20話 決戦前夜
「言ったな? 後にはもう引けねえぞ?」
ジワードの言葉に、レインは強い視線を以って受け応える。模擬戦をすると決めた以上、引き返す道はない。
「リエリィー先生、模擬戦を管轄されているのは誰ですか?」
次いで視線をリエリィーに移すと、レインは次の手を打つべく先手を取る。
「ゴルタ先生だ。彼に訊けば、模擬戦のルールから日付まですぐに対応してくれるだろう」
「成る程、明日だと受理されないですかね?」
「明日!?」
不意の日にちに、大きく声を上げるリエリィー。助けを求めるように視線をローリエに向けた。
「可能だ。だがその場合、今日中にルールを決めて、内容を確認する必要がある」
「ルールとは何でしょうか?」
「各々の最高戦力で戦う『総力戦』と、セカンドスクエアしか使用できない『乱撃戦』だ。今のお前たちは、形式上乱撃戦しか行えないがな」
「なら乱撃戦で構いません。エルフィン君、今からゴルタ先生の元へ行こう」
レインは立ち上がってそう告げると、ジワードは再度嫌味な笑みを見せた。
「どうしたよ、随分とやる気じゃねえか」
「別に。日を延ばすとモチベーションが落ちるからな。明日になって辞退してもいいなら明日に回すけど」
「まあいい、今の俺は気分が良いからな」
そう言いながら立ち上がり、レインとジワードはドアの方へ向かう。せっかくの交流の場ではあったが、事態が事態なため、二人は急遽中断である。
「ちょっとあなたたち、勝手に……」
「レイン」
ウルの言葉を遮って、グレイがレインへ声をかけた。足を止めると、グレイの嬉々とした言葉が耳へ入ってくる。
「君がそういうタイプで助かったよ。悪いが明日は、利用させてもらう」
レインの戦闘を見て、事前に研究するというグレイの宣言。それは確かに、今後グレイと争うことを考えれば、まずい状況である。
だがそれは、グレイと争うことがあった場合に過ぎない。
「まあ、好きにしてくれ」
「好きにするさ、君の仮面を必ず剥いでみせる」
グレイの言葉を聞き終える前に、レインとジワードは部屋を出た。唐突な展開の誰もが言葉を失う中、最初に口を開いたのはザストだった。
「ローリエ先生、これはいくら何でもあんまりじゃないですか?」
「そうですよ、レイン君は初め断っていた。それなのに」
ザストに続いてテータも非難の声を上げる。彼らの言い分通り、ジワードの中傷がなければ、レインが模擬戦を行うなどあり得なかっただろう。
「それがどうした?」
だが、ローリエの言葉は、想定以上に冷たいものだった。
「確かにジワード・エルフィンの発言は自ら撤回すべき内容だ、それは間違いない。だが、やると決めたのはレイン・クレストだ。そこに我々が介入する理由はない」
「それは!」
反論しようとするも、言葉が出ずに口を噤んでしまうテータ。同居人を援護できないもどかしさに、怒りが込み上げてしまう。
だが、もう一つの反論者の反応は違った。
「それなら仕方ない。あいつらのことは一旦忘れてお茶会続けましょうか。男子二人が去って女子の割合が上がったところですし」
ニコニコしながらケーキを頬張ろうとするザストに、テータが食い下がる。
「ザスト君、そんなあっさり引き下がっていいの? ジワード君のやり方は卑劣で、認めていいものじゃない。それなのに」
「まあそうなんだけどさ、ローリエ先生の言い分も尤もだしな。決めたのはレインだ。仮に俺だったら、従者の罵倒くらいで模擬戦を受けるなんてあり得ない。あいつにとって退けないことだったんだよ、これ以上俺たちが茶々入れるのは無粋ってもんだ」
「……だけど」
「まあまあ、気持ちは分かるさ。AクラスとBクラスの模擬戦なんて不毛にも程がある。わざわざ争うまでもなく決着なんて見えてるし。だけどさ、なんというか、不思議なもんでさ」
そう言うと、ザストは頭を搔きながら苦笑いを浮かべた。
「俺には、レイン・クレストの負けを想像できない」
―*―
「以上がルールになる。明日大闘技場でも改めて説明するが、質問はないか?」
「ありません」
「俺もない」
教員室でゴルタから説明を受けるレインとジワード。模擬戦を行うと話した時は教員室内が騒がしくなったが、ゴルタは冷静に一つ一つ内容を整理して教えてくれた。彼の話によると、入学式一週間での模擬戦は学院至上最速のようだ。
「ではバッヂは先に渡しておく。模擬戦までになくすようなことがあれば当然不戦敗だ。私からの話は以上だが、何かあるか?」
「先生、ルールを追加することはできますか?」
ゴルタから金色に輝くバッジを受け取りながら質問するレイン。
「両者の同意があれば可能だが、ものによっては私から不可と申告する場合があるな」
「成る程、ではこういうのは可能でしょうか」
そう言って内容を話すと、ジワードの顔色が険しくなる。
「それは不可だ。学院側の不信を高めることになる」
「うーん、それではこういうのはどうでしょうか?」
先ほど以上に具体的で条件付きのルールを説明すると、ゴルタが答える前にジワードが声を荒げた。
「ふざけんじゃねえ!! さっきからふざけたことばっかり言いやがって! お前、俺のことを馬鹿にしてんのか!?」
「馬鹿にしてない。正直な話、模擬戦を受けたことを後悔してるんだ。俺のやる気を削ぎたくなければ、了承してくれると助かるんだが」
「っ!!」
歯ぎしりをしながら強くレインを睨むジワード。純然たる模擬戦を行いたいジワードにとって、手を抜かれるのは何よりも避けたいことで、罵詈雑言を並べたい気持ちをなんとか抑えた。
「それで先生、さっきのルールはありでしょうか?」
「…………ありだ。ありだが、本当にいいのか? お前に何の得もないルールだぞ」
「問題ありません。このルールでないと、戦う気が起きませんので。エルフィン君も構わないか?」
「……問題ねえ。だが、俺からのルール、というか条件を呑むことが前提だ」
「その条件は?」
あくまで淡々と話を進めるレインの、呼吸を乱すべくジワードは口角を上げた。
「俺に負けたらお前、自主退学しろ。あんなふざけたルールを入れようとするんだ、問題ないよな?」
動揺するレインを見るための、ジワードの脅し文句だった。ルールを取り下げるならそれで良し、別のルールにしろと言ってきてもジワードの溜飲は下がる。そのための最大級の攻撃のはずだった。
「分かった。俺が負けたら自主退学しよう。先生、そういうことで話を進めてください」
一切の動揺も、躊躇もなくレインはジワードの言葉を受け入れた。その了承は、自分の負けなど一切考慮していないことに他ならず、ジワードの激怒を誘うには十分過ぎた。
「舐めてんじゃねえぞBクラス風情があああ!!」
そう吐き捨てて、ジワードは教員室のドアを強く閉めて出て行った。一瞬教員室が騒然とするが、ゴルタが何でもないとジェスチャーして元へ戻っていく。
「レイン、本当に良いのか?」
心配そうにレインを労るゴルタだが、当の本人はどこ吹く風と言わんばかりに無表情を貫く。
「いいえ、助かりましたよ。これなら実質俺へのルールはないようなものなので」
「……どういうことだ?」
訳が分からず聞き返すゴルタに、レインは無表情を解き微かに笑みを見せた。
「いずれにせよ、負けられないということです」
―*―
「レイン君すまない!」
一人で夕食を済ませて部屋に戻ると、先に部屋に居たテータに開口一番謝罪された。心当たりがまるでないレインは、当然目を丸くしてしまう。
「えっと、何の件だっけ?」
「何の件って、模擬戦のことだよ。僕らがしっかりフォローできていたらこんなことにはならなかったのに」
「ああ、そのことか」
真摯に謝るテータとは対照的に、レインの反応は実に淡白なものであった。
「気にする必要はないよ、イレギュラーはあれ、俺が受けた模擬戦だ。ノスロイド君たちに非はないさ」
「違うんだ。君の従者を貶した時に、僕はジワード君を咎めるべきだった。そうしていたなら、君が模擬戦を受ける選択をしなかったかもしれない」
テータの話を聞きながら、確かにそうかもしれないとレインは思った。あの場で誰かの声を聞けていたなら、一時の感情で行動することはなかったかもしれない。
だがレインは、模擬戦を受けたことを後悔しても、二人のために怒ったことはまったく後悔していない。それだけは自信を持って言うことができる。
つまるところ、テータにここまで謝ってもらう必要はないのだが、せっかくならばこの気持ちを利用させてもらうことにする。
「ならさノスロイド君、罪滅ぼしって訳じゃないけど手伝ってほしいことがあるんだ」
申し訳なさげに俯くテータの顔がゆっくりと上がる。
「手伝い……? 今からできることがあるの?」
「うん。もっと言えば、ノスロイド君にしかできないことだと思う」
そう続けると、テータの表情がパッと明るくなる。レインの言葉を借りるなら、罪滅ぼしの機会だと感じたのだろう。
「やるよ、やる。僕にできることなら何でも!」
「そこまで気張ってもらう必要はないんだけどね」
そう言いながら、手伝ってもらう内容をテータへ説明するレイン。全て話し終えると、テータは声を震わせながらレインへ尋ねた。
「これって、反則じゃないの?」
「大丈夫、ルール範囲内だ。しかしノスロイド君酷いな、反則だと思って聞いてたのか?」
「いや、確かにルールを破ってはいないけど、でもジワード君に不審がられるんじゃ?」
「そこは上手くやるよ。俺をBクラスの雑魚だと侮ってくれているなら、恐らく気づかない」
「つまり僕が上手くやれれば」
そこまで言うテータに、レインは深く頷いてみせた。
「俺の負けはほぼなくなる」
「すごいよレイン君! 僕は今回、君があっさりと倒されるものだと思っていたのに」
「そう褒められたものでもないよ。俺がエルフィン君に対して対策を打てなきゃ、結局どこかで作戦毎潰されるからな」
「……確かに、負けないだけで勝ちはない。Aクラス相手にどうやって」
「そこまで悲観することはないよ、ずっと負けなければいいんだから」
「えっ?」
そう言ってたレインは自分の椅子に座ってノートを開く。そこには、大闘技場の平面図が手描きで描かれてあった。
「勝とうとする必要はない。負けなければ、それさえ意識していれば道は必ず開く」
その呟きを誰に向けて言ったのか、レイン自身分かっていないのであった。