24話 タメ口
「ふざけんじゃねぇ!」
今までで一番大きいジワードの怒号がゴルタの宣言に負けず劣らず響く。
そうしなくてはならないほど、ジワードには納得のいかないことが山程あった。
「お前、どうして気絶してねえ!? ジオス・フィアを食らって、壁にも激突しといて無事で済むわけねえ!」
「いや、済んでないだろ。この傷が見えないのか?」
「そういうこと言ってんじゃねえよ! 俺のジオス・フィアは意識も飛ばせない弱い攻撃じゃねえって言ってんだ!」
「すごい自信だけど実際俺は飛んでない。エルフィン君の攻撃はとんでもなかったけどね」
「だったら!」
「どうして助かったかって? 言うわけないに決まってるだろう。見られてバレていることならいざ知らず、君が分かっていないことをわざわざバラして何の得があるんだ」
全くの正論に、二の句を継げないジワード。身を震わせながら、自らの不甲斐なさに歯ぎしりしてしまう。
しかしながら、答えてくれなくともぶつけざるを得ない疑問はまだあった。
「ならバッジはどうなってる!? お前の全身はフィアに包まれてるのに、消えずに残ったままなんておかしいだろ!」
「答えが出てるじゃないか、俺が答えるまでもなく」
「はあ!? いったいどこに答えが――」
そこまで言って、ジワードは自身の発した言葉を紐解いた。
全身がフィアに包まれて、バッジが消えずに残ってるのはおかしい。
――――ならばバッジは、全身には存在しない。
ハッと気付いた瞬間、ジワードは後ろを振り返った。目の前に広がるのは、先ほどまで戦っていた闘技場である。
「……いつ仕込んだ?」
「何のことだ?」
「しらばっくれるな! どこにバッジを隠したかって聞いてんだよ!」
「残念ながら俺は知らない。手伝ってくれた友人ならいるが、別に地中に隠してもらったわけじゃないぞ?」
「何だと?」
レインはしゃがみ込むと、地面の土を少し指で削った。
「先生からは『勝敗がつくのは闘技場内のバッジの反応が一つになったとき』言われていた。つまり『闘技場内にバッジが二つある限り模擬戦は終わらない』という意味。だが、闘技場内が地中をも指すかは正直分からなかった。だからバッジを地中に仕込むのはやめて、地上に置く形で手伝ってもらった」
「それは無理があるだろ! 俺たちのバニスが飛び火したらどうすんだよ、訳もわからずお前の負けになるんだぞ!?」
「もちろん、そうならないよう工夫させてもらった」
そう言って、レインは人差し指で上を差した。釣られてジワードが目線を上へ向けると、先日のお茶会で見た三人がこちらの様子を確認しようとしていた。
「何が見える?」
「はっ、友達自慢でもしたいのかテメエは」
「違う。何クラスの生徒が見えるか訊いてるんだ」
「テメエと同じBクラスの生徒じゃねえか、それが何だよ?」
「そうだ。そしてBクラスの応援を一身に受けるため、自然と俺の陣地はこちらになった」
「……っ!?」
少しずつ、だが顕著に、ジワードの顔が青ざめていく。闘技場外にまで及んだレインの戦術に、怒りさえ芽生えてこなかった。
レインがテータに手伝ってもらったのは、バッジを闘技場に忍ばせることと、忍ばせた逆側の観覧席にBクラスの生徒を誘導することだった。これにより、ジワードのバニスの飛び火によってバッジが消えることはほぼなくなっていた。
「じゃあ俺にバッジを訊かれた後の反応は……」
「偽装だ。あからさまにならないよう過度にはしていないが」
「お前が無理やり攻めようとしてこなかったのも……?」
「半分は反撃の警戒だが、半分は仕掛けられなかったからだ。自分のバニスでバッジを消したんじゃ元も子もないからな」
ジワードが膝から崩れ去る。視界が狭くなり、放心状態になりつつある。
受けた攻撃は、たったの一度。それも上体が少し揺れるような、そよ風のような攻撃。傷など一切付けられておらず、終始ジワードの優勢で模擬戦は進んでいた。
それでも勝利を収めたのは、目の前の傷だらけの男。
おかしいと感じたことはいくつもあった。それでも警戒を重ねたのは一番最後だけ。バッジの違和感に気付いていれば、勝利など簡単に収めることができた。
火力のないBクラスの人間だと侮った、ジワード自身の落ち度である。
「レイン、お前動いて大丈夫なのか!?」
白衣を纏った養護教諭を連れてきたゴルタが、身体を引きずるレインにすぐさま声をかける。
「酷い傷……! こんなになるまで怪我を負わせたの!?」
「これでも勝利した側なんだがな……」
「はい……?」
表情を変えないゴルタが珍しく何とも言えない表情を浮かべ、養護教諭も頭を捻らせてしまう。
しかしレインの傷を思い出して、ハッとレインへ向き直る。
「それは後で詳しく聞くとしてとにかく治療ね」
強引にその場に座らされ、養護教諭と面を合わせるレイン。
ローリエと同じ歳くらいの、赤紫色の長い髪を後ろでまとめた女性。トロンとした垂れ目でレインの身体を今一度確認してから、レインへ問いかける。
「痛むところから重点的にって思ったけれど全身に広がって分かりづらい、悪いけれど服を脱いでもらえないかしら? 上だけで良いから」
「このままで構いません。見ずとも全身こんな感じなので」
「あのね、下脱げって言ってるわけでもないのに恥ずかしがらないで。そんな場合じゃ」
「なら治療は要りません。自力で治しますので」
「えっ?」
そう言うと、レインは立ち上がり、闘技場の出入り口に向かって歩く。
「ちょ、ちょっと! 何を勝手な、その傷を放置しておいていいわけないでしょ!」
「放置はしません、自力で治すんです」
「……っ、分かったわよ! そのままでいいからこっちに来なさい。治療するから」
「……分かりました」
養護教諭の説得により、再度彼女の前に腰を下ろすレイン。重傷にも関わらず顔色一つ変えないレインに、養護教諭は溜息をついた。
「まったく、養護教諭相手に治療は要らないなんて、冗談でも言うものではないわ」
「冗談のつもりはないですけど」
「生意気。これから三年間治療しないわよ?」
「それならそれで大丈夫です」
「ほーんと生意気な子ねえ、あなた名前は?」
「レイン・クレストです」
「レイン君ね、覚えた。私はシャルア・アーメスト。じゃあ始めましょうか」
そう言うと、シャルアはレインの目の前で右手をスライド、セカンドスクエアを出現させた。
バニスの主は言わずもがなフィアやウィグなどの基本五称になるが、それ以外に使用されるバニスも当然存在する。
そしてシャルアが使用しようとしているのはその中で一番重宝される回復用のバニス、『ナロン』であり、受けた者の自己治癒能力を増加させる効果を持つ。
ナロンのセレクティア自体が希少であるが、それを理解できる者もまた少ないため、ナロン使用者は優遇される傾向にある。
「……あなた、よく気絶しなかったわね」
ナロンを発動させてから、レインの傷の治りの遅さに思わず呟いてしまうシャルア。受けた傷の箇所が少なく浅いほど治療は早く終わるものだが、目に見える範囲でもレインの傷は完治していかない。
レインの飄々とした様子からもしやそこまで傷は深くないのではと思い始めていたが、シャルアは完全に騙されていた。
レイン・クレストという男は、死へ直結しかねない傷を受けて猶気を失うことを知らない、苦痛への耐性を持った人間なのだと、シャルアは理解したのだった。
―*―
簡単な治療を終えてから、レインは闘技場の控え室から校舎へ繋がる細い通路を歩いていた。ナロンを受けた頃にはすでにジワードは闘技場から離れていたようで、レインはシャルアと闘技場を出ることとなった。
『完治したわけではないので安静にするように』と再三シャルアに言われた後に控え室に戻ったが、リエリィーの姿は見られなかった。少し待ったがリエリィーが来る気配がなかったので、ずっと控え室に居るわけにもいかず今に至るということである。
