1話 報酬
突発的に行われた新入生同士の模擬戦から、二週間が経過した。
入学早々行われたり、最終結果が両者不正の無効試合になったりなど話題になってはいたが、今ではその騒ぎも沈静化している。
ジオス・フィアを使用したジワードに注目が集まったこともあったが、なんとなく勝利したようにしか見られなかったレインにはそれほど注意を払う者はいなかったようだ。
そういうわけで現在、二週間前の忙しなさが消え、レインは安寧とした日々を過ごすことができていた。
――だが、ある内示の掲示により、レインは朝から嫌な気分にさせられていた。
《内示》
以下の者の成績変動を記す。
1-Aクラス
グレイ・ミラエル 未定→3位
ジワード・エルフィン 3位→6位
*6位以下の生徒は、一つずつ順位が落ちるものとする。
1-Bクラス
アリシエール・ストフォード 32位→31位
レイン・クレスト 31位→32位
「険しい顔だな、さすがに最下位宣告はきつかったか?」
一緒に登校していたザストから顔色を指摘されたが、レインの危惧はそこではない。模擬戦による不正が表に出ている以上、最下位になる覚悟はできていたし、それ自体は大した問題ではない。
問題は、ジワード・エルフィンとレイン・クレストの模擬戦を思い起こさせるような内示をされたことである。せっかく落ち着いてきていた話題が再度盛り上がるのは勘弁願いたい。
それに、各々の成績順位が公表されているのが何よりの問題である。模擬戦時では、レインの成績順位まで細かく知っている者はほとんどいなかったはずだ。
アークストレア学院では、Bクラス成績上位とAクラス成績下位の模擬戦は珍しくないため、今回もそういった認識で上級生からの注目が薄れたはずだが、Bクラスの最下位がAクラスの3位に土を付けたとなれば、認識のレベルが変わってしまうかもしれない。
下級生の成績変動に興味がない人ばかりであれば問題ないが、この内示によって目立つようなことがあれば今後動きづらくなるのは間違いない。
「あれれ、レイン君? コミュニケーションは? 疑問文で送ってるんだから、返事が必要なんだよ?」
隣でぶつくさと呟く友人を無視しながら、レインはこれまでの二週間のような生活が続くことを切に願うのだった。
―*―
「これで今日は終わりだけど、レインはこの後すぐ教員室な。このタイミングだし想像はつくと思うけど」
リエリィーからの呼び出しを食らったのは、内示を受けたその日の授業終了後だった。
クラスメートの視線があからさまに集まり、レインは辟易としてしまう。
クラスメートも当然内示は確認しているだろうし、そこにリエリィーの発言もあれば、レインによくない何かが起きてしまうのではと想像するのは無理もないだろう。
「……分かりました」
「よし、じゃあ解散! 学院生活に慣れてきたと思うけど予習復習忘れんなよ、手ぇ抜いたらあっと言う間に内示だからな」
タイミングがタイミングなだけに、洒落にならないリエリィーの言葉に若干教室が凍り付く。笑いながらからかうように口にしたリエリィーだが、本人が想像していた展開にはなっていないようだ。
「え、えーっと、レイン! さっさと行くぞ!」
雰囲気で察したリエリィーが何か取り繕うと話し始めたが、結局何も思いつかずレインへ振る始末。
この状況を放置するのはまずいのではと思いながらも、居づらい教室から出られることにホッとするレインなのであった。
―*―
「いやあ、まさかティーチャーズジョークがまるでウケないとは。内示も出てたし面白いと思ったんだけどな」
失敗失敗と自分の頭を搔きながら、まるで反省の色が見られないリエリィー。その隣を歩くレインは、柄ではないと思いつつも何かツッコミを入れるべきなのかと頭を悩ませていた。
しかしレインは考えを改める。頭を悩ませるのはリエリィーへのツッコミについてではない。
「先生、俺は何か言われるようなことをしたでしょうか」
内示による成績順位を示された後の呼び出し、いくら何でも偶然ではないだろう。
しかしながら思い当たる節はない。模擬戦の不正は成績順位の降下で片が付いているし、それ以上何か指摘される謂れはない。だからこそレインは、教員室に着く前にリエリィーに質問せずにはいられなかった。
「いや別に? 呼び出したの俺だし、内示と関係ないし」
「…………はい?」
あっけらかんと答えるリエリィ-に、レインは思考が停止してしまった。内示と関係がないのであれば、いったい何の用件で自分は呼ばれたのだろうか。
レインの脳内を読み取ったように、リエリィーがレインを呼び出した理由をあっさり伝えた。
「ほら報酬、お茶会に参加してもらう代わりに学院の図書館でも置いてない本を貸すって約束しただろ? それを貸してやろうと思ってさ、お前しつこいし」
「…………」
確かに、レインはAクラスとBクラスで行われるお茶会に参加する条件として、リエリィーからアークストレア学院の図書館にも置かれていない本を借りる約束をしていた。あまりにリエリィーから返答がなかったため、一週間前と四日前に都度催促はしていたのだが……
「『このタイミングだし想像はつくと思うけど』というのは……」
「お前から二度指摘があった後だからな、完璧なタイミングだろ?」
「……相変わらずあなたって人は」
お茶会の件に続き、どうやらリエリィーはレインを虚仮にするのが趣味のようだ。クラスメートにまで不安を伝染させておいて、実はただ本を貸すだけなど、とても教師がやることとは思えない所業だ。
楽しそうに笑うリエリィーに何か言ってやりたいレインだったが、急にリエリィーの声色に変化が生じる。
「ゴルタ先生、上に結構叱られてたぞ。なんであんなルール通したんだって」
「……」
レインは何も答えずに、リエリィーが続けるのを待った。
「ゴルタ先生も反省していた。無効試合にする方法なんて限られているのに、深く考えずに了承したこと。まあ正直ゴルタ先生を怒るのは筋違いだけどな。あんな追加ルール、今まで一度も言われたことなんてないだろうし」
「で、先生は何が言いたいんですか?」
「おいおい、頭の良いお前が分からないはずがないだろ」
そう言って、リエリィーは足を止めてレインへ向き直った。
「どうして無効試合を求めた? お前の勝ちならそのままAクラスに上がれた。そっちの方がお前にとってもプラスになるだろ」
リエリィーの問いは、意外でも何でもなかった。誰かに訊かれることは想定していたため、レインは淀みなく返答することが出来た。
「俺がAクラスの器じゃないからですよ。模擬戦で勝ったからそれが何だって言うんですか、実践じゃ俺の火力なんてまったく当てにならない。昇級して惨めな目に遭うくらいなら、コツコツと努力を重ねた方がマシです」
目を逸らすことなくレインが告げると、先に目を逸らしたのはリエリィーだった。
「はあ。正論なんだろうが、それを理解しているお前なら何も問題ないと思うんだがな」
「理解しているだけで問題ないなら、この学院にBクラスなんて不要ですよ」
「ああもう俺の負けでいいから! この話終わり!」
「先生から聞いたんじゃないですか……」
「お前と言い合って勝てる気がしねえもん! 何なのその経験値、俺にも分けろ! そしてお前は口下手になれ!」
「そんな無茶な……」
真面目な話をしていたはずが、子どものようなやり取りで終わってしまった問答。レインとしては助かるが、今後も似たようなことを誰かに訊かれるのかと思うと億劫になってしまう。
「はい! 頼まれたやつ! 文句あるか!?」
「さっきの引きずるのやめてください」
教員室に入り、教師と生徒が話す用のスペースへと行くと、リエリィーから荒々しく本を一冊渡された。色落ちしている年季の入ったこの本のタイトルは、『国の興亡』。シンプルな題名とは裏腹に、中身はとても分厚くなっている。
「てか渡しといて言うのもなんだが、これで良かったのか? 興亡系なんて図書館探せばいくらでもあるだろ。俺はもっとマニアックなものを要求されると思ったぞ」
「まあ俺も最初はそうしようと思ったんですけどね」
そう言いながら、レインはぺらぺらと分厚い本をめくっていく。
「歴史なんて、嘘ばっかりですからね。いろんな本を読み比べて整合性取らないと、真実には近づけないので」
「な、成る程な」
本を読むレインの目が思った以上に鋭く、リエリィーは一瞬背筋がゾクリとするのを感じた。そしてリエリィーは、レインが歴史は別に好きじゃないと言ったことを思い出す。
好きと言うよりは、何かに執着しているようにリエリィーには見えた。だが、その正体は勿論分かるはずもない。
「ありがとうございます先生。これ、一週間くらいは借りてもいいですか?」
「ああ、終わったら俺に返してくれればいい」
「了解しました。それでは失礼します」
一旦本を閉じ、レインはリエリィーにお礼を述べてから教員室を出ることにした。一刻も早く読みたいところだが、教室以上に居づらい場所で読み始めて他の先生に何か言われるのは避けたいところだ。
そう思ってそそくさと教員室を出ようとした瞬間、レインがドアに手をかける前にドアが開いた。
「レイン・クレストか、ここで何をしている」
目の前に立っていたのは、1-Aクラスの担任であるローリエ。相変わらずの切れ目で強く睨まれたが、レインは完全に別のことに気を取られていた。
ローリエの後ろには、お茶会の時に目にしたAクラスの生徒6名が揃っていた。