3話 内気少女と陽気先生
図書館を出たレインとザストは、レインの言葉通り他の場所には寄らず、二人のクラスである1ーB教室へと足を運んだ。
途中で学内の探索を切り上げたこともあり、入学式にはまだ時間があるため、教室には誰もいないと踏んでいたが、教室に入ると席に座って読書をしている女生徒がいた。
赤色のロングヘアーが特徴的で、一部を側頭部で簡単にまとめている。少し猫背気味な点と、教室のドアを開けただけでビクついた様子から、ザストのように活発な人間ではないのだろうと推測する。
声をかけるべきではないとレインは思っていたが、隣にいる活発男子は彼女の様子など構うことなく、本能のまま彼女の元へと歩みを進めた。
「おはよう、まだ時間早いけど随分気合い入ってるねえ」
「は、はあ」
レインは二人に関わらないよう距離を取った位置に座るが、ザストが変なことをやらかさないよう念のため聞き耳を立てておく。最初の反応だけを聞けば、女生徒は戸惑っているようにしか思えない。事態が好転するなら喜ばしい限りだが、前向きに放置していい問題なのか少々、いやかなり不安だ。
「俺、ザスト・カスティールって言うんだけど、君の名前は?」
「名前? 名前・・・・・・アリシエール・ストフォード、です」
聞き覚えのある家名に、思わず身を硬直させるレイン。
ストフォードといえば有名な女傑の家系で、多くの実力者を輩出している家である。歴史的に男がほとんど生まれておらず、生まれる子どもは女の子ばかり。女傑となるために英才教育を施される一方で、最近では他貴族との交流、交際を主として行っているとか。
どちらにせよ優秀な家系であることには変わらないが、その彼女がBクラスに配属されているのはどうも疑念が残ってしまう。ザストといい彼女といい、単純に家名で考えるならAクラスにいるべき存在だ。それがBクラスに在籍しているとなると、二人がどういう人物なのか、レインとしても気になるところである。
「アリシエールかぁ、格好いい名前だね! 愛称とかってある? やっぱりアリスとか?」
「えっ、いやその」
「ところでアリシエールさんは家からここまでどれくらいかかるの? うちはそりゃもう遠くてさ、そもそも場所がタンギニスにあるんだけど」
「えと、えっ」
図書館での出来事を完全に忘れたかのように怒濤の勢いで話題を振るザスト。それにまったくついていけてないアリシエール。
同世代とほとんど話したことのないレインだが、それでも現状のかみ合わなさは手に取るように判断できる。笑顔が特徴でコミュニケーション能力も高そうに見えるザストだが、もしかしてそれほど会話は得意ではないのかと思えてしまうほどに相手の反応を気にしていない。これでは会話が進まないのも無理はない。ザストがアリシエールに好意を抱き、その緊張が会話に出てしまうというなら話は別だが、そんな考えに思い至らないレインからすると、アリシエールの不憫さだけが目についてしまう。
アリシエール自身に状況を打破させるのが一番いいのだろうが、このまま放っておくのも同じ教室にいる身としては多少心苦しい。ザストにはまたの機会に会話を進めていただくとする。
「カスティール君、そういえばさっき食堂見忘れてたし見に行かない?」
レインはできるだけ自然に声をかけ、もっともらしい言葉でザストに割って入った。
だが、ザストは訝しげな表情で振り返り、レインを見やる。
「さっき教室で待機するって先生に言ってたじゃん」
「全部回ったと思ってたからね、まだ時間あるし行ってみよう」
「あのねレイン君、この状況見て分からない?」
食い下がるレインに、笑ってない笑顔を向けるザスト。女の子と話してたいから一人で行けと、そんな思いがまっすぐ伝わるようだった。
もちろんレインは引き下がらない。この状況見て分からないとザストは言うが、むしろその状況を見て今の行動を決行しているのが現状である。このままではお互い、いろんな意味で学院生活に支障をきたしかねない。ということでレインは、あまり褒められた方法ではないやり方で牙城を崩すことにした。
「そうか、なら一人で寂しく行ってくる。さっきは二人で楽しかったけど、仕方ないな」
わざとらしく大きなため息をつき、レインは落胆したように教室の外へ歩いて行く。短い付き合いのザストだが、彼の性格からしてこの状況を放っておける人間ではないのは理解できている。
「ったくしょうがないな! そんなに二人がいいってなら行くしかねえじゃんかよ!」
そして案の定、舞い上がりを隠せないザストが、頭を搔きながらレインの後を追ってくる。あまりの扱いやすさに、レインとしても不安になってきた。
「あっ、アリシエールさんも一緒にいく?」
「い、いえ。お二人で楽しんで」
「そう? じゃあまた後でね!」
まさかのお誘いでレインは作戦失敗を頭に過ぎらせたが、そこはアリシエールの遠慮によりなんとか無事進めることができた。ザストに見えないようホッと胸をなで下ろす彼女を見て、レインはおっせかいではないことをようやく実感する。
「いやあ、めちゃめちゃ可愛い子だったなぁ。もう少し話してくれたら嬉しかったんだけどさぁ」
教室を離れてすぐ、ザストはアリシエールを話題にレインへと話を振る。どうやら彼女に無理をさせていたとは露ほども思っていないらしい。
とはいえザストばかりが悪いとレインは思っていない。会話が苦手なりに、アリシエールにもうまく対応する手段はあったはずである。あの内気さは、学院生活において苦労することになるだろうとレインは他人事ながらに思案するのだった。
―*―
院内探索の二度目を終えると、ちょうどBクラスの受付時間終了5分前まで迫っており、レインたちが教室に戻った時にはクラスの席はレインとザストの以外全て埋まっていた。何故だか、自分たちが遅刻をしたような錯覚に陥りつつも、早足で席に座る二人。
「おっ、もう全員揃ってるか」
レインたちが教室に戻って間も無く、衣服を少し崩した若い男性が教壇の後ろへ立ち、声をかけた。
「おはよう諸君! 俺は皆の担任にあたるリエリィー・ローズだ。担当は歴史だが、スクエアのこともガンガン訊いてくれて構わないからな!」
出席簿らしきものを片手に持ちながら、生徒を安心させるよう笑顔を振りまくリエリィー。しかし、クラスのほとんどが葬式でも迎えたかのように顔を伏せ、沈み切っている。
Aクラスではないという現実と、それに伴う自信喪失からきているのだろうが、それを引き摺られるのは担任としては非常にやりにくいだろう。
「ホントならこの流れで自己紹介の一つでもしたいところなんだが入学式まで時間がなくてな。悪いが式典中に挨拶を考えといてくれると助かる。やっぱり最初の挨拶は肝心だからな、バシッと気持ちいいのを考えといてくれ」
とはいえリエリィーはそんな気持ちなど抱いていないのか、表に出さないのが上手いのか、明るさを絶やすことなく進行を続けている。それを見て、レインは図書館で感じた一抹の不安が消えていくのを実感する。
Aクラスだけに早く登校するよう言い渡した学院が、Bクラスの指導に注力するつもりがなく、適切な担任の人選を行わない可能性があったからである。レインとしては究極それでも構わないが、今のような雰囲気のまま学院生活が始まるというのも抵抗があったため、リエリィーの陽気に振る舞う対応には心底安堵させられている。そもそもの話、入学できただけで喜ばしいレインからすれば、Bクラスで沈んでしまうクラスメイトの気持ちが理解できない部分があるのだが。
「さて、そろそろか。みんな、大講堂へ向かうぞ」
リエリィーは時間を確認すると、皆に席を立つよう呼びかける。待ちに待った入学式の時間である。廊下で並ぶ生徒達を見ながら、リエリィーは再度口を紡ぐ。――それはもう、心の底から嬉しそうに。
「運がいい世代だな。我らが王女様の在学中で、お言葉を賜れるわけなんだから」
リエリィーの呟きを聞き、男子生徒の一部が分かりやすく表情を柔らかくした。ザストに関して言えば、ただひたすら「楽しみだ」を連呼する始末。
リエリィーの「王女様」という言葉は、何かを比喩したものではない。文字通りの、そのままの意。
アークストレア学院には、ミストレス王国の姫君、フェリエル・ミストレスが在籍しているのである。