Aクラスの生徒たちはともかく、Bクラスの生徒からはどうやってレインが勝利したか見えなかったはずなので、今の内に何を訊かれても冷静に答えられるよう整理しておこうとレインが思った瞬間――――その女生徒が通路にもたれ掛かりながら腕を組んでいるのを発見した。
「ジオス・フィアの対応だけは褒めてあげる」
長く美しい銀色の髪を軽く靡かせながら、その女生徒――――フェリエル・ミストレスは滑稽そうにレインへ語りかける。
「最初のウィグは無駄な一撃に見せて、炎の火力を抑えるために自身とフィアの間に風の層を作った。数秒とはいえ、あれでうまく熱を逃がすことに成功している。そして壁面に衝突する瞬間、真後ろに向けてウィグを放つことで風のクッションを作り衝撃を軽減。激痛だろうとも気を失うまでにはいたらなかったというわけね」
そしてフェリエルは、不服そうに表情を改め声のトーンを落とした。
「――――でもそれだけ。本当にくだらない模擬戦だった。あなたはこの三年間、一体何をしてたわけ?」
フェリエルの問いに、レインは一切答えない。目すら合わせず、ただフェリエルの言い分を聞き流していた。
「これがあなたの選んだ道だと言うなら、くだらなすぎて笑えもしないわね。そもそも自分の力を隠したいならどうして模擬戦なんか受け――」
「――いい加減黙れよお前」
突如レイン・クレストが見せた、これ以上ない冷え切った視線。つらつらと説教を続けていたフェリエルの口が止まった。
「お前につべこべ言われる筋合いはない。第一気軽に話しかけるな、誰のせいで俺がこうなったと思ってるんだ」
同級生相手とはまったく異なる、ひどく冷たいレインの物言い。一瞬口元に悲壮を浮かべたフェリエルだったが、すぐさま表情をにこやかな笑みへと変化させた。
「あら、昔の言いつけ通りに話してくれるのは嬉しいけれど、ここは学院よ? 誰かに聞かれていれば不敬と取られかねないわ」
「……失礼いたしました。以後このようなことがないよう、私めなど放っておいていただければと思います」
「それはできないご相談ね、何故なら――」
そう言うとフェリエルは、制止するレインの耳元へ顔を近づけ呟く。
「どうしてあのとき土下座をしたのか、納得のいく理由を教えてもらっていないもの」
フェリエルの言葉に、かつての記憶を反芻してしまうレイン。薄暗い空間にいた自分とフェリエルと、そしてもう一人。
それはあまりに惨めで情けない体験、だがそうしなければ国が終わりかけたと言ってもおかしくはない事実。
だがその理由は目の前の女にはすでに伝えている。納得がいくかどうかなど知ったことではない。
「残念ながら私には答えを持ち合わせておりません。失礼いたします」
レインは横に立つフェリエルに一礼してから校舎に繋がるドアの方へ向かう。この女との接触もこれで終わり、そうした気持ちを胸に歩み進めた刹那――――フェリエルが口にした。
「成る程。あなたがそういう態度なら、あの子たちに吐いてもらおうかしら。私の権限で拷問でもして」
殺意を隠さない鋭い視線が、再度フェリエルへ向けられた。その視線をフェリエルは嬉しそうに受け取る。
「冗談よ冗談。そんなことしては、ますますあなたに嫌われるじゃない」
「――そうですか。そのようなお戯れ、二度と言葉にしないようお気を付けください」
「あら? ならあなたと話すのはありってこと?」
「失礼いたします」
フェリエルの疑問に答えることなく、レインはそのまま闘技場の通路を出て行った。
通路に再度漂う静寂。
その場に残ったフェリエルが、壁にもたれかかり手の甲を自分の額に当てる。
「あはは、久しぶり。久しぶりに話しちゃった」
そう言ってフェリエルは、何かを隠すように右手で目を覆った。そして、絞り出すように声を上げる。
「早く、私を解放してよ――――――レオル」
フェリエルらしからぬ弱気で意味深な発言は、長く寂しげな通路に消えていくだけであった。




