8話 ウルのお話
終礼が終わり、リエリィーと一緒に出て行ったザストを待つべく、レインは教室で読書をしていた。『国の興亡』の続きを読みたかったが、持ち運ぶには不便な分厚さなので、寮生活をする上で持ち込んでいた歴史書で時間を潰している。
レインが終礼後教室に留まることはほとんどないが、昨日のザストの発言から察するに、居残って座学に励む生徒は滅多にいないはず。
つまるところ、これほど生徒が残っていることなど入学式以来であろう。
それもこれも、リエリィーが皆に言い放った言葉が原因だ。
『リーダーには、残り二人のメンバーを決める役割を与える』
教師ではなくリーダーが残り二人のメンバーを決める。言うなれば、七貴舞踊会に参加できる権利は、三人の生徒が握っているということになる。
そうなれば当然、少しでも早くザストたちに自分をアピールしなくてはならない。出遅れれば、メンバーの枠が埋まってしまうからである。
だからこそこうして周りを窺いながら居残る生徒が多数いる訳だが、レインとしては現金な人たちだと思わざるを得なかった。
ここに居ては自分もメンバー枠狙いだと勘違いされそうなので、場所を変えることにする。ザストに待機場所を変える旨のメッセージを送ろうと思い立った瞬間、ファーストスクエアが展開した。
『暇でしょ、食堂に来て。一人で』
「……こっちが断るなんて想定してないんだろうな」
宛先を見るまでもなく、誰からきたのか容易に察することが出来た。傍若無人なメッセージを受け取ったレインは、一度大きく息を漏らしてから、目的地へと向かうのであった。
―*―
「あら、来てくれるとは思わなかった」
開口一番に不条理なことを言う金髪少女は、ドリンクを飲みながらレインに自分の前に座るよう促した。
正直ウルの思いのまま動くことに抵抗があったが、席を前にして立っていると変に目立つので、レインは大人しく座ることにした。
そこで、いつもとはなんとなく風景が違うように感じた。その理由にもすぐにピンとくる。
「メドラエルさんはどうしたの?」
ウルと会うときは、必ずと言っていいほど一緒にミレットの姿があった。仲が良いのはいいことだが、逆に一緒にいなければ何かあったのではと勘ぐってしまう。
「……どうしてミレットの名前が出るの?」
しかしながら意図が通じなかったようで、ウルは頬を膨らませながらあからさまに不機嫌そうな表情を見せた。
「いや、いつも一緒にいるのに今日はいないから」
「ホントにそれだけ?」
「それだけだけど、何かあるのか?」
しばらくむっつりとレインを見つめていたウルだったが、表情にまるで変化が見られないレインに根負けしたように息を吐いた。
「……教員室よ、戦闘訓練の説明を聞きに」
「それはおかしいだろ、呼ばれたのは各クラス成績上位三名のはずだったが」
「イリーナが無事ルールを把握している可能性が低いからね、ミレットは代理で着いていったの」
「そんな馬鹿な……」
そう呟きながらも、イリーナの日頃の様子を見ているとあながち否定することができないレイン。ローリエの頭を抱える姿を容易に想像することができた。
「そういうことだからミレットが戻ってくるまで暇だから相手して頂戴」
「どういうわけか知らないが、俺と話しててもつまらないと思うぞ」
ウルの申し出通り食堂に来ていうのも何だが、ウルからメッセージがきたときは正直レインは驚いていた。
昨日のやり取りでまたしばらく声をかけられることはないと予想していただけに、昨日の今日で会話の誘いが来るとは思いも寄らなかった。
それ故にあまり乗り気になれないレインだったが、レインのその反応を見てもウルは怒りも悲しみもしなかった。
「いい。あなたには、ただあたしの話を聞いて欲しいだけだから」
――――ただ切なげに、ストローで氷をぐるぐると回すだけだった。
そして、改まって姿勢を正すようなこともなく、ウルは自身の話を始めた。
「あたしね、コトロス家の長女として産まれたの。父は男の子が欲しかったみたいだったけど、あたしをすごい可愛がってくれた。甘やかしてたと言ってもいいわね。貴族とか二卿三旗としての振る舞いだとかそういう指導は一切なかった。ただあたしの親として、両親はあたしに愛情を注いでくれてたんだと思う」
レインは、彼女の話を相槌も打たずにただ聞いていた。ウルも、自分のペースで話を進める。
「でもね、物心つくと甘やかすだけじゃダメなんでしょうね、両親は勉強がどうとか、マナーがどうとかあたしに指導するようになった。一人っ子だからね、家を守るためにも必要なことだったんだと思う。――でもね、あたしは嫌だった。勉強は嫌いだったしマナーなんて窮屈なだけで何も楽しくなかった。他の家からどう思われようが知ったことではないし、跡継ぎなんてどうでもよかった。今でも思うもの、5歳の子どもに教えるようなことじゃないって」
ウルの言うことは、同じ貴族のレインも分からないでもない。家で差はあれ、国はどうあるべきか、貴族はどうあるべきか、そういったことを幼い頃から教わることになる。人によって、そういった学習を嫌がってもおかしくはないだろう。
「両親も困っていたと思う。二人ともあたしに甘いから、あたしが泣くと強く出られなくなるから。無理矢理何かをさせるようなことはなかったから、結局あたしも好きなように過ごしてた。ミレットと遊んでるときが一番楽しかったな。嫌なこと全部忘れてはしゃぎ回って、二人泥だらけになって怒られて。でも、ミレットが勉強で遊べなくなると、あたしも不安になった。本当にこのままでいいのかって、自分勝手に過ごしていいのかって。
