26話 たった1つの希望
それから1週間、レオルは今の自室から拠点を鍛錬場へと移した。
ソフィリアにレオルの記憶がない以上、あの部屋を使い続けることはできない。
だからレオルは、誰かが訪れる頻度が少ない鍛錬場を選んだ。妹たちもまだセカンドスクエアを使用する年齢ではないし、ソフィリアが入ってくることはないだろう。
「お兄さま、朝食をお持ちしました」
鍛錬場の隅で読書をしていると、エストリアとシストリアが朝食を載せたワゴンを引いてやってきた。
本来ならば執事やメイドの仕事だが、リゲルやマリン他レオルに関わっていた使用人は別の仕事を任されている。マリンは嫌がっていたが、ソフィリアからすれば嫌がる理由が分からない。
レオル・ロードファリアなんて人間、存在しないのだから。
「いつもありがとう2人とも」
そもそも食事のことをまったく念頭に置いていなかったレオル。こうして妹たちが自発的に動いてくれているから、食事にありつけるというものである。
だが、今日運んできた量はいつもより多かった。レオル1人で食べ切れる量ではない。
その理由はすぐに分かった。
「それではお兄さま、いただきます!」
「いただきます」
妹たちが、両手を合わせて食事を始めたのである。量が多い理由は解明できたが、レオルは正直困ってしまっていた。
「2人とも、母様が心配するから戻らなきゃダメだ」
ロードファリア家の食事は、多忙なディアロットを除き、基本的には家族全員で摂っている。エストリアとシストリアがその場にいないとなれば、ソフィリアが心配するのは当然である。
だが2人は、手を止めるとムスッとした表情で食事を見つめた。
「……私、今のお母様好きじゃないです」
「あたしも」
――――妹の口から、聞きたくない言葉だった。
理由は分かる。兄を想う妹たちからすれば現状を好ましく思わないのは理解出来る。
記憶を無くしたソフィリアのせいだと思ってしまう気持ちは分からなくはないのだが。
「そんなこと言っちゃダメだ、母様は悪くないんだから」
レオルは少し強く厳しめに2人へ反論した。記憶を失ったのは母のせいではない、これでソフィリアを責めるというのはお門違いである。
レオルは兄として、妹たちの間違いを正したかった。
「じゃあ誰が悪いんですか!?」
しかしながら、レオルの言葉はシストリアの地雷を踏んでいた。涙をポロポロ零しながら、大好きな兄を哀しげに見つめる。
「お兄さまは何も悪いことしてない! 悪いことしてないのに、なんで、なんで、こんな酷い目に遭わなきゃいけないんですかあぁ……!」
「シスト……」
シストリアの想いは、鋭くレオルの内に突き刺さった。妹の言葉が嬉しいからこそ、余計に苦しくなった。
――――自分の存在は、2人の成長を阻害している。
自分がいてはずっと後ろを振り返りながら前を歩かなくてはいけない。そんな人間が真っ直ぐ成長できるはずがない。
「ホント、誰が悪いんだろうね……」
自分に語りかけるようにレオルは呟く。
自分が悪いとは絶対に言わない。言えば2人の気持ちを逆撫でするのは目に見えている。
「兄さまのこと、あたしたちは忘れないから。ずっと側にいるから」
「ありがとう、エスト」
セカンドスクエアが使えなくても、母に忘れられても、兄への想いは一切変わらないエストリアとシストリア。彼女たちなりに兄に元気になってもらいたいと思っての行動だったのだろう。
だがそれは悪手だった。かねてからレオルが検討していたことを決心させることとなる。
母にも迷惑をかけない。妹たちの成長も妨げない。レオルが思い付いたのは1つ。
「ゴメンね、2人とも」
レオルは、この屋敷を出て行かなければいけないと思った。
―*―
「父様、お忙しいところ申し訳ありません」
その夜、レオルは早速ディアロットへ連絡を取ることにした。決心が鈍らないうちに伝えておくべきだと判断した。
『構わないさ。レオルこそどうだ、元気か?』
「僕は元気です」
『……母様の様子はどうだ?』
「お会いしていないので分かりませんが、相変わらずだと聞いています」
『……そうか』
ローラルド地方の北、ワートリア地方の任務を任されているディアロットだったが、ソフィリアの件を聞き、1度すぐに屋敷に戻ってくれていた。
だが、レオルを忘れたことを確認できただけで解決することはできず、任務の都合でとんぼ返りせざるを得なかったのである。父にはそのことで謝られたが、レオルは笑顔で仕事を頑張るよう伝えていた。
