26話 正体
「おはよう諸君、えーっとだな、まあ特に触れずともいいかな、うんそうしよう。今日も一日頑張って――」
「――リエリィー先生、一つ良いですか?」
玄関先の騒動が冷めやらぬ朝の時間。歯切れの悪いリエリィーが早々に朝の挨拶を済ませようとしたところで、テータに声をかけられてしまう。
「言いたいことの察しはつくが、どうしたテータ?」
「今朝の掲示です。不正で無効試合とはどういうことでしょうか?」
相も変わらず、皆が気になる話題を代表して質問してくれるテータ。リエリィーも当然予期していたはずだが、それでも返答に困っている様子だった。
「悪いが文面の通りとしか言い様がないな。両者に不正が見られたから、試合結果を無効とした。そういうことだ」
「納得のいかない点が二つあります」
リエリィーの説明だけでは食い下がらず、テータは彼に向けて二つの指を立てた。
「まず一つ目、どうして不正と思われる内容を公表しないのか。聞くところによると、本人たちもその内容を知らないそうじゃないですか。今後同じ不正が起きないように公表して然るべきだと思います。二つ目は、どうして模擬戦が無効になったのかです。両者に不正があったのなら、それで帳消しにして勝敗を揺るがす必要はないと思います。これでは、昨日勝者と告げられたレイン君が不憫じゃないですか」
テータの問いに、同意する影が少なからず見受けられたことにレインは驚きを隠せなかった。
現実だけを見れば、レインは模擬戦中に不正を働いた人間であり、罰せられる立場にある。否定的に見られることはあれど、肯定的に見られることなどないと思っていたのだ。
それだけレインがジワードに勝ったという事実が大切なのだろう。自分の行いが少しでもBクラスの生徒に活力を与えたのだとしたら、当初の目的から擦れこそすれ、嬉しくもあるとレインは思う。
だが、リエリィーもテータの言葉をただ聞き入れるはずもない。
「前者に関しては俺の管轄ではないから分からんが、後者は言うまでもない。お互いに不正をしようとも、不正が勝敗にもたらす度合いが等しくない限り、勝ち負けを判断することはできない。無効試合になるのは当然のことだ」
「……お互いに不正がなかったら、勝敗が変わっている可能性があるから、ということですか」
「そういうことだ」
リエリィーを見ていた視線が落ち、テータは悔しそうに唇を噛む。ジワードとの模擬戦が決まったときのように自身の無力を噛み締めているのかもしれないが、今回の件はテータがどう取り組もうがどうしようもないことである。
「じゃあ今度こそ終わるぞ、授業の準備しとけよ」
そう言って、リエリィーは足早に教室を出て行くのであった。
―*―
「ゴメン、レイン君」
「いやいや、って前も同じようなやり取りをやった記憶があるな」
最初の授業が終了した後、テータが真っ先にレインに駆け寄り謝罪をした。勿論、レインとしてはそこまでされる筋合いはないし、他の生徒がいる前では正直やめてほしかった。
「でもレイン君、不正なんて心当たりないんだろう? だったらなおのこと、悔しいじゃないか」
テータは自分事のようにその気持ちを表情に出す。
掲示が出されたとき、レインはテータに不正に心当たりはあるかと訊かれて、悩んだ末「ない」と答えている。
あると言えばその内容をテータに追及され兼ねないため、今回は学院側に全てを被ってもらう算段にした。
そのせいで、テータは今も煮え切らない気持ちを抱えているわけなのだが。
「大丈夫だノスロイド君、すぐにAクラスに上がりたかったわけじゃないし、負けでない限り問題はないんだ」
「本当に?」
「ああ。それに、俺の目的なら既に達成されている」
「……目的?」
レインの発言で、テータが不思議そうに頭を傾げた。
今回の模擬戦、珍しくレインが冷静さを欠いて言い放った一言。
『俺の従者を馬鹿にして、ただで済むと思うなよ』
その内容を、レインがわざわざ説明することは当然なかった。
―*―
「くそぉ!!」
朝の掲示を確認してから、ジワード・エルフィンは荒れに荒れていた。教室内の机や椅子に八つ当たりをしてすでにローリエに叱られているにも関わらず、その気持ちを抑えることができなかった。
「ジワード、あなたいい加減にしなさいよ」
ジワードの恐ろしい剣幕に誰も近寄ろうとしない中、痺れを切らしたウルがミレットを引き連れてジワードへ声をかけた。
「そりゃBクラスの人間に負けて気分が悪いのは分かるけど、結局無効試合になったんでしょう? 不正の分いくらか成績は下がるけど、負けたときほどじゃないみたいだしいくらでも取り戻せる。少し冷静になりなさい」
「というかジワード君が不正を働いたようには見えなかったけどね、何が抵触しちゃったんだろう。先生も教えてくれないし」