――――そんなときだったのよ、ミレットと一緒に七貴舞踊会を見に行ったのは」
そこで初めて、ウルの表情から硬さが取れ、朗らかさが見え始めた。
「最初は退屈だった。セカンドスクエアのことは知ってたし、父が使っているのも見たことあった。確かにすごかったけど今更見たって特に何も思い浮かばなかった。これをずっと見続けるくらいなら、ミレットと屋敷で遊びたいって、本気でそう思った。見るのも億劫になって、ウトウト瞼が落ちそうになったちょうどその瞬間、会場が騒がしくなった。それはそうよ、華麗な演技を披露してきた七貴隊に混じって、あたしたちと年の変わらないような男の子が舞台に現れたんだもの」
その正体は、ウルが言わずともレインは理解できていた。
「レオル・ロードファリア、あたしたちより二歳年上の、ロードファリア家の次期当主。肩書きこそ立派だったものの、周りにいた大人たちは不信感に溢れてた。こんな幼い子に舞台に立たせて運営は何をしているのか、歴史ある七貴舞踊会を汚す気かと。――――でも、そんな意見は演舞の披露と同時に消え去った。幼いながらに完璧な演舞を見せつけて、大人たちを全員黙らせた。あたしだってそうだった、すごく楽しそうにセカンドスクエアを扱う彼を見て、自分もこんな風になりたいって、そう思った。レオル・ロードファリアは、あたしに大きな目標を与えてくれた、かけがえのない存在になった」
しばらく目線を合わせなかったウルの視線が、レインを捉えた。
「今度は別の意味で親を困らせてた、セカンドスクエアを使えるになりたいって。セレクティアの性質上それはダメだって言われてたけど、そんなのすぐ理解できるわけないし。でも、その代わりなのか分からないけど、レオル・ロードファリアと会う機会を作ってくれた。その時に、一緒に七貴舞踊会を出る約束もした。そこからは親が泣いて喜ぶくらいに勉強に勤しんだ。全ては彼に褒めてもらうため、彼と同じ舞台に立つため。その一心だった。――――だから愕然とした、彼が病であたしの前に出られなくなった時は」
レオル・ロードファリアが原因不明の病にかかって家で寝たきりになっているというのは、レインでも知っているほど有名な話だ。8年近く同じ状況で、ロードファリア家の当主は長女であるエストリアが継ぐというところまで話は広まっている。
「何度もお見舞いに行きたいって言った。でも感染する危険性があるからダメだと言われた。だからあたしは、すぐにでも治ることを信じて、努力を重ねることしかできなかった。あたしがセカンドスクエアを使えるようになっても、彼は治らなかった。アークストレア学院へ受験する時になっても、彼は治らなかった。――あたしは、限界だった。自分をごまかしながら歩んできたけど、彼が治る見込みがまったくなくて、真っ直ぐ前に進める自信がなかった。これ以上はもう無理だと思ったちょうどその時――――――あなたがAクラスの教室に現れたのよ」
そう言うと、ウルは自身のファーストスクエアを起動した。
「知ってる? 七貴舞踊会の記録は、ファーストスクエアを通じて視聴できること。あたしはレオル・ロードファリアが出てた七貴舞踊会の記録を何万回と見てきた。誇張じゃないわよ、本当にそれだけ、数え切れないほどの回数見てきた」
そして、昨日一度は否定した言葉を再度紡いだ。
「そのあたしの目が言ってる。あなたがレオル・ロードファリアだって。大きくなっていようが髪色が変わっていようが関係ない。あたしは、心の中にまで刻んだ彼の感覚を信じてる」
レインを射貫く彼女の瞳は、ただ純粋で、ひたすらに美しかった。どんな壁が立ちはだかろうとも自身の感覚を信じ、こうしてレインに直接問うたのだろう。その思いの強さと行動力は、素直に賞賛に値するものだ。
――――それが、自分にまったく関係のないものであれば。
「――――――――なんて、――――しないんだよ」
「…………えっ?」
唐突に発せられたレインの言葉を、ウルは正確に聞き取ることはできなかった。聞き返してみたが、レインはそれ以上言葉を発することなく、ウルの後ろを指差した。
「ああああ!! レインお前、何二人でお茶してるんだよ!」
「ウルちゃん、どうしてこうなってるのかな?」
そこには、教員室で戦闘訓練のルールを聞き終えたであろうザストとミレットの姿があった。ザストは分かりやすく声を荒げているが、ミレットはにこやかに怒気を放っていて逆に恐ろしい。
「話は終わりだな」
「えっ、ちょっと!」
ウルの制止を振り切り、レインは席を立った。
「カスティール君、このまま夕食にしよう」
「えっ、それはいいけど彼女たちは」
「相手をしたいならカスティール君に任せる。俺は一人でご飯食べてるから」
「かぁああ! ここで友情を取る俺に感謝してくれよ! 二人に声かけてくるから先に並んでてくれ」
「ありがとう、任せた」
投げっぱなしにした現状の対応を全てザストに任せ、夕食の列に並ぶレイン。これ以上ないタイミングでザストが来てくれたことに、レインは感謝した。
だが、ウルに対して逃げるような態度を取ったことは間違いなく、また機会を見て声をかけてくることを想像すると、レインはひどく重い気分になってしまうのであった。