『すまない、話の腰を折ったな。何の用件だ?』
心拍数が上がる。優しい父の声に引き戻されそうになったが、レオルははっきり自分の決意を伝えた。
「ロードファリア家を、出ようと思います」
『……』
ファーストスクエア越しの父は、狼狽えているようには感じられなかった。無言で息子の言葉を待っているように思えた。
「現状僕は、ロードファリア家の人間として表に立つことはできません。はっきり言えば、ロードファリア家の資格を持ち合わせていないと思っています」
『……』
「ですので、セカンドスクエアが再び使える方法を模索したいと思います。屋敷の本は全て読み漁りましたが、ヒントのようなものはありませんでした。何か手がかりを見つけるべく、ミストレス王国を回りたいと思います」
レオルは、自分が今したいことをディアロットに伝えた。
屋敷を出てセカンドスクエアが使用できるようミストレス王国を旅する。
力のない彼にとってそれが最善の手だった。
『……レオル、確認がある』
「何でしょうか?」
『それは、ロードファリアの名を捨てた上での旅という認識で相違ないな?』
「はい、勿論です」
父の質問に、レオルははっきり即答した。
この旅は非常に身勝手なもの、居場所のない屋敷から逃げ出す言い訳ともとれる行動である。当然ロードファリアを名乗る気は毛頭ない。一生名乗ることができないのも覚悟の上だ。
ただ、資金的な援助を受けなければ生活に困窮してしまう。だからレオルは、ディアロットに相談しているのである。
『……いいだろう』
父の逡巡はわずかだった。いつ帰るか分からない、それどころか帰ることができないかもしれない旅をディアロットはあっさり了承した。
『しかし条件が1つある。それがクリアできれば、金銭的なサポートは行う。勿論必要最低限ではあるが』
そう一呼吸置いてから、ディアロットはその条件を言った。
『ウチの使用人へ同行を願い出ろ。その中から一緒に行ってもいいという者がいればレオルの旅を許すこととする』
それはレオルの生活管理をできる者が必要だからというディアロットの判断だった。父のいうとおり、レオル自身1人で旅をするというのは多少無理があると感じていた。
だが、それは非常に厳しい内容に思われた。
『ただし、欠点は明確に示すこと。ロードファリア家に仕えるという栄誉はなくなること。目的が達成されるまで実家には帰れないこと。セカンドスクエアを使えない貴族に仕えるのだということ』
ディアロットからの追加事項が、レオルの道を大幅に塞いでいるように感じられた。
―*―
それから数日後、ソフィリアと妹たちが一緒に出掛ける日に合わせて、レオルは今まで少しでも関わりのあった使用人を鍛練場の隣の部屋に集めていた。
「レオルさま! お久しぶりです!」
「お元気そうで何よりです」
「2人ともありがとう」
すぐに挨拶をくれたマリンとリゲルに会釈をしてから、集まってもらった使用人を一瞥する。
執事4人とメイド8人の計12人。この中から、自分に着いてきてくれる人がいるかどうか。それを今から訊かなくてはならない。
「皆ありがとう、仕事もある中集まってもらって」
そう言うと、皆が軽く頭を下げる。ロードファリア家に選ばれた、立派な使用人の振る舞いである。
「今日は皆に、相談があって来てもらった。いろいろ言いたいことがあると思うけど、一旦僕に通しで話をさせてほしい」
前置きを入れてから、レオルは皆に屋敷を出て行こうと思っている旨を伝えた。
セカンドスクエアが再び使える方法を探すアテのない旅をする旨を。
「それで、その、僕の世話係として3人……いや、2人でいいんだ! 誰か一緒に来てもらえないかと思ってて……」
少しずつ語尾が弱くなっていくレオル。どれだけ我が儘なことを言っているのだろうと、自分を戒めたくなる。
「ロードファリア家の使用人として動くことはないし、支払える給金だって今より下がる。僕に付きそう訳だから、下手したらずっと家には帰れなくなるかもしれなくて……」
自分で言いながら、これはダメだとレオルは悟る。何の名誉もないただの子守。家族との団らんすら失ってしまうかもしれない。そんな状況を誰が望むというのか。セカンドスクエアを使えない子どもに対して。