口調はともかく、ウルもミレットもジワードに元気を取り戻してほしい一心で自分の気持ちを伝えていた。二人とも、レインにちらつく影を見ない振りをして。
「……何も知らねえくせによ……!」
「えっ?」
その呟きを、ジワードは誰にも聞こえないように微かに漏らした。ウルが思わず聞き返すが、それにジワードが答えるはずもない。
波のように都度上ってくる怒りを抑えながら、今度は二人に聞こえるようにジワードは言い放った。
「あいつだよ、レイン・クレストは間違いなくあいつだ」
その言葉は、ウルとミレットにとって予想外のものであり、模擬戦をその目で見ただけにとても信じられなかった。
だが、ジワードは確信を持って話し続ける。
「ウィグを使ったときから嫌な予感はしてた。でもあまりにそれが弱すぎて、気にも留めなかった。けど、俺の二連撃を止められたとき、嫌な圧迫感を覚えた。高見から見下ろされているような、そんな気分になった。そして実際に俺は負けて、その上――――」
それより先を話すことは叶わず、ジワードは昨夜のルール追加時のことを思い出していた。
―*―
『先生、ルールを追加することはできますか?』
ゴルタから金色に輝くバッジを受け取りながら質問するレイン。
『両者の同意があれば可能だが、ものによっては私から不可と申告する場合があるな』
『成る程、ではこういうのは可能でしょうか』
そう言って、一言前置きしてから、レインはゴルタに提案した。
『俺が勝った場合だけでいいので、成績の変動をなくすことはできますか?』
内容を話すと、ジワードの顔色が険しくなる。
自分が勝利した前提で話すレインも癪だったが、勝った報酬がいらないと言っているのが尚更ジワードを苛つかせた。
『それは不可だ。学院側の不信を高めることになる』
『うーん、それではこういうのはどうでしょうか?』
ゴルタの即答にもめげず、レインは引き続き提案する。
『勝った生徒の成績が上がらないとおかしいという前提なら、俺が勝った場合のみ無効試合にしていただけませんか? 理由は何でも構いません、それで俺の成績が下がってもオーケーです。勿論無効試合になった経緯は他言禁止、仮にエルフィン君から漏れるようなことがあればエルフィン君を退学にする。これならギリギリセーフだと思うんですが』
―*―
敗北したことは、素直に受け入れざるを得ないとジワードは思っていた。それだけ、レイン・クレストという男は準備に準備を重ねて模擬戦へと臨んだ。何度も敗北を臭わせながらも、ジワードの隙を突いて勝利を収めた。悔しくはあれど、納得のいかないものではなかった。
だが、今朝見せつけられた掲示は、屈辱以外の何ものでもない。負けたことよりも、負けをなかったことにされたことの方がよっぽどジワードには効いていた。
それも内容は覚えのない不正によるもの。これはレインが仕組んだものではないが、試合を無効にする方法を考えれば、当然レインの頭の中でも『両者を不正扱いにする』というのは浮かんでいたはずだ。でなければ、『自分の成績が下がってもいい』などと付け加える必要がない。ジワードの成績も下がってしまうが、元々敗北すれば大きく下がっていたものだ、それを咎めることは当然出来ない。
そして何より、レインの提案を明かせないことがジワードを苦しめる大きな要因となっていた。『無効試合で助かったな』とからかわれても、プライドを以て反論することはできない。『どんな不正を働いたのか』と訊かれても、教師のでまかせだと言い返すことはできない。現状ジワードは、全てを呑み込むことしかできないのである。
これこそが『ただで済むと思うなよ』と言ったレイン・クレストの策略なのだとしたら、ジワードは天晴れと言うほかなかった。実際、ここまでの苦痛に見舞われることになるなど、想定していなかった。
だからこそジワードは断言してしまう。ここまで緻密に自分を陥れる案を考えた者が、ただの一般貴族なはずがないと。一般の貴族であれば、成績を上げて名を広めることを優先するが、あの男は成績を落としてでも自分への攻撃を優先した。
思えば、Bクラスの下から数えた方が早い成績など露骨過ぎている。自分をできるだけ目立たせないように成績を制御し、今回の模擬戦でも追加ルールを組み込んで実践した。さらには偶然勝ったような勝ち方に無効試合、不正。これによりBクラスがAクラスに勝ったという事実も生徒の中では掻き消されているだろう。
できすぎているが故に分かってしまう。この学院に来て、成績を上げないように画策するなど訳ありの人間でしかあり得ない。そしてあの容姿となれば、他人の空似という言葉で済ますことはできない。
ジワードは頭にごちゃごちゃと浮かんだ思いを全て取り払って、再度目の前の二人に伝えた。
「どうしてここにいるか分からねえけど間違いない。レイン・クレストの正体は、お前たちがずっと会うのを渇望してきた――――レオル・ロードファリアだ」
1章―完―