
レインが一歩横にずれて二人を紹介すると、リゲルは右手を胸に当ててお辞儀をした。
「カスティール様、ストフォード様。私、レイン様の元で執事をしております、リゲルと申します。今日を含めて3日間、よろしくお願いいたします」
「こ、こちらこそ! ザスト・カスティールっす! レイン君にはいつもお世話になっておりまして!」
「アリシエール・ストフォードです。私もレインさんには、本当にお世話になっています」
狼狽えながら何度も頭を下げるザストと、両手を重ねて丁寧にお辞儀を返すアリシエール。
どちらも伝えたかったことは同じのようで、それを聞けたリゲルは嬉しそうに微笑んだ。
「こちらこそ、レイン様と仲良くしていただいてとても感謝しております。では、こちらへどうぞ」
そう言いながら馬車の扉を開け、中へ誘導するリゲル。扉は少し高い位置にあるが、木製の足場を置いてスムーズに入れるよう対応する。
「リゲルは?」
「今日は馬を引かせていただきます。何かありましたらすぐにお伝えください、すぐに馬車を止めますので」
「了解。長丁場だし、リゲルこそ適度に休んでくれよ?」
「承知いたしました」
念のためリゲルに釘を刺してから馬車へ乗り込んだレインだったが、言うことを聞いてくれるかは正直半信半疑だ。
マリン程度には自分を労ってくれても良いものだが、リゲルはレインのためなら多少の自己犠牲ならば一切厭わない。
結局自分から休憩をするよう合図を出すしかないのだと思いながら座ると、早速ザストから質問が飛んできた。
「レイン、あの人……リゲルさんって言ったか、いったい何歳なんだ?」
「リゲル? えっと確か、今年で27歳だったかな」
「わかっ! レインって嫡子だよな、幼い時からあの人がレインを世話してたの?」
「うん。だから10年以上の付き合いになるのかな」
「すごいな、俺のところの執事なんてまず若い人はいなかったぞ」
「そうですね、私の家のお世話係も若くて30代だったかと思います」
「だよね。リゲルさん、それだけ若いときから期待されてたってことだよな」
「そんなことは……あるのかな?」
反射的に言いかけた言葉をやめて、無理矢理取り繕ったレイン。
クレスト家の執事は優秀、話をこれ以上広げる必要はない。余計なことを言って詮索されるのはレインも避けたいところである。
「ところで、レインの実家ってどの辺りにあるんだ?」
リゲルの話題に満足したのか、話を変換するザスト。移動に4時間程度かかることは事前に伝えてあるので、どこにあるのか気になっているのかもしれない。
「ローラルド地方の南西部だ。ネムネに近いかな」
「それって森の中ってこと?」
「森の中ではないけど、ちょっと行けばネムネの森には入れるよ」
「ってことはローラルドでもかなり田舎の方なんだな、てかあの辺りって村とかあったっけ?」
「ほとんどないね、暮らすには少し不便な場所だし」
「へえ、ますます意外。レインってもっと都市部で暮らしてるイメージだったよ」
「どんなイメージだそれは」
「なんとなく分かります。田舎で穏やかに暮らすというよりは、都市部でキビキビと活動してる感じです」
「うーん、全然ピンとこないけど」
ザストとアリシエールのイメージがしっくりこないのか、頭を捻らせるレイン。
都市部で暮らそうが田舎で暮らそうが日頃の生活に差異がなければ人格形成にそれほど違いは見られない。
レインはそう思っているが、幼少期を二度体験できる者はいない以上、それを確かめる術は勿論存在しない。
機会があれば、そういった文献を読むのも悪くないと思うレインだった。
―*―
「くうううう、さすがに座りっぱなしは疲れるなあ」
空の赤みが黒へと変わっていく時間帯、レインたちは通り道にある村の近くで一休みしていた。
レインの住まいの話から多少雑談に花が開いたが、それ以降は専ら戦闘訓練の話が持ちきりとなり、キリのいいタイミングで休憩を挟んだ形になっている。
「もう随分暗くなったけど、レインの家に向かうんだろ?」
「うん。後1時間ほどで家には着くし、何よりここは平民たちの村だ。貴族が宿を借りたいなんて言って迷惑かけるわけにもいかない」
「だな、入学式に向かう途中で平民の宿を借りたことがあったけど、とにかく腰が低くてこっちまで低姿勢になったんだよな」
リゲルの用意してもらったお茶を飲みながら、村の外から村の様子を眺める三人。
ミストレス王国には、貴族が領主として直接治めている村と、貴族が村長を定め管理させている村の2種類がある。前者は貴族が村、もしくはその付近に住んでいる場合が多いが、後者は村長に村を任せているため、住まいは大きく離れている場合が多い。
今レインたちが訪れた村には大きな建物がないため、貴族のいない後者の村だとレインは考えている。
前者であれば村を治める領主が宿を求める貴族とやり取りをすればいいが、後者の場合、貴族とやり取りするのは平民しかいない。
不手際によって貴族を怒らせるようなことがあれば、その場を治められる者は誰もいない。
平民たちは、貴族に無礼を働かないよう、必死に持てなしをしているのである。
それが分かっているからこそ、レインたちも村の中で休憩するのではなく、村のはずれで馬を止めているのであった。
「びっくりしますよね。私はほとんど家で過ごしていましたし、誰かと話すとしても同じ貴族の方でしたからずっと知らなかったですけど、私たち貴族ってすごく恐れられてるんですよね」
畏れではなく恐れ。平民が貴族に抱いているのは、敬意でなく恐怖。それほどまでに、貴族と平民には大きな力の差があった。
「仕方ないよな、平民からすれば貴族はセカンドスクエアっていう恐ろしい力が使えるんだ。怖がらない方がおかしい」
「はい……」
「不思議だよ、ファーストスクエアは誰でも使えるのに、なんでセカンドスクエアは使える人間が限られているんだろうな」
「いや、そういうわけじゃないよ」
感傷的なザストの呟きを遮ったのは、レインだった。
「どういうことだ?」
「セカンドスクエアを使うための準備がそもそもできないってこと。ザスト、セカンドスクエアを使うには何が必要だ?」
「そりゃバニスを覚えなきゃいけないんだからセレクティアが……あっ」
そこまで言って、ザストもレインの言葉の意味を知る。
「もし仮に平民の中でセカンドスクエアを使える人がいたとしても、セレクティアを買うことができない。セレクティアは並の貴族でも買うのを躊躇う価格のものだ、平民では尚のことだろう。購入できたとしてもそれで適性がなければ無駄にお金を浪費するだけ、とてもじゃないが手は出せない」
「確かに、貴族が平民たちに買って与えれば可能だけど、そこまでする意味は見いだせない」
「そういうこと。平民たちの問題は、何も適性だけの話じゃないさ」
そこまで話して、レインは一つ大きな疑問を抱えていた。
だがそれを今深く考えたところで答えは出ない、機会があれば当人に訊いてみることにする。
「そろそろ行こうか。リゲル、十分休めた?」
「おかげさまで、いつでも大丈夫です」
「よし、それじゃあ――――」
休憩を終え、これ以上暗くなる前に帰ろうとレインが決意したちょうどその瞬間、
「ああ!? ふざけてんじゃねえぞ!」
村の中で大きな怒声がこだました。