「一応言っとくけど断っても何も問題ないから! 皆がここで働きにくくなるようなことは絶対ないから、そこは心配しないでほしい!」
「レオルさ……」
「僕は5分後にまたここに来るから、考えてもいいかなって人は残ってほしい! 本当に強要するわけじゃないから、じゃあこれで!」
使用人たちの反応に目もくれず、レオルは逃げるように退出した。自室として使っている鍛練場へ急いで入る。
静寂な空間の中、扉を背にズルズルと腰を落としながらレオルは頭を抱えた。
――――皆の顔を、見ることができなかった。
怖かった。今まで自分に優しく接してくれていた皆の視線が変わると思うと、怖くて仕方がなかった。
家名を失うことと力を失うことが、こんなにも自分を追い詰めるものだと思いもしなかった。言わなきゃ良かったと、少しばかりレオルは後悔する。
でも、今の現実をレオルは受け止めなければならない。
セカンドスクエアを使用できなくなったのは事実。
ソフィリアが記憶を失い、屋敷に居づらくなったのは事実。
旅に出る以上、ロードファリアの名を使えないのは事実。
それだけの事実があった上で、レオルは自分についてきてくれる人を探す必要がある。
全ては前へ進むため。停滞している自分を変えるため。レオルは動き出さなくてはならないのである。
だから今は、現実を受け入れる。例え残ってくれている人がいなくても受け入れる。自分のスタート地点を把握するために必要なことなのだから。
覚悟は決めた。レオルは立ち上がる。
部屋の外に出て、ゆっくりと隣の部屋の前に立つ。
心臓が高鳴る。心拍数が早まる。恐怖心はあったが止まるわけにはいかない。
大きく深呼吸してから、レオルは運命の扉に手を掛けた。
――――想定していない光景だった。
「あっ、ああ……!」
レオルは思わず、その場で膝を折ってしまう。声にならない嗚咽が漏れ出てしまう。
嫌なことばかり想像していた。何の価値もない自分に着いてきてくれる人などいないと本気で思っていた。
「ああ……ああ!」
だからレオルは堪えきれなかった。目の前の光景が視界に入った瞬間、無意識に涙がこぼれ落ちる。
無理もない。
――――12人が欠けることなく、片膝立ちでレオルを出迎えていたのだから。
「俺が仕えずして、誰があなたに仕えるんですか?」
リゲルの言葉だった。一番長い時間を過ごしてきた、執事の言葉だった。
「あなたの側にいられないなら、この場所に居る意味などありません」
マリンの言葉だった。何より自分を慕ってくれている、メイドの言葉だった。
2人はすぐさま立ち上がって、床に座り込むレオルに寄り添った。
「我々はロードファリア家の嫡男に仕えたつもりはありません。ずっとずっと、レオル・ロードファリア個人にお仕えしてきたのです。たかがセカンドスクエアが使えなくなった程度、我々には関係ありません」
「そうですよ! 私からすれば、レオルさまのいないロードファリア家なんてどうでもいいですからね」
リゲルとマリンは、レオルが欲しかった救いの言葉を与えてくれた。これに勝る温かさは存在しない。
そう思えるほどに、レオル個人を評価してくれた気持ちが嬉しかった。
「ありがどう……ありがどうみんなぁ……!」
ポロポロと涙を流しながら、感謝の気持ちを伝えるレオル。
ここ数日、ずっと辛かった。泣いてしまうことも多かった。
でも今日、レオルは1つ大切なことを学んだ。
――――嬉しいときにだって、涙は出るのだということ。
「こんなジジイでもレオルさまのお供ができるのでしょうか、妻にも相手にされなくてちょうどいいんですじゃあ」
最年長執事であるマーヴィンが冗談を交えながら部屋中に笑いを生む。
「レオルさま、マリンじゃなくてわたしたちにもお声をかけてくださったってことは、充分チャンスがあるってことよね?」
「そうそう、マリンの時代はあっと言う間に過ぎちゃったもの」
「過ぎ去っていません!!! レオルさまのお隣は私のものです!!!」
マリンの同期であるキリルとリーチェは、マリンをからかうように緩やかな宣戦布告をする。
ずっと側で仕えてきたリゲルやマリンだけでなく、皆がレオルとの旅を望むように意見を主張する。
それにマリンがいちいち反応するから可笑しくなり、レオルの涙もいつの間にか止まっていた。
全てを失ってしまったと絶望に包まれていたレオル。
だがそこには確かに、レオルを救う希望の光が差し込んでいたのだった